その五 ~33歳になったショッカー戦闘員~
前回のブログに対する鮒田氏のコメントでも分かるように、
20世紀末に
年間6本もの本番をしたThe Stone Ageは、
とあるジレンマにかかっていた。
必死になって走っている間は良いけど、
疲れて立ち止まった時ほど、次に歩き出すのが遅い時がある。
思いは強いのだが、次の一歩が踏み出せない。
だけど皆遊んでいた訳じゃない、
あの者は客演に、ある者は映画に、ある者は仲間を増やしに動いていたのだ。
そうして、満を持して一人の男が立ち上がった!その名は坂本顕。
プロデュース公演「将来の夢は世界征服!」(2001年7月ウィングフィールド)
ショッカー隊員や地獄大使の苦悩が、コミカルにテーマ性を持って描かれている。
私はこの舞台に参加できなかった。
と、言うのも前述した安田真奈監督が、関西テレビバックアップで映画を撮っており、
その撮影監督を務めていた上に、自劇団の公演も重なったのだ。
だからThe Stone Ageが、このような舞台を企画していたとも知らなかった。
そして久々に純粋にお客として観劇した。
この舞台の主役は、ショッカー戦闘員の坂本顕(当時33歳)である。
坂本顕がショッカーですよ、無茶苦茶おもろかった!
後で「なんでスタッフ参加させてくれへんかってん!」と、逆恨みを述べた。
もう一度言おう「坂本顕のショッカー戦闘員」のキレっぷりは見事だった。
彼の舞台上のスタンスは、この作品で確立されたと言っていい。…と思う。
残念なことに、中井正樹は一週間前まで他の舞台に出ていたために、
<中井正樹・緒方晋・井上恵治(HUE)のユニット公演>大きな出番は無かったが、
仮面ライダーと行動を共にする捜査官役として、ピンポイントに笑いを取っていた。
鮒田氏は鮒田氏で飄々とした演技を披露し、舞台上を常にコントロールしていたのだ。
更にこの舞台にて、今後を左右する大きな出会いをThe Stone Ageはする。
地獄大使役のアサダタイキである。
アサダ氏が地獄大使の姿で現れた時は、舞台上の空間が歪んでみえた。
本当である。
その位に雰囲気を持ってThe Stone Ageの初舞台を踏んだ。
そして彼独特の高い声を、あえてトーンを下げての口調と、
メガネを外した時の鋭い顔つき。何よりもシュールなコントセンス。
ある意味、殴り込みである。
彼のトレードマークのメガネは、あの鋭い顔つきを隠し、
コミカルに見せる為のアイテムであることを、この舞台を思い出して気づいた。
そしてアサダ氏は、この作品の脚本の一端を担っており、
その後は彼はThe Stone Ageに入団する