本当は昨日記事を上げたかったけど、1日遅れになってしまった
1997年7月6日 森且行選手は川口オートレース場でオートレーサーとしてデビューを果たしました。
あの日から丸25年。
森くん、デビュー25周年おめでとうございます
この記念すべき年をレース場ではなく、療養生活で迎えたこと・・・一番悔しいのはご本人だと思いますが
私は、25年経った今も、あなたが現役のオートレーサーであることに大きな拍手を送りたい
SMAPから転身する時の世間の声は
「どうせすぐに辞めるだろう」「アイドルだった男があんな厳しい勝負の世界で通用するはずがない」
概ねそんな感じだった記憶。
正直に言えば、ファンですら、未来には不安ばかりだった。
でもあなたはそんな冷ややかな世間の視線を跳ね返して、デビュー戦では見事1着を飾り
その後も着実に歩みを進めて、とうとう日本一のタイトルまで掴み取った
本当に凄いことだと思います。
同期の中にはもう現役を引退した方もいれば、残念ながら殉職した方もいる・・・
それを思う時、幾度となく怪我をして、1年半前は命すらも危ぶまれるような状況に陥ったのに、そこからまた這い上がり25周年をレーサーとして(リハビリ中ではあるけど)迎えられたことは奇跡のように思うのです。
森くんのオートへの情熱、逆境でもくじけない不屈の闘志、そして仲間の支えと・・・神様のご加護。
どれが欠けても今この瞬間はなかったと思うから、あなたが「森且行選手」として存在している25周年を、心から慶びたい。
森くんの25年間を、私の手元にあるスポーツ新聞で振り返ってみます。
関西にはオートレース場がないので、私は森くんがその道に進むまで「オートレース」という競技そのものを知らなかったぐらいなので
関西版のスポーツ新聞に載るギャンブル情報もオートレース以外の三競技(競輪・競馬・ボート)のみ。
そんなオート未開の地で、必死で集めた新聞記事。
関東の友人に頼んで送ってもらったり、新聞社から取り寄せたり・・・色々やって集めたもの。
彼の歩みの全てにはとうてい足りないけれど、お祝いの気持ちとして貼ります。
よろしければ、ご覧ください。
1997年7月7日 レーサーデビューを1着で飾った一面記事
これは大きな話題になったので、全国紙の一面トップ扱い。
ですが、この後はなかなか大きな記事になることはなく・・・(*私の知る限り)
私の持っている新聞はそこから約8年の空白があります。
2005年2月 サンケイスポーツの特集。
オートレーサー森且行にロングインタビューを試みた前後編2日に分けての記事。
ただし、関東版のみ。
当時の森くんはメディアに登場することが珍しく(極力取材を断っていたと聞きました)
こんなに大きな記事になったことに驚きました。
このインタビューの中で「自分の影響力をどう思う?」と尋ねられた森くんは
「SGを獲れってことだよね。僕が勝てば宣伝になるのはわかってる。勝ちたくて僕もやってるんだけど、でもそれが一番難しい問題」
と語っています。
この時レーサー生活8年目の31歳。
森くんにかけられる期待の大きさと闘う日々だったのが伝わってきます…
そこから更に月日が流れ
こちらは2008年12月の記事。
まだ大きなタイトルは獲ってなかったけど、日々コツコツと積み上げた戦績で川口地区のNo.1となり、念願の年末のビッグレース「スーパースター王座決定戦」に初出場を決めた森くん。
PRポスターのモデルにもなっていたのでレース前に各新聞社をPR行脚していたワンショット。
この頃の森くんはすごく調子が良くて
実際のスーパースター王座決定戦のトライアル(予選)初日は見事に1着で幸先の良いスタートが切れたので、これは優勝が期待出来るかも!と、大いにファンが沸いていたのですが・・・
2008年12月29日の、残酷な紙面・・・
好事魔多しとしか言いようがない・・・
森くんは2日目のレースで無念の落車。勝ち上がり権利を失います。
落車した直後の姿と、そして、苦しそうに顔を歪める森くんの写真・・・見出しには「森の夢が散った・・・」
私の手元にある中で読むのが辛い記事の一つ。
でも、これを乗り越えたからこそ、より彼は強くなったとも思うわけで。
大事なレースで落車はしても、彼が年間成績のベスト16に選出されたトップクラスのレーサーであることは事実。
なので、2009年の1月1日には、このように「オートの顔」としての活躍を期待する特集に登場しています。
元日にバーン!と記事にされるってことは、今年の業界の期待を背負っている証拠。
ファンにとっても実に晴れがましい記事で嬉しかったなぁ。
そして、その期待に応えるように
2009年1月
SGではないけど「記念」と呼ばれるグレードレースのGⅠを、とうとう森くんは勝ちました!
