家に帰ると、幼なじみがダンナさんを連れて
遊びに来ていました。
会うのはほぼ20年ぶり。

警察官というダンナさんは、そのお仕事のとおり、
しっかりした体格に加えて、大変人の良さそうな
表情の持ち主でした。
夕食を一家共々とりながら、昔話に花を咲かせて、
大過なく幸福に暮らしている様子に大いに安心し、
必ずまた寄るよう約束させて送り出しました。
しばらくして、丁度帰省中の妹の携帯に幼なじみからメールが入ったと
見せてくれました。

曰く、
「あなたのお兄さんは大変かっこよくなっていました。
 私のダンナも“俳優のようだった”と言っていました。」

これは自慢でも何でも無く、
おおよそそのような事が書いてあったワケですが、
もちろんまんざらでもなく、
私は妹に、それをすぐに母にも見せるよう厳命しました。
母は常々、自分の息子の器量/容姿がまるでなっていないと
思っているらしく、時に同情するような接し方で
私を狼狽させることがあるからでした。
案の定、気が乗らず断りたいと思っていた先日の見合いの話しを、
例によって私の意思に関わらず、進めている様子でした。

今、この深夜、誰からの誘いもなく、
一番最近の恥ずかしい傷心経験を思い出し、
明日の休日をどうして過ごそうかと考えながら、
ポール・ウェスターバーグの
“Waiting For Somebody”を聴きながら、

その幼なじみに言える事があるとすれば、




「どうか、僕をそっとしておいてください。
 うらやしくなんてないですから。」




風邪が長引いてすっきりしませんが、
どうにかこうにか生きています。

「元気出してはりきって行こう」と、
少し色気をだしてデザインを変えてみました。
「・・ん、なかなか可愛いじゃんか」
なんて、この歳にしてこっぱずかしいほどの出来に多少満足し、
さて日記でもつけよう、と書き始めましたが、
あまり思いつく事も無く、さっきから
ノートに向って呆然としております。

忘年会もヤマ場を過ぎてあと、2~3を残すのみ。
「今年も何もなかったにゃー。」などと貧しい知人と
頷きあい、ホントはこの年末に起死回生の一発をお見舞いしてやる
くらいの意気込みをお互い胸に隠してるのでありました。

今夜、母親の知人が懲りもせずに見合いの話しを
持ってきました。母親によると、11人目だそうです。
今までそんなにしたのかしらん。よく覚えておりません。
次から次へと縁談を壊し続け、既に何の為に見合いしてるのかすら
わからなくなってきました。
おそらく今度もダメでしょう。
例えば大学時代、クラスに40人はいた女性の中でさえ、
ピンと来る人がいなかったほど、私はその方面に神経質で且つ臆病です。
救いようがありません。
在学した4年のうち、知り合った女性は数えきれません。
ようやく、やっと、1人の女性と親しくなれたのが精一杯。

ヒステリーをぐぐっと抑えながら私を説得する母を不憫と思いつつ、
嫌なもんは嫌だと突っぱねるしかない自分が、少し悲しい人間に見えてきます。

・・だんだん年末の起死回生も危うくなってきました。
ああやっぱりね、なんて新年を迎えるんだろうなと思う次第です。
不覚にも風をひいてしまいました。
よく仮病を使って遅刻をするくせに、本当に風をひくと、
無理して出勤したり、頑張って仕事をしてしまうのは
なんでだろうと我ながら不思議でなりません。

映画のチャンネルではこういいうときに限って面白いものを
流し、続けて3作品ほど見続けたあげく、こんな時刻(いまは午前2時半)
まで夜更かしして、風邪は更に悪化するのではないだろうかと。

明日は久しぶりの休みで、予定も一応
あるにはありますが、恐らく何もできずに終わってしまうんでしょう。

私の周辺には両親の他に、数人、近しいひとがいます。
今はそれらの人に会えずにいて、互いの連絡も乏しく
もはや「近い」と思うのは私だけなのではないだろうかと、
不安になります。不安ではあるものの、かといって
つなぎの努力をするわけでもなく、
いっそ皆に忘れられてしまって、人生の新しい局面を展開してしまおう
とも思います。
が、やっぱりそれもせず、この冬をやり過ごすんだろうと思います。