4月になり、新しい季節になりました。

 

新しい生活の始まりだ、と喜ぶ人も多いと思いますが、私は始まりの嬉しさよりも、

 

空い気持ちの方が多いかもしれません。そんな時にこの記事を書いたので、

 

やや、文体はしんみりと暗い感じがしますし、

 

過激な表現やが含まれているかもしれません。ご注意ください。

 

あと、少々愚痴っぽい内容になっているかもしれません。

 

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僕の覚えている大工さんは、真夏の猛暑の中でも懸命に働いていた。

 

汚い服で、汚いタオルを使って顔の汗を拭いていた。

 

いやいや、熱中症になっちゃうよ、と言いたくなるような、服装と環境で体を張って仕事をしていた。

 

子供の頃は、そんな姿が、とってもかっこいいと思った。

 

そして、その人たちにも家族がいたりして、必死に働いているのだろうなとか思うと、なんか必死に応援したくなった。

 

だけど、中学生になってからは、急に世界が変わって、

 

必死で働くその人たちを見るだけでも嫌になっていた。

 

多分、どうしようもなくダメ人間に思えて、他の人たちが羨ましかったんだと思う。

 

どうしてそうなれるんだ、とクラスの人たちに叫びたかったんだと思う。

 

僕は小さい頃から、親にあれもダメ、これもダメと言われ、それに反対すると

 

「親に向かってそんな口の聞き方はなんだ」と殴られる日々を送っていた。

 

そして、言葉の暴力という言葉を知ったのも、この頃だった。

 

結婚指輪をはめたゲンコツよりも、自分に向けられた声の方が辛かった。

 

父親はあまり育児や、家事に参加せず、ただ子供が反発した時にゲンコツして

 

「俺もよくじぃじに殴られてたなー」と、懐かしがって酒を飲んでいる人だった。

 

僕にはそれが自慢話をしているように思えて、腹が立った。

 

「俺をあんたと一緒にするな」と。

 

けど、そんなことを言ったらまたゲンコツを食らうし、台所で父親のセリフに対して頷いている母親からは助けを望めない。

 

だから、真夜中に自分から家出したり、

 

時には反省しろと言われて、二時間くらい外に放り投げられた。

 

その時かどうか知らないけど、今でも夜になるとよく泣きたくなる。

 

家族ごとに色があるというなら、僕のうちは赤とか、青とか、緑ではなくて、

 

白に近かっただと思う。

 

贅沢にも、何も感じられなかった。

 

次の日は、何もなかったかのように、

 

「ちゃんと勉強してるのか?」とか、普通の会話をして始まった。

 

ここで少し愚痴るようだけど、僕は母をなかなか好きになれなかった。

 

もちろん、寮のある学校で実家を離れた時は、寂しかったし、母親のありがたみをベッドで泣きながら味わった。

 

けど、実際にあって話してみると、彼女の目に僕は映らない。

 

遠距離恋愛が嫌な人が多いらしいが、僕からしてみると、身近な人ほど遠くいた方がなんかしっくりくるのは、傷つきたくないという気持ちに押し負けてしまうからだと思う。

 

 

「〇〇さんちの長男の00くん覚えている?その子アフリカへ転校したんだって」

 

とか

 

「〇〇君んちは、朝から晩までちゃんと勉強してるんだって、すごいよね」

 

とか

 

やっと話が終わったかと思えば、

 

「なんでこんなに成績が悪いの?」とか「なんでそんなに行儀悪いの?」

 

と、もっと嫌な方に話が進んでいく。

 

気づけば、もうそこは食卓ではなく、どこかの裁判所になっていて、判決が言い渡されるまで、僕はトイレに行くことすら禁じられていた。

 

「いい加減にしてよ!」と言っても、

 

今度は母が「なんでそんなこと言うの?」とか

 

「どこでこの子の教育を間違えたんだろう」とか泣き崩れるのを見ると、

 

色々と訳がわからなくなってくる。

 

