1987年当時、児童精神医学はまだ神経科学を取り入れてなかった。実際、脳とその発達に関する研究は1980年代に大きく発展したが、飛躍的に進歩したのは1990年代(脳の10年)に入ってからで、このころはまだ特に臨床の診断などにはその影響は及んできていなかった。
それどころか、心理学者や精神科医の多くは人間の行動の分析に生物学的な視点を持ち込むことに強い反発を示していた。そんなふうに解釈するのは、機械的で人間性を無視していると考えられていた。人間の行動を生物学的な現象として捉えるとうことは全て遺伝子のせいだと考え、自由意志や創造性の入る余地などなく、貧しさのような環境的な要因さえ考慮に入れないのだろうと決めつけられていたのだ。 p34 「犬として育てられた少年ー子どもの脳とトラウマ」より
心や精神を脳の現象として捉えることに関して哲学者、心理学者は抵抗がある。自分もそうだった。今も精神現象を脳科学に還元して捉えることの意義と限界を考える。
直感的に色々な感情や悩みを脳の構造で説明されてしまうことに、虚しさを感じる人と、その説明を単純に受け入れて生活に生かそうとする2つのタイプがある気がする。
自分は前者のタイプで、それは単純にそう説明されてもそれが実行できないし、実現しないからだと思う。後者のタイプはそれが実現しなくてもあまりくよくよしない。出来ないなら出来ないし、出来るなら出来る。
そのさばさば感はうらやましい限りだ。
ビジネスマンや多くの人はこういうタイプだ。 その逆のタイプは人文系や芸術家などに多いきがする。理想主義者で完璧主義者だ。
あら探しに目がいってしまう。
理屈抜きで自分はビジネスマンタイプになりたいものだ。
あら探しはもう飽きたわー
それどころか、心理学者や精神科医の多くは人間の行動の分析に生物学的な視点を持ち込むことに強い反発を示していた。そんなふうに解釈するのは、機械的で人間性を無視していると考えられていた。人間の行動を生物学的な現象として捉えるとうことは全て遺伝子のせいだと考え、自由意志や創造性の入る余地などなく、貧しさのような環境的な要因さえ考慮に入れないのだろうと決めつけられていたのだ。 p34 「犬として育てられた少年ー子どもの脳とトラウマ」より
心や精神を脳の現象として捉えることに関して哲学者、心理学者は抵抗がある。自分もそうだった。今も精神現象を脳科学に還元して捉えることの意義と限界を考える。
直感的に色々な感情や悩みを脳の構造で説明されてしまうことに、虚しさを感じる人と、その説明を単純に受け入れて生活に生かそうとする2つのタイプがある気がする。
自分は前者のタイプで、それは単純にそう説明されてもそれが実行できないし、実現しないからだと思う。後者のタイプはそれが実現しなくてもあまりくよくよしない。出来ないなら出来ないし、出来るなら出来る。
そのさばさば感はうらやましい限りだ。
ビジネスマンや多くの人はこういうタイプだ。 その逆のタイプは人文系や芸術家などに多いきがする。理想主義者で完璧主義者だ。
あら探しに目がいってしまう。
理屈抜きで自分はビジネスマンタイプになりたいものだ。
あら探しはもう飽きたわー