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都議会の件

http://headlines.yahoo.cおo.jp/hl?a=20140622-00000008-asahi-soci

自民党の都議はすべからく「そんな野次は聞こえなかった」とか「イチイチ野次なんか聞いていない」とお応えになっていらっしゃいますが、この方々も野次を飛ばした本人と同罪ですね。

「お前ら全員、恥を知れ!!」と思います。

彼らの発言は、まるで「天安門事件なんてなかった」と言う中国共産党幹部の発言と同一かと思われます。

TV映像でしっかり残って、何度も何度も繰り返し放映されてきた事実であっても自国の国民を戦車で轢き殺した事を認めない。

今回の野次の映像もしっかり残っており、その声もハッキリ聞き取れるのにも係らず「聞こえなかった」「聞いていない」とシラを切る。
アンタら議会中に寝てたのか? ということですよ、ね。

こんな都議連中を選出した都民の方々も、抗議は必要ですが、それ以前に、何でこんな連中を都議に選出してしまったのか、よくよく考えてみて下さい。
選挙民である自分たちが、キチンと現状を認識して反省すべきだと思います。

特に僕らの年代は、学生時代にノンポリを決め込んで、いい加減だった事、ちゃんと認めて反省して、次の世代に何を残していけるのか考えなくちゃいけないですね。

大卒の若者が増えても民度が低いと、中国の事を揶揄出来る立場にないですね、僕たちも。

こんな野次を飛ばす議員とシラを切る議員を選出した僕たちも、ほぼ同じレベルで民度が低い市民であると認識しなくてはいけないかと思います。

佐久間正英さん

音楽プロデューサーの佐久間正英さんが、先週16日にお亡くなりになっていたそうです。

昨年末まで精力的に音楽活動を続けていらっしゃっただけに、本当に残念でなりません。

今から35年前、僕がとあるバンドのスタッフをしていた当時、佐久間さんから優しい言葉を掛けて頂いた思い出があります。

もう一度お会いして、キチンと感謝の気持ちを伝えたかったです。

佐久間さん、僕はあなたに「イイ勘してるね」と言われた一言で有頂天になり、その言葉を心の拠り所にして来ました。おかげで今まで充分に楽しい人生を送って来れたんじゃないかと思っています。ありがとうございました。

そして、心よりご冥福をお祈りいたします。 

合掌

オメデトウ

まず最初に、東北楽天イーグルスのファンの皆様へ。
オメデトウございます。
優勝の瞬間は感動しました。

球場全体が歓喜に包まれた光景は、まるでF1イタリア・グランプリでフェラーリが優勝したかのごとく、と感じ入った次第です。
その場にいたら、物凄い地鳴りを体感したことでしょうね。

小学生の頃からアンチ巨人の僕は、クラスメイトがみんな黒いGYの野球帽をかぶって登校する中、ブルーの野球帽を探して買って来て、CDのロゴマークをフエルトで作って付けてかぶってました。

その当時から星野仙一のファンだった次第で。。。。

胴上げの瞬間、嬉しかったデス。

巨人をやっつけての日本一、星野さんの念願叶って本当に良かったです。


昨日の敗戦は、星野さんの采配ミスじゃないかと思っていましたが、今日の優勝をみたら、そのお膳立てとしては最高の敗戦でしたね。

それにしても昨日160球投げて、今日も連投したマー君、本物の大投手ですね。

今日、この日にレジェンドを創ったと思います。

東北楽天イーグルスのファンの皆様、本当にオメデトウございます。






僕、個人的には8回に則本投手が高橋と阿部をやっつくてくれた時点で大満足でした(笑)。

涙が止まらない

一昨日知った佐久間正英さんの病状に関して。

何も出来ない自分が、歯がゆいというか情けないというか。
50を過ぎてなを、役立たずな自分が悔しいばかりです。

佐久間さんとお話させて頂いたのは、一度か二度だけだったかと思います。
初めてお会いした時は、ほんの数秒だけでした。 恐らく。

けれど、その数秒間の会話が、当時の僕に元気を与えて下さり、その後の僕が自分なりに歩を進め現在があるんだと思います。

1979年のGWに「無計画・原チャリ 東京→佐世保 ツーリング」を走り切った僕は東京に戻ってから旧知の平沢進サンがメジャーデビューを果たすことになった「P-MODEL」のローディーとしてスタッフに加わる事となりました。