泣きたいのはこっちだよ…

 

予想外のクロスカウンターなのは間違いない。

 

そして、父親が後ろから見ている中で、強く言い返すこともできず、

 

名探偵コナンに出てくる人たちみたいに、

 

説得力のある言い訳とか、セリフなんてものは出てこなかった。

 

言葉に詰まる僕は、ただそれを受け止めるしかなかった。

 

未来の自分が教えてくれたことだけど、ここで相手の行動に対して、「なんで?」と問いただしてはいけないらしい。

 

言ってしまうと、相手はガッカリとした表情で、ため息をつくんだそうだ。

 

そう学んだ。

 

だけど、心の寂しさを慰める方法は未来の僕は教えてくれなかった。

 

そんな中、何もしないのが一番辛かった僕は自分を責めることに決めた。

 

反発したら、さらなる教育がやってくるだけ。

 

まさに1990X年。

 

だけど、漫画と違って救世主が現れないことは、子供でも理解できる。

 

でも、希望の光がない中での生活は心苦しく、

 

気づいたら自分を責めることで安らぎを得ていた。

 

しかも、面白いことに、自分を責めているはずなのに、普通に生活していたり、家族で旅行った時よりも幸せに感じた。

 

親も嫌いだったし、

 

他人よりも自分が劣っているのは、自分でも実感できたから、

 

自分がダメなのを親のせいにする自分も嫌だった。

 

ある時、父さんが飛行機で出張するって聞いた夜に、

 

「どうか父さんの飛行機が墜落しませんように、、」と夜中泣きながら神さまにお願い事をしていたこともあった。

 

これでは日中の時と言っていることがまるで生反対だし、

 

そんな軸のない自分がさらに情けなく思えたこともあった。

 

あんなに親のことをダメ出ししてたのに、

 

自分は結局何もできないんだな、と自分を卑下する夜が続いた。

 

それでも、時間はみな平等に過ぎていくものなんだな、と思う。

 

季節は変わるし、通学路に咲く花もたんぽぽから、紫陽花へと変わっていく。

 

学年も変わって、クラスメイトも変わった。

 

そしてそんな世界を見ていると、自分も歳をとったんだなとか、なんだかんだでまだ生きてるんだな自分は、とか思えたりした。

 

だけど、家に帰るとどうも自分はちっとも成長してないんだと思えた。

 

両親は相変わらずだし、自分も自分で自分を責めていた。

 

他人を変えようとしてはいけない、と本に書いてあったが、その考えがまだ残っているということは、文は読めても、それを理解することができなかったんだと思った。

 

そして、親は平気な顔で、今度は似たような教育を弟と妹にしてる。

 

父親は僕のころとは違って殴らなくなったけど、

 

母は相変わらず、他人の子と弟たちを比べたり、なんでできないの?とか言ってる。

 

それにみかねて仲裁を試みると、

 

「なんでそんなに私を責めるの」と泣かせてしまい、

 

「何お前を産んでくれた、母親を泣かしてんだよ。」と何も知るはずもない父親が割り込んでくる。

 

 

学校の教えに、両親は全く当てはまらない。

 

そう思った途端に、

 

学校で教わったことが、微生物の名前くらい全く役に立たないものに思えた。

 

今では、

 

「じゃぁ、なんで俺を産んだんだよ」とか自分の部屋で枕を叩いていた頃が懐かしく思えるが、懐かしけれども、甘味は感じられない。

 

その矛先を神様までにぶつけたことあったし、自分を殴ることで理不尽さを消そうとしていたこともあった。

 

だけど、それは世の中で価値として認めてもらえない。

 

経験したもの勝ちとは、どうゆう意味なのかいまだにわからないままだ。

 

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誰しも辛いことや、嫌なことがあるのに、こんな偉そうに書くのは

 

やはり、私は愚痴を言いたかっただけなんでしょうか、、、

 

ここまで読んでくれた方には、少し悪いことをしたかもしれません。