前回の記事ですごく暗くなってましたが、

(いや、明るかったら変だけど)

気持ちが温かくなった事だって

お別れの中で色々とあって。その事達も。


まずは、一か月前に帰省した時。

週末を含めて二泊三日の短い帰省だった

けれども、その間私が家事をしてたのね。


お料理教室で習った事を思い出しながら

お出汁を取って、母の好きそうなものを

作った。「たくさんは食べれんよ~」と

言いながらも、残さずに食べてくれた。

その事がすごく救いになっています。

その後は入院してしまって

退院しないままだったから・・・。


あと、妹と弟の存在が、すごく救いになった。

同じように母の事を心配して、

同じように母との別れを悲しむ私の弟と妹。

母との歴史を共有する私の兄弟。

なんて大切なんだろうなぁ、と思った。

これからは助け合って生きていかねば・・・。

私は離れていても長女だから、

母の代わりに弟と妹の事を気にかけて

いこうと、改めて思った一週間でした。


フェイスブックや、ラインや、

メールなんかでお悔やみと私を気遣う

メッセージをくれたお友達。

どれも嬉しくて、涙が出た。

この場を借りて改めて、ありがとう。


ゆうとが、お葬式のあった日の明け方かな?

すごくはっきりした声で、「バイバイ!」って

言った事があって。

はっとして見てみたらゆうとは寝てたんだけど、

あれは母がお別れに来てたんだなぁと思う。


そういった事たちに、心を明るくして

もらいながら、日々を過ごしています。

まだ当分は、メソメソするだろうけど、

それは仕方ない!しない方が変だわ~。


次に更新する時は、もうちょい元気な状態で。

ではでは。

FacebookやLINEではご報告したけれど

アメブロでしかつながっていないお友達も

いるので、こちらでもご報告と、あと

記憶が薄れないうちに、思い出せる事を。


先週の13日に母が亡くなりました。

1時55分。60歳でした。


10日に私と子ども達二人が

病院に駆け付けた時には、まだ意識は

はっきりしていて(多分私が来るまでお薬の

量を控えめにしてくれていたと思われる)


