1部:17
2部:12
3部:20
とりあえず、なんとか200点は超えたみたいです。
1部開始時にガチガチだったのでケアレスが続きましたが、3部は途中で集中が途切れた割には良く解けたので、点数は挽回できたといった具合でしょうか。
2部も正直多少マグレ当たりが入ってるので、これ以上望んではバチが当たる点数、と僕の能力からすれば言えます。
そんなワケで、適性に関しては一安心。
まず伊藤塾の採点に出したのですが、LECはなんと1日に結果を出してくれるというのでそちらにも。
10日はあまり適性対策せずに臨んでいいかなと思っています。
法律の勉強がかなりマズイので。
そして平常運転に戻った勉強ですが、今日は文書偽造に四苦八苦していました。
僕が単にこの犯罪類型に親しんでないだけかも知れませんが、
どうにも伊藤塾テキストが読みにくい。
現在思考方法で整理しています。
同時に手をつけたのが憲法。
伊藤猛『憲法の流儀 龍の巻』を全て印刷しました。
まだ丁寧に読んだワケではありませんが、憲法訴訟を学ぶ上でかなり有益そうに思えます。
これは個人的な考えですが、
「今ある分だけで手が回りきっていないのだから、新しい資料に手を出すのはやめておく」
という声を受験仲間内で良く聞きますが、
この主張はある前提の上でしか成り立ちません。
「今ある分を消化さえすれば、自分は少なくとも最低限求められているレベルのものは作り出すことができる」
という前提です。
この「最低限求められているレベルを狙う」というアプローチはすなわち、
「負けない戦いをしていく」ということです。
しかし、「負けない戦い」をしようとする人の成績は、不安定になります。
というのも、
きちんと基本を押さえて、
自分が何を書くべきかを事案ごとに理解し、
それを丁寧に書いていく、
という答案は結局、
「勝てる答案」でしかないと思うんですよね。
それは「最低限求められているもの」ではなく
「求められているものそのもの」でしょうから。
(したがって、新しい資料に手を伸ばさなくともこの理解が得られる、
というのなら、それは新しい資料にわざわざ手を伸ばす必要は無いということになるでしょう。)
では、「負けない答案」とは。
僕の勝手な見解だと、
それは
「よくわからないけどこの問題意識が出たらこの論点を置く。
そしてこの結論の前にはこの理由付けを置く。」
という、
「よくわからないけれども周りもよくわかってないから大丈夫だろう」
という基本を蔑ろにした考えに他ならないのではないかと思います。
「最低限求められているもの」
というより、
「十分にそれらしいことが書いてあるから入試において最低限許容されているもの」
と換言しても良いと思います。
このような場合、少しでも事案が特殊で、何を書くか見失ったとき、
恐らく手も足も出なくなるのではないでしょうか。
そういった意味で、
自称「負けない」という答案は、
ただの不安定な理解を正当化するだけのもの、
というのが僕の見解です。
対抗利益で違憲審査基準を緩めるのなら違憲審査基準なんざ使うのやめちまえ、
とか毒づいてみたり。
勿論受験生たるもの、時間の関係で、理解が不十分なままで試験に赴く必要もあるでしょう。
僕も恐らく行政法などはそうなります。
ただ、その不十分な理解を、
「負けない」という言葉で正当化したくないな、
と。
一丁前のコトを言ってますが、
これからの限られた時間は、
このような意識で普段から勉強したいと思います。
何よりもまず、基本から理解すること。
それをすれば「負けない」のではなく、「勝てる」。
基本を押さえる・原理原則を把握する、というのは、
単に時間をかければいいというものではなく、
本人の意識に、思考にかかってくると思います。
なので、その思考を常に持つ。
何も細かい学説について学ぶこと自体が基本の理解に繋がるワケではないけども、
その学説の根底には必ず傾聴に値するものがあるので、
それを基本の理解に繋げていく。
そうして、結果、「勝つ」ものを身につける。
えらく偉そうですが、これからの受験の佳境に向けての所信表明でした。