そのP-MODELのデビュー・アルバムが佐久間さんプロデュースです。
今や大プロデューサーの佐久間さんですが、ご自身の作品は別として佐久間さんが最初にプロデュースを手掛けたのはP-MODELだったのではないかと思います。
(僕の思い違いだったらゴメンなさい)

僕自身は、P-MODELのデビュー・アルバムのレコーディングがすべて終えた以降にスタッフとして加わったので、佐久間さんのプロデュース業の現場には立ち会っていません。

1979年の夏、僕は2浪して入った大学での初めての夏休みでしたが、P-MODELのライブやTV収録、FMラジオの出演現場にず~っと帯同し、その後の約3年間、充実した音楽漬け生活を送る事となりました。

佐久間さんとお会いしたのは、そんなP-MODELスタッフになりかけの頃に、とあるTV音楽番組の収録スタジオでのことでした。
P-MODELがプラスチックスやジューシー・フルーツと一緒に収録する番組があり、そこでちょこまか下働きをしていた僕をP-MODELのメンバーが佐久間さんに紹介して下さいました。
「いま、うちらのサポートをしてくれているヤスシ君です」と。

佐久間さんは、「あ、お手伝いさん」って仰ったかと記憶しています。

「初めまして! モリモトと言います!」。
当時は超人見知りだった僕でしたが、その時は自分が出せる限りの腹からの声でご挨拶させて頂きました。(本人記憶なので、全然声出てなかったヨということもあるかも)

ひとしきりのご挨拶を終えた後、佐久間さんが
「キミ、何か楽器やるの?」と。

僕は「いえ、高校の頃はベース弾いてましたが、いまは何も」。
佐久間さん「じゃぁ何でバンドのローディーに?」。

「あ、自分は演奏下手ですけど、音楽に関わりたくて、音響関係の勉強をしたいと」という感じの返答をしどろもどろに。

「で、P-MODELかぁ。凄いね。イイ勘してる。いま日本で一番面白いことをしているバンドだからね~」と佐久間さん。

この時の佐久間さんにおっしゃって頂いた「イイ勘してる」という言葉に、僕のヤル気スイッチ入ったんじゃないかと、今もそう思います。

あれから34年。

佐久間さんは音楽の現場で日本を代表する、押しも押されぬ大プロデューサとなられました。
僕は僕で、音楽業界を離れましたが、雑誌編集者として幸せな時を過ごし、佐久間さんには及びませんが「返本率10%以下」の、いわゆる完売を何度か叩き出す雑誌の創刊メンバーとして「イイ勘」を発揮する事が出来ました。

ありがとうございました。

佐久間さんに仰っていただいた「イイ勘してる」だけで、僕は有頂天になり幸せな人生、これまでを送って来る事が出来ました。
きっと、これからも僕は自分の人生を幸せに閉じることが出来るんじゃないかと思っています。

そっとしてあげようよ

メディアの行き過ぎた取材活動は、自粛していただきたいデスね。
現場で駆けずり回っている記者やカメラマンたち、本人はスクープ欲しくて頑張っているつもりなんだろうけど、スクープなんてのは取材対象者との信頼関係がなければ取れないんじゃない? 僕は自分の経験からそう思う次第。

夜中にピンポンなんて真似、常識ある社会人なら絶対にしないよ、ね。
自分の家にそんな輩が来たら、アンタたち、どう対処する?


高いハードルを自らに課してオリンピックを目指す安藤選手には、敬服するばかりです。
早く、静かな環境で競技に集中できるようになって欲しいと願うばかりです。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130805-00000046-dal-spo&1375704774