初制覇です
これは大きな話題になったので関西版にも載って嬉しかった・・・けど・・モノクロ
関東はカラー記事だったのに(苦笑)
「やっと獲れました。遅くなってすいません」の言葉が印象的でした・・・
森くんのこのGⅠ初制覇から3日後、SMAPのメンバーがテレ朝の生番組「SMAPがんばりますっ!」で
「森、おめでとう!」ってみんなで直接祝福を送ったんですよね・・・ウルウル
そして、それから2か月後の
2009年3月。
スポーツニッポンの特集でも森くんが取り上げられました(ただし、こちらも関東版のみ)
特別GⅠプレミアムカップのPRも兼ねた特集であることは記事の下の部分にレース開催日程が書いてあることでもわかるかと(笑)
「さらなる高みへ」の見出しでもわかるように
この頃の森くんは初めてGⅠを制した勢いもあって全国ランクも自身最高位の5位まで上がり、最もSG優勝に近い、と言われていた頃です。
なのでこのような↑特集記事が作られたわけですね。
それこそオート界の期待を一身に背負っていた頃・・・
>人気に実力が追いついた
なんて失礼な書き方されてますけど(苦笑)
この記事で目を引くのは1月のGⅠ制覇をSMAPのメンバーが生放送で祝福した、という話に触れられていること。
当時、森くんとSMAPを絡めて記事に書くことは稀でしたから。
あの生祝福を
「うれしかった」と語った森くんの言葉がとても印象的な記事でした
森くん自身はまだ「あまり表に立ちたくない」と思っていた時期だと思うけど
やっぱり彼の持つネームバリューや、持ち前の「華」はオート業界やスポ紙にとっては格好の宣伝材料ですから
ビッグなレースの前にはこうやってPRのための紙面が組まれることも増えていました。
これなんか、凄いよね↑
ドカンと見開きの森くん・・・ 森をでっかく載せときゃとりあえず女子は買うだろ、的な?ww
そんな魂胆がミエミエですが、まんまと乗ってる自分だった(苦笑)
森くんのニーズはこの頃からオート界だけにとどまらず・・・
今もしょっちゅうオファーがかかるボートレース業界のお仕事も、結構前からやってます(笑)
こちら、紙面で舟券予想してる記事。
意外と何度もやってますwww
プライベートで仲良しの篠崎選手とのPR記事も。
ホントにモテモテですね、スポ紙に(笑)
きっと森くんが載ったら売り上げが違うんだと思う。確実に。
本業のオートレーサーとしては、2010年12月に、スポ紙ではなく一般紙の紙面を飾ったインタビューも印象に残っています。
45人の「スポーツ」に携わる人々を追ったレポとインタビュー記事で構成された「心の聖地」という特集。
のちにこの記事はアスリートのインタビューを集めた一冊の本として2012年に出版されるのですが、今までのスポ紙のインタビューとは明らかに一線を画す深いインタビュー内容に感動したものです。
40歳までに日本一になれなかったら辞めるかも(この時36歳)という決意や
アイドルだったことは重荷にはなってない、と過去を肯定的に捉える発言があったり・・・でも、現状では仲間との共演はない。絶対日本一になるって言って出てきたから。
というような、彼の心の内側を知ることの出来る記事でした。
そう。
どれだけ否定しようとも、森くんがその話に何も触れなくても
周囲はやっぱり「元SMAP」としての彼に期待し、一般大衆が喜ぶようなメンバーとのエピソードを欲している面があると、何度もスポ紙で痛感しました。
こんな期待値MAXの憶測記事も平気で出るし(いわゆる根も葉もないデマ)
ビートたけしさんと共演したら、じゃあ次はSMAPと共演か!なんて勝手にはしゃぐし・・・
森くんも色々と大変だったと思います・・・お察しします。
でも彼いわくの「業界をなくさないために腹を括った」時期(船橋オートの閉鎖)以降は
オートの宣伝のために積極的にイベントにも出るようになり
そしてちょっとずつ、昔の仲間の話にも触れ始めましたね・・・
2014年12月の記事。
