小学校3年生の頃、天才てれびくんワイドのアニメコーナーの『探偵少年カゲマン』を観て、いつも『ちびまる子ちゃん』のまる子を演じているTARAKOさんが、影万太郎という男の子を演じていて、1人の人が性別や世界を越えて演じる世界に魅力を感じた。
9歳から声優になりたいと言い出した。
11歳の頃、担任の先生が新聞に声優募集の記事が出てたよと教えてくれた。
探したが見つからず、他のオーディション情報が載っててそれに応募した。
結果は合格。
いついつまでにいくら振り込むようにみたいなそんなだったと思う。
悩んだ挙句辞めた。
今思えば“養成所”だったんだなー
幼い頃は高校を卒業したら、就職するように所属出来るものだと思っていた。
小学校5〜6年生の道徳の授業で大山のぶ代さんの過去について勉強した。
演劇部に所属したことで悩みだった『ドラ声』を活かせた、その後声優になった、という話。
小学校の頃に中学生になったら演劇部に入ろうと思った。
中学2年生の頃、演劇部に所属した。
主役もやったし部長もした。
主役を演じた時、ラストシーンで暗いステージの上でスポットライトを浴びて、最後のセリフを言った瞬間にスポットライトが消える。
それがものすごい快感と達成感で、身体を使った演技にも興味を持つきっかけになった。
中学生で、声優のなり方みたいな本を読んだ。
声優は声優しかしないが、俳優は声優をすることもあるみたいな記事を読んで俳優を目指すことを決めた。
中学3年生の頃、ジャニーズという共通の趣味もあり、吹奏楽部の部長と仲が良く、学園祭で演技部と吹奏楽部のコラボレーションでダンスをすることを提案した。
練習が始まるも、時間が足りないと部員に反対され、吹奏楽部の顧問の先生に相談をしにいくと、自分はやりたいのに、自分が怒られ、納得がいかず、悔し涙を流した。
演劇部の副顧問(テニス部の顧問だけど善意で顧問をかってでてくれた先生、成人式の時に誰だっけ?と言われちょっと凹んだww)と一緒に部員を説得して、なんとかコラボレーションは実現。
時同じくして、クラスでも応援合戦でダンスを提案。
『嫌だよ、ひとりでやれば?』と言われ、『え、いいの?全然ひとりでもやるけど』と全校生徒を前に朝礼台の上でひとりダンスをする。
こんなことをしてたけどステージの下では自分を出すことが出来ず、昼休みはいつも独りだった。
当時はステージの上だけが自分を出せる唯一の場所だった。
中学生、大手レコード会社のオーディションを受けるも落選。
演劇部の副顧問の先生に脚本を評価して頂いて全国大会で優勝する程の演劇部のある高校を勧められ、入学。
けど、脚本は先生が書いてた。
で、映像系の俳優を目指そうと放送部に入部。
そこで役者をやるつもりが、顧問の先生の好みの問題で『爽やかな人を使おう』と完全に裏方に回された。
演劇部への転部を考えるも演劇部の顧問の先生から厳しい言葉を頂き、悩み、放送部を継続。
そこで映像編集を初めて学びました。
結構楽しかった。
やりがいを感じた。
今では有名な声優になったSくんが所属していた強豪校には勝てなかったけど。
不安とか、孤独感とか、
なんかわからない感覚に苦しんでた。
そんな時、Aqua TimezさんやUVERworldさんの音楽が心の支えだった。
どんな薬を飲むよりも、音楽だった。
家族の支えと、音楽の支えがあって、高校を欠席することは3年間1度もなかった。
その時、自分が支えてもらったように、人を支えられる、人の人生が変わるきっかけになるような、心が動くような、そんな感動するエンターテイメントを発信したい。
強くそう想うようになった。
これが本気で目指すきっかけだったんだと思う。
スタート地点だったんだと思う。
高校生の時かな。
中学の同窓会だろうか。
憧れの俳優さんの持ってるギターと同じギターを買った話をしたら、バンド組もうって誘ってもらえた。
そこでボーカルをした。(ギター関係ない)
歌詞を覚えるのに必死で練習してるつもりになってるダメボーカルだった。
当時誘ってくれた師匠とも言える友達は今や地元のラジオ番組も持つアーティストになった。
高校生、大手プロダクションに書類を送るも落選。
進路はすごく迷ったけど、UVERworldさんのRootsという曲のPVを観て、部活でやってた映像編集を学ぶことにしました。
大学で、軽音部とアカペラ部に所属。
軽音部はすぐ辞めちゃったけどアカペラ部で自分の未熟さを改めて痛感した。
夢を語るだけじゃ叶わない。
夢は語るものじゃない。
叶えるものだ。
動かなきゃいけない。
バンドメンバー募集掲示板でメンバーを募って結成するも、すぐに解散になった。
高校生の時に通ってた師匠とも言える友達のお母さんのボイトレ教室で、The ROOTLEESSさんがゲストに。
年末のCDTVでUVERworldさんと共演されててファンになったことを伝えると楽屋に入れてくださった。
そこで、ボーカルの野畑慎さんとお話をして、いろいろアドバイスを頂いた。
まだ間に合うよ!とか、録音はいいよ!とか、発信していきなよ!とか。
自分が未熟なままじゃ誰もついてこない。
そんな想いを抱いた時に歌ってみたというコンテンツに出会う。
ただの視聴者から4ヶ月後、機材を買って初投稿をした。
なかなか伸びず悩んでいた。
再現ミュージックビデオを投稿した時にやっと1200再生くらいいってすごく嬉しかった。
コメントは厳しかったけど。
実家に帰って、家族が寝静まった深夜1時から起きてくる6時くらいまでずっとずっとレコーディングしてた。
その頃、演技のワークショップにも通ってた。
通ってたけどなかなか舞台のチャンスは掴めずに友達や先輩の学生映画に出演する機会が多かった。
主演を務めさせてもらえたことも何度かあってありがたかった。
(続く)