物事を白か黒かで判断することは、
時に男性の特徴を比喩するために使われたり、
諸刃の剣の戦術として紹介されることがあると思う。
でも、”武士道”はどうだろうか。
グーグルで単語の意味を調べると、
日本の武士階級に発達した道徳 、と出てくるが、
その実態はつかみどころのないように感じる。
実際、
武士道と聞いて、私がイメージしたのは
「なんか、こう、男らしいくて、紳士的な考え?」と
拍子抜けするような答えしか出てこなかった。
だが、最近では、ネットの”フィルターバブル”
(「泡」の中に包まれたように、自分が見たい情報しか見えなくなること)
や、その手軽さからくる、心地よさが
裕に、自分の感覚を麻痺させているのではと恐怖した。
だからこそ、
「日本人」と一般的に結びつけが深い、武士道を考える
意味があるのではないかと思った。
さて、
先ほどの私の解釈をもう少し具体的にすると、
武士道とは、ある一種の道徳観念である、と考え改めた。
また、道徳と聞いて、私が真っ先に思い浮かべたのが
義務教育の中に組み込まれている「道徳の授業」だ。
教科書を作る人員、
コストが足りないと問題になっているのに、
現在まで着々と作り続けられているのだから、
そこには国も認める価値があるに違いない。
ここで、あの新渡戸稲造の言葉が面白いと思ったので、
引用していようと思う。
彼が留学先の海外で、日本人の道徳教育の根幹が
どこにあるのかと聞かれた際、
「少年時代に学んだ道徳上の戒めや正邪善悪の観念を形作った根底に「武士道があった」と答えたそうだ。
from 名古屋刀剣ワールド
綺麗に言葉に収められてある、と思った。
だけど、私の小学校では、
道徳の教科書が配布されたことがあっても、
その授業の中で「武士道」について教わったことがなかったことに気がついた。
私は武士道とは、
道徳観念と同義であると考えていた一方で、
武士道がなんなのか説明ができない。
そこで、煮詰まっていると感じたので、
一風変わって、海外ではどのように幼少期の道徳教育が
行われているのか調べてみることにした。
結論から言うと、
日本の道徳授業と同質なものは少ないのでは、と思った。
(もっと調べれば変わるかもしれない)
そもそも、ここで、私が「道徳」と言う言葉に
縛られていることに気付かされた。
本来、道徳とは、やっていいことと、
やってはいけないことを峻別するためのモラルであり、
守るべき行動の基準を、
指し示しているものであったはずだった。
これが無くては、
社会がメチャクチャになってしまう道理であり、
必然的になくてがならない教育となる。
このことから、本質、あるいは根本的には、
上記の理念を学ぶための時間が、日本で「道徳の授業」と
勝手に呼ばれているだけで、呼び方は違えど、
中身の似たものは義務教育に組み込まれているはずだ、
と考えを改めた。
結果、そうしてみると、
宗教教育をするフィンランドや、フランスの公民教育、
イギリスやアメリカの市民学習は線で繋がっているようにも
見える。
どの教育にどの長所や、
短所があるのかがわからないので、
空想の中での見解と言わざる得ないが、
世界中の教科書と、日本の
道徳の教科書には、何を書き記しているのか、と
とても興味が湧いてきた1日だった。
今度、弟に頼んで教科書を読んでみたいと思う。
参考
https://www.meihaku.jp/bushido/about-bushido/