今やろうとしてる事は自分に利する事なく、人の為に何かやろう、と言うことです。ほんの小さなことでも良い。誰かの為になる事をする。この言葉の中に矛盾が内在しているのもわかる。
「こういう宣言自体が自分に利するためでは?」という意見もありましょうが、人間は結局は自分の為に生きているもの。
私はポンコツで生まれてきてしまいました。
ですので少しずつ「人間性を取り戻す。」為の行動を自分の中で起こしていきたい。
結局自分の為なのです。
人の事を思い行動する事は楽しいじゃないか。そういう人間らしい感情を取り戻す事が目的なのです。恐らく最大の利益はそこなのかと思っています。
友人に行なっているギターレッスンも、スタジオ代を出してもらっているだけで、私にお金は残りません。
昔の職場でアルバイトの子が、生活に困っていたら出してあげる。
(恐らくお金は返ってこないでしょう笑)
もっと些細なことでも良いかな。
コンビニの店員さんに「ありがとう。」を言う、というプロジェクト。とかね。
「この曲で、束の間楽しい気分になってもらえたら。」と思いながら、曲を作る。(勿論、良い悪いは聞いてくれた人が判断するだけの話ですが、、)とか。
良い人ぶってる様に見えますが、私はあまりにもポンコツが過ぎるので、日々心掛けないといけないのです。
そう、心掛けて心掛けてやっと、あなたの背中が微かに見える。
その程度なのです。
曲も少しずつ良くしたいと思うのも、自己満足。
でも、「巡り巡っての自己満足」を目指したい。
聞いてくれた人が、気分が楽になったり、楽しくなったら、感動したり、興奮したり。
それが自分に返ってきて、の自己満足。
あとね、偉い人にはやり難い。何故なら「将来的に自分に何かしてもらおう。」という腹がある。そう、私にもそれは感じる。依存心というか、スケベ心というか。
だから人の善意は、形を変えて「自分よりも苦しんでない?」的な周りの人に分ける事によって還そうと思う。但し見返りは求めない。「それって自分より弱い立場の人のマウントを取って良い気分なってるだけじゃん」、と取られても良い。その通りです。良い気分になりたいからやるのです。
人をディスって良い気分になるより、これからは、誰かを助けて良い気分になりたい。努力します。
「ペイフォワード」って映画ありましたよね。
「あなたの善意は、形を変えて次の人に拡がってますよ。」みたいなこと。
だから「すごい曲を作ってやろう。」っていう気持ちとの戦いなんです。
この「すごい曲を〜」っていう気持ちが、どうしても我の強さを物語ってしまいます。とっておきのサプライズ、スパイスの部分は残しつつ、やっぱり「誰かに楽しんでもらえるかなー。」とか考えながらの方が楽しい。
ような気がする。
それを考えながら作って、ダメでも構わないです。
だって私も人の善意を踏みにじってきた人生だからです。衝動的な自分を少しでも改善したい。
それにもうひとつ、音楽自体はあなたに何も強制などしない。
私にとって、作曲はセラピー。
音楽が救ってくれた気がする。
こういう事を考えるゆとりを私にもたらしてくれた。
音楽自体は「情報」だから拡散もしやすい。
抽象的だから解釈も自由です。
誰かが楽しんでくれるかも。そう考えながら曲を作る。大切な人を想い、曲を作る。
「自分を救いたきゃ、他人を救え。」ってのはこういう事なんでしょうか…。
人間性を取り戻す活動、なのかな…
と、朧げながら考えています。
なんか良い事言ってるみたいですが、ポンコツの私にはこれが中々難しい。
できない時もあるさ。口先だけの(私の様な)奴を信じちゃダメだぜ。
本当にやってる人は、わざわざ語らない。できないポンコツだから語る。
そして、これから行動で、少しでも返していこう。
さてさて皆さんの背中、いつになったら見えるのかな。
山本紳司