「仲間の存在は仕事の内容が違うので普段はあまり意識してない。でも刺激になっている」と語る森くん。
SMAPが解散し、地図の3人が事務所の退社を発表した時は、森くんのイベントにマスコミが大勢詰めかけて、彼の発言の一部をクローズアップしてこういう記事になっちゃうしさ・・・
2017年6月ね。
まあ森くんも嫌な顔しないで(この頃になるとNGワードは無くなっていた模様)
聞かれたら堂々とメンバーのこと、答えるようになってましたけど(笑)
でも、まさか本当にこんな日が来るなんて・・・
ちょっと信じられなかった2017年11月4日の記事。
まさに「新しい別の窓」が開いた、と思った瞬間です。
森くん自身も後に「この再会で自分のスイッチが入った」と言っていたように
この後、森くんの人生の賽の目はどんどん良い方向に転がり始めたんじゃないかな・・・と思います。
3人と再会後まもなく、森くんはパチンコ台のモデルにもなりました。
そのことを紹介した2017年12月の記事。
色んな面で世間の注目を集めて、森くんはより一層輝きを増したように思います。
2018年8月。
デイリースポーツ70周年のお祝いインタビューに答える森くん。
そうか、強火森担のデイリーさんは、この頃から森推しなのね(笑)
同じ日のデイリースポーツ。
こちらはカープライスのイメージキャラクターになった記者発表で、SMAPのメンバーの話をバンバン出した(だって、囲み取材でレポーターが聞いたんだもんね)
っていう記事(笑)
オートレーサーとして、5人とは別の道を歩きながらも、仲間へのリスペクトを隠さない森くんに
世間の好感度は増すばかり
そして・・・
とうとう、「約束」が果たされた日の翌日。
2020年11月4日は、全スポ紙が「森且行」祭りでした
日刊スポーツ
大阪スポーツ(東スポの関西版)
サンケイスポーツ
スポーツニッポン(保存状態が悪くてシワ寄っちゃってすいません)
あれほど幸せな気持ちで全スポ紙を買い漁った日はなかったなぁ・・・
と、今思い出しても胸が熱くなります。
けれど
禍福は糾える縄の如し
栄光の瞬間からわずか2ヶ月ちょっとで、森くんはあの事故に遭う・・・
2021年2月10日。
怪我の状態と復帰までに要する時間について公式から発表があった記事。
神様は本当に意地悪だ・・・・と思ったあの日
でも、そこから驚異の回復力と諦めない気持ちで、もう一度ファンの前に姿を現した森くんの記事が2022年4月16日。
凄いよね・・・本当に凄い。
そして、記憶に新しい2022年6月13日。
1年5か月ぶりにオーバルに戻ってきた日の記事。
これが私の手元にある一番新しい新聞です。
振り返れば、本当に何と波乱万丈な彼のレーサー人生。
色んなものを背負いながらのここまでの道程・・・決して平坦ではなかったと思うけれど
最初にも書いたように
オートへのあくなき情熱、何事も諦めない心、そして仲間の支えと神様のご加護が、彼にはあると思うから
きっと、これから先のオートレース人生も明るいと私は信じています。
これからも、あなたには「夢」を追っていてほしい。
その姿を見ることが私にとっての喜びです。
森くんの記事を集めることはもう私のライフワークになっているから(笑)
これからも沢山、良い記事嬉しい記事が手元に残ることを期待しています。
もちろん、復活の日のスポ紙は全部買占めますよ、って今から宣言しておこう(爆)
森くん
レーサーデビュー25周年、心からお祝い申し上げます。
そして、ここから先はあなたの仲間がグループとして迎えられなかった領域に入っていくわけで・・・
続けていくことの大変さと向き合う日々にもなると思いますが
次の節目である「30周年」は、レース場で迎えられるといいですね。
期待しています
っていう話を、デビュー記念日から1日ズレて書くマヌケな私ですが(汗)
まずは、お体大切に!
復帰の日をキリンの首で待ってますね!
という言葉でこの記事を締めたいと思います。
森くんのレーサーデビュー25周年に、乾杯!
あなたの未来に幸あれ!