私が「ホスピスに移れるって婦長さんが

言ってたけど、移動するなら家に帰りたいね」って

言った時は「そりゃそうやわ~」って言ってた。


ゆみさんが近くによって、ばぁばって言ったら

ニコっと笑ってた。


ゆうとが冷蔵庫に入ってたチーズを食べて

下にこぼしたから、私が怒ったら、

「ゆうと!あかんで!」って言って、私には

「そんな怒らんでいい」って言ってた。


そいで、ゆうとがトイレ(大)に入ってたら、

「なんか臭いww」って言ってたし、


酸素マスクがうっとおしいらしくて、

さりげなく外してはニヤっとして楽ちん~って

顔をしたりしてた。


急に私をじっと見て「これでもういつ死んでもいい?」

って聞いてきたから、ドギマギしてしまって

「いいけど・・・自宅に帰ってゆっくりしてからに

しようやー」って言ってしまった。

この時に、どうして、「いいよ、もう楽になっていいんだよ。

今まで治療すごく頑張ってくれてありがとう」って

言わなかったんだろうと、すごく後悔してる。

この時が言ってあげる最後のチャンスだった。

悔やんでも悔やみきれない。


この日は、お水を飲ませてあげたり、

むくんだ足をマッサージしながら、

“これ母の病気が分かった時に習いに行ったなぁ。

 役に立って良かったなぁ”と思ったりしてた。


11日は母の60歳の誕生日。

年金をもらうまでは死なん!!って日頃から

言ってた母だったから、この日まで頑張ったのかなぁ。

体調が許せば自宅に外出を・・・と用意していたけど

残念ながら動かせる状態にはなく。


もうこの日から、薬でうとうとしている状態。

話しかけるとうっすら目を開くし、

少し声を出したりするけど、言葉にはならず。

でも聞こえてはいると先生や看護師さんに

言われたので、家族で話しかけながら病室に付き添う。

お水はもう自分で飲めなくなってた。


一人になった時に、「お母さん、産んでくれて

育ててくれてありがとう。弟と妹も産んで育てて

くれてありがとう。今、すごく大ちゃんと茜ちゃんが

いて心強い。治療たくさん頑張ってくれてありがとう」

って言ってみた。聞こえていたかなぁ。

聞こえていたらいいけれど、もっと早くに言ってあげれば

良かった。そういう事ばっかり今は思う。


夕方に子ども達に疲れが見えたので自宅に帰宅。


12日 早朝5時前にその晩病室に付き添っていた

弟から電話があり、「脈が少なくなって血圧も低いので

病院に来てほしい」と呼ばれて、あわてて妹と向かう。

行ってみると、状態は悪いけれど、その状態で

落ち着いていた。もう目も開けなくなって、

ずっと眠っている感じ。しんどくなさそうだから

「しんどくないといいねぇ。頑張ったねぇ」と兄弟で言い合う。

すごく足がむくんでいるけど、マッサージすると

多少マシになるので、ちょいちょいマッサージ。


午後に自宅に戻り、大阪から持ち帰った仕事を済ませる。

もう一度病院に向かおうか?と思ったけれど、

叔母がその日は夜付き添うので、私と妹と弟は自宅で

待機することに。いつ呼び出しがあるか分からんから、

早めにお風呂に入って寝ようね~と言って21時に就寝。

子ども達にも家と病院の往復で疲れが見て取れる。


深夜1時50分頃、弟が「おばちゃんから電話あった」と

起こしにきたので、眠ったままの子ども達を積みこんで

車で向かう。この時は、また意識のない母の傍に

付き添うんだなぁ、と思ってた。


でも、病室についたら、なんか違和感を感じて。

??なんやろ?

って分からんかったら、弟が隣で「・・・酸素マスクが」って

言ったから、あぁそうだ、酸素マスクが外れてるんだ、

って思って、でもなんで?ってまだ分からなくて、

おばちゃんが「・・・もう。」って言った時にやっと、

あぁ、もう逝ってしまったんだと分かった。


私たち、兄弟三人とも間に合わんかった。

おばちゃんも、隣で寝ていたのに分からんかったくらい

すーっと眠ったまま逝ってしまった。

口元は少し微笑んでいて、

本当に眠っているみたいな顔だった。


しんどくなかったかなぁ。

何を考えながら逝ったんかなぁ。

家に戻って、自分ちで看取ってあげたかったなぁ、

って思う。どんだけ在宅医療の事調べても、

看取りの本を読んでも、実際に出来んかった。

それも後悔。後悔ばっかり。


あー。暗くなって来たし、

長くなったので一度ここで記事を終わります。

続きはまた今度。


今日はお正月休みの最終日。


モリ家はラウンド1に遊びに行って

スポッチャをして来ました。



釣り堀

釣り堀。

男たちだけ夢中。



サッカー

サッカーも男たちだけ夢中。笑


すごく久しぶりにローラースケート履いたけど

20年くらい昔は滑れていた記憶があるのに、

なんかヨロヨロに・・・。

月日の流れは無常だなぁ。



焼肉

焼肉してから帰りました。


あー、お休みずっと遊んだり

食べたりしてたから、

明日からまた仕事の日々に戻れるかしら。


スポッチャの中にあったゲームコーナーで

ボクシングのゲームをチョス兄と一緒に

夢中になってやってたら、

腕がすごいダルい・・・。

焼肉食べる時に箸がプルプルするくらい。

これは、きっと明日筋肉痛だぁ!!

パソコンのキーボートが叩けなかったら

仕事にならない・・・笑


実家の方は雪がすごそうなので、

今月の末の週末に帰ろうかなぁと

思っているけど、どうかな~。

大ちゃんはインフルエンザにかかり、

母も風邪が中々治らないみたいです。

早く良くなるといいが。


ではでは!

ゆみっさんが私と茂が冬休みに

入ったタイミングで発熱。


もう小児科も正月休みだし、

救急にかかるほどでは無さそうだな~と

家でゆったりしてました。

二日間ほど三十八度のお熱だったけど、

どうやら回復した様子。


良かった良かった!

大掃除がのびのびになって

やっと今日終わったけど。

そして今まで(栗きんとん以外)作った

ことなかったけど、おせちの用意も

なんとか終わった。


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あとはダウンタウン見ながら

のんびり年越しです。


皆さま良いお年を~♪