先日、私の大学に、本好きの人たちが集まった。

 

向こうには、目がキリッとしていて、いかにも頭がいい感じの大学教授がいて、こっちには研究員や、編集者の人がいる。

 

一人一人が全然違うのに、不思議と彼らの周りに留まっている粒子は反発する気配はない。

 

むしろ、互いに綺麗に交差し、居心地のいい空間を作っている。

 

まるで、草原のように空気が綺麗に流れている。

 

おそらくだが、彼らの途轍もない想像力と、幾多の本から学んだであろう知識や、解像度が格段に秀でており、周りにまで影響を及ぼしているのだろう、とここで自分の研究結果を発表する。

 

そんなこんなで、いきなり頭が働かされる空間に赴いた訳だが、そこでは、お互いに読んだ本を紹介し合う書評が行われようとしていた。

 

やはり読書家は違うな、と思ったのだけれど、それよりも、一人の話に、何人もの人が真剣に聞いている、という空間に幸せを感じた。

 

ある時代の画家たちは、同じ空間にたくさん人がいるのに、お互いに全く干渉しない、虚しさや、心の貧しさを描いていたと聞いたが、今の時代にもそのような場面はありふれていると思う。

 

果たして、そんな悲しい世界で、心の繋がりを肌感覚で享受できるのは、どれほどの価値があるのだろうか。

 

想像の世界に突入するが、いまだに色彩が足りない。

 

全く世界と呼ぶには空が小さすぎる。そして、繊細度が足りなすぎる。

 

すごく単調だし、端の方にはいまだにカラーが行き届いていない。

 

モネの描いた、「日の出」のような色度はいつになったら再現できるのやら。

 

世間擦れしていないし、お金を稼いだこともないけど、子供が生まれ持つ直感のように、僕の心には光の灯火のようなものがある。

 

こうゆうのを学校では、「希望」と教えているのだろうか。

 

とはいえ、僕は、まだ自分が見ている景色を文章に落とし込むのが苦手だ。

 

もっと、言えば、それを自分で断言してしまうのも苦手なのだが、、、

 

それは置いといて、とてもいい気持ちになれたので、この想いを忘れぬうちに記そうと思った。

 

ついでに、5年後とかになって、この記事を見返したら、文章がおかしすぎて笑ってんだろうな、とか想像するのも作者の特権だと心得ている。

 

そうゆう想像はわりかし得意だ。

 

もう寝る時間になってきたので、ここいらで終わりにしようと思う。

 

これを読んでいる人にも、いいことが起こることを願って。世界に幸福あれ。