ふと、気がつくと、

 

私の食事中には、いつもYOUTUBEとか、他のプラットフォームでアニメが流れている。

 

ただたに、流れている。

 

故に、そこでどんな有益な情報があったとか、どんなストーリーだったのかは何も思い出せない。

 

車窓に流れる景色のごとく、理解したようで、何も頭には残らない。

 

こんなに虚しくて、非効率的なのに、やめられないのが皮肉である。

 

昨日に出会った動画がなければ、私はこの一連の動作に疑問すら思い浮かばなかっただろう。

 

その動画は、街中で60歳以上の人たちに、人生で一番後悔していることはなんですか?、という質問をするものだった。

 

最初は、どうせプライベートなことでの後悔だろうから、この動画を見たとしても、僕にはなんの特にもならないと、思ったのだが、すぐに間違いに気づいた。

 

詳しくは説明しないが、時間の大切さ、そして、人生とはあっという間に終わってしまう、ということを思い出してくれるものだった。

 

もとの話に戻るが、食事中にYOUTUBEや他の動画を見るのには、理由があるはずなので考えてみた。

 

まず一つ目にあるのが、孤独感を紛らわすためである。

 

私は大学でも、友達が多い方ではなく、普段は一人きりで行動し、陽キャの集団の傍観者となっている。

 

普段ならそれでも別になんとも思わないのだが、自分の家に帰宅し、話す相手が誰もいないという現実を目の当たりにすると、一気に溜め込んでいた感情が露わになる。

 

そして、その寂しさと、虚無感から導かれる衝動性は、何者にも勝る。

 

誰もこの暴走を止められない。

 

暴飲暴食や、衝動買いは私だけではないはずだ。

 

そして、二つ目の理由は、何をしたら良いのか分からないからである。いや、考えたくないからである。

 

これは、いわば現実逃避だと思う。

 

食事中に動画を見ないと、明日の不安や、将来の不安が押し寄せてきて、落ち着かなくなってしまうにで、ある意味自己防衛ともいえると思うが。

 

しかし、それでは、何も解決することもなく、ただただに、その行為が繰り返されることで、さらに自分の不甲斐なさに打ちのめされる。

 

つまり、簡単にいうと、自分の気づかないように、もっともらしい理由を作っては、それに従ってきた訳だが、これからは新しいルールを作ろうと思う。

 

ある小説家が、ルールというのは、迷う余地をなくすことで、効率をよくするためにある、と言っていた気がする。

 

なので、私はこれから食事の時間の目的や、とるべき行動をルールとして脳内にプログラムし、不安や、嫌な現実から逃げなくても済むようにしようと思う。

 

もし、あなたも同じような悩みを抱えていたのなら、私と同じ方法を取る必要はないが、自身の食生活を見直す手助けとなればと思う。

 

自分が今以上に傷つく必要なんてないのだから。

 

最後に

 

私は最近になって、自分の考えや行動に愛着を持てるようになってきた。

 

昔は、自分のとる言動の一つ一つが、周りと違って、自分はどこかおかしいのではないか?、と自暴自虐になっていた。

 

だが、そんな習慣も一つの出会いや、きっかけ、刺激によって白陣ときしてしまうのだから、人生は面白いなどと、自分の運の良さを棚に上げて考えていた。