2.May.2017

 

おかげさまで、本日手術から

丸3年をむかえることができました。

特別な日花逃げることができなかった日花

だけど、とっても大切な日なのです花

 

今では全てを受け入れ、夢じゃなかったんだ、なんてもう思わなくなりました。

病気が非現実ではなく、病気が現実。

病気でなかった感覚が遠い遠い昔のようです。

 

過ぎ行く時間がそう思わせているのか、再発がそう思わせているのか、

とにかく3年前とは全然違います。

手術の日にも腹を括った!と思うのですが、

今もあぁ、腹を括ったんだな、な感覚はあります。

何度も何度も腹、括るのです花その時深く深呼吸です花

 

2014年5月2日 卵巣癌の手術を受けました。
2015年5月2日 日常を取り戻し、ブログを始めた日。
2016年5月2日 再発が色濃く、一先ず忘れてベトナム。
2017年5月2日 手術から丸3年。今日からGWでゆっくり過ごしています。


2014年1月頃、
体重があまりにもなく、腕を見ると異様に血管が浮いていた。

その時、病気の人の腕に見えるってよく言っていた。
太ももの肉がなく、足を持ち上げると脂肪?皮は流れ、骨を感じた。

どのパンツもグスグスで、お尻の肉がなかった。

仰向けになると左下腹部に出っ張りを感じ。
仕事はハード。疲れを感じないくらい麻痺していた。

4月、
肝臓の数値γGTPの数値が高く、再検査だった。

たまたま仕事が空いた18日、内科に言った。

その時背中が痛く、腎臓の病気なの?肝臓なのかな?と考えていると、先生が血液検査を見て、肝臓でも腎臓でもない。ただ、おかしな数値が見て取れる。
簡単に言うと、異常なくらい頑張ってホルモン、甲状腺ホルモンだったかな?が出ている。この状態なら出ないのに、えらく頑張って、身体を保とうと働いているホルモンの数値らしい。
ようは、全然出せない状態の分泌物が、精一杯頑張って出している状態。らしい。
先生は直ぐにホルモンバランスがおかしいから、婦人科へこの足で行って来いといった。いろんな検査で悪性の可能性が強いと言われた。

レディースクリニックの先生も、主治医も、卵巣癌とははっきり言わない。

 

 

5月1日
入院、東京から親友駆けつけて来てくれた。

どこもなにもピンピンしている状態の病院での初ご飯は

親友とおしゃべりしながらで、ベッドで食べている事以外は

とっても楽しいものだった。有り難かった。

面会時間が過ぎても個室で楽しくやっていると、主治医が様子を見に来た。

怒られるかな?と思ったが、優しい穏やかな主治医、「いいですよ、少しくらいね」。兄弟のいない私は、彼女をいつも頼りにしていて、病気の事は親よりも先に話していた。

帰りに病院のロビーまで降りたとき、彼女はいつになく真面目な顔で、泣を浮かべ。

「明日の手術がんばってよ!○○にはもっともっと生きしてほしい。私のつまらん話もっともっと聞いてもらわんとあかんよ」って。

この言葉で、自分のおかれている状況をはじめて知った。

「わたし、命にかかわる病なのだ」と。

ちょっとへらへらしていた自分にきづく。

現実から逃げていた。

彼女はそれを察していたのだろう。

しっかり手術乗り切れ!のエールだったように思う。

 

その夜、病気の事で初めて泣いた。

 

5月2日

両親に見送られ手術室へ。

何もかも初めてで、コンタクトを外した目にははっきりとしたものは見えなかったが、明るい手術室、大きなモニターがあった。

麻酔の準備がはじまり、先生に伝えたい事があるわたしは焦っていた。

先生が入って来て何やら準備をしながら、「○○さん、何ですか?」と

わたし必死で、「臍なんですが、わたしこんな形じゃなかったんです、それも見ておいてください」と。

実は数ヶ月前から臍がぽこっと出っ張っていた。術後、腫瘍が大きくなり臍を押していたのでそうなったんだと聞きうまく処置されていた。間際に話した事が恥ずかしい。

術後、わたしを呼ぶ主治医

「○○さん、手術終わりました。ちょっとね、やっぱり悪かったので全部とりました、残せなかったです。。だけどちゃんとできましたのでね。大丈夫ですからね。」とまだうっすら眠っている状態で一度目を覚ました。

 

約7時間後のHCUで目覚めたわたしは、やたらと眠たくて、母と少し会話したら、

親友が当日も来ていたらしく、もうすぐ終わるよって伝えたけど、雑誌などをどうぞって母に渡して帰ったそう。

 

今でもずっと支えてもらってばかりです花

わたしの病気のことをたくさん調べてくれます花

 

とても強がりな彼女、あまりわたしを心配させる事はいいません花

難しい持病もあります花

これ以上心配をかけてはいけないな、と思いながら

わたしはすぐに甘えてしまいます花

 

わたしは友達としてちゃんとできているのだろうか?

これから恩返ししていきたいですにこ

 

と心に誓い、当時の振り返りをしてみました。

術後4年生に進級です。

もうすぐ青あらし風薫る頃です。

青あらしに肩をふるわせた記憶、忘れる事はないけれど、

気持ちのよい青あらしの風をこれからは感じてゆきたいです花

 

 

↓術後間もない状態。尿管は取れたものの、硬膜外麻酔の管、両側ドレーンの管

たくさんのものを首からぶら下げさせられ、なんじゃこら?と思って撮影しました。

やせほそった体と、化学療法前の髪型。

 

 

↓化学療法前、髪を短くしました。

この顔めちゃ怖い顔、睨みつけ自撮り。

たしか、化学療法前の意気込みのポージング。

目の下のクマのがこわいよ。