「耳を澄まして/耳を澄ますと」 この言葉の表現が好きですが、今の時期、外に出ると耳を澄ませなくてもにぎやかに蝉の鳴き声が聞こえてきます・・・
。先週末頃、蜩とつくつく法師の鳴き声を聞くことができました。夕方には
コウロギの鳴き声も。季節の移り変わりの中で体感できる事象と日常生活の中で穏やかに過ぎてゆく時間は、折に触れ心を和ませ癒してくれます。最近になってBS日テレで放映されている「小さな村の物語 イタリア」を時々観るようになり、イタリアの小さな村での便利とは言えない生活風景を通して特にそのようなことを感じています。
先週、
スマートフォンを Xperia から AQUOS に機種変更しましたが、AQUOSフォンにAI機能が搭載されていて充電するとき充電器に差し込むと人を感知してくるくる回ってスマホの画面が人のいる方に向くというものでした。「こんなに便利にならなくとも!」 と思いながら、「どこまで進化して行くのだろうか!」 と心配になってきます。ちょうど1985年頃に「どんなに機械化され便利になってもそれを使うのは私たち人間。機会に使われてはならない。」 という文章に触れたことがありました。このことは30年前も現在も、また将来においても心に留めておくことではないでしょうか
便利になることを悪いとは思いませんが、便利さが心を豊かにする要素にはなりえないことを意識していたいと思っています。
8月22日は、チンチン電車(路面電車)の日だそうです。子供の頃、よくトロリーバスや路面電車に乗りました。あの頃、バスや路面電車に乗ると運転手さんと車掌さんがいて、車掌さんが料金を徴収するために回ってきて・・・、払えなかった時は降りる時に払うというような方式でした。![]()
東京でもまだ都電荒川線(早稲田⇔三ノ輪橋)が走っていますね! 姪っ子と甥っ子が小学生の頃、荒川遊園地に一緒に行ったとき乗った記憶があります。![]()