こんにちはマイソウルメイト森田遊です。
しつこくWBC野球の話題で始まりますが、
日本は韓国に負けたと思ったら、敗者復活戦でキュ-バを敗り、
「さすが楽天、岩隈投手」また準決勝で再び韓国とやるそうです。
いったいアジア予選から数えて、何回韓国と試合すればよいのでしょう。
確かト-ナメント大会のはずなのに
やはり日本は韓国とは常に昔からいろいろな意味で、因縁の国同士なのでしょう。
それでは昨日までちょっと重いテ-マが続いたので、
今日は私が17年程前にやっていた歌手のバックバンドのお話をさせて頂きます。
当時今でも旬である東京ディズニーランドの側にある
東京ベイシェラトンホテルのお洒落なバ-で、
スタンダードジャズなどをピアノ演奏させていただきました。
演奏が終わった時に、ある女性の方から声をかけられ、
「ピアノ凄くいい感じですね。よかったら事務所に入り、
有名歌手のバックバンドやりませんか?」と。
当時、シンガーソングライターに憧れてましたが、
う~ん有名歌手のバックバンドか……
何かのきっかけで音楽業界に出れるかもしれない。
そう思い、早速そのバックバンドのバンドマスター(今はこんな言葉死語です)に
合わせてもらい、その当時かなりの給料を約束してくれました。
しかし、憧れと現実は日本と地球の裏側ぐらいかけ離れていました
事務所は美川憲一さんをかかえている事務所で、
ピアノ、シンセサイザ-という楽器担当で所属させていただきました。
当然、当時猛烈な勢いで再び売れ始めた美川さんのバックバンドはもちろんですが、
全国ツアーたくさん行かせていただきました。
そのほかに美川さんのツアーがない場合、ほとんど半年間休みがなく、
別の歌手やホストクラブ、ダンスホ-ル(この言葉も死語です)で
夜8時半から朝の6時頃まで、延々と演奏させられたわけです。
歌謡曲、スタンダードジャズ、ラテン、タンゴ、演歌……
分厚い譜面を渡され、演奏を間違えたものならば休憩室と言われる、
(これもボロビルの非常階段の片隅………もちろん外です)のところで
バンドマスターがビルの非常階段の壊れかけのドアを思い切り蹴飛ばし(本当です)、
「コラァ何ボロボロ間違えてるんだよやる気あるのかおまえ」
入りたての僕はもちろんですが、必ず誰か、怒鳴られてました。
演奏は30分やって休憩30分なのですが、
休憩時間は必ず80%以上の確率でこのノリでした
考えても見てください。例えば真冬の寒い深夜2時頃演奏に疲れ果てた若造の僕らは、
ステージ衣装をきたまま、分厚い楽譜を読むふりをしながら、
バンドマスターに毎晩、毎夜中、怒鳴られるのです
そして明け方やっと演奏が終わり自宅へ自分の車でやっと帰れると思ったら、
大きな間違えです次は、
「はい……美川さんのステージ今日あるからやるから今から各自楽器を片付け、
横須賀市民文化会館に集合。着いたら一時間仮眠。以上!」
冷静に考えてみてください笑。疲れ果てた身体、休むどころか、寝れないのです
新宿のホストクラブで明け方まで演奏、寝ないで、美川さんのバックバンド。
今思い出すと、よく死ななかったなあと
だって、行く場所は違いますが、必ずこのパターンなのです。
明け方まで演奏。そして美川さんのバックバンド。
今から考えれば、明日どこに仕事に行くかあまり教えてくれないのです
演奏したら次の場所・・・これを半年間以上、お金の為、夢の為と頑張っていたんですが、
僕自身で常に人間としての感情をゼロに、勝手にリセットしていた気がします
そうでなければ、まともに考えたら気が狂う数センチ手前だったと思います。
今から考えればこの時の地獄の「すいません」の修業が、
経験が30歳以降の僕のどれだけ血となり肉となったか………
その当時のバンドマスター、本当にお世話になりありがとうございました。
という気持ちなのですが、今から20代のその頃には、二度と戻りたくありません
どんなに若返っても〓死にます(笑)
先輩のバックバンドの方がよく言ってました。楽屋で、
「俺達はさあ、士農工商よりも身分が下だよなぁ。
森田君っていったっけそこの若いの………早くこの業界足洗ったほうがいいよ」
よく言われてました
何度もいいます。ギャラは決して悪くないのですが、
要は毎日ミステリーツアーみたいなどこに連れてかれて演奏させられるかわからない
これが、人間の地獄なのです。
この続きはまた明日同じバックバンドでベ-スを弾いていた三浦君。懐かしい………
「森田君、少し食べるの遅いよ。うどんは30秒で食べなければ。噛むからいけないんだよ………」
早飯は原則であったバックバンド業界。
僕はマジで三浦君にうどんは30秒伝説を叩き込まれました
だから私は今でも食べるのは凄く速いのです。
今日もありがとうございました。
by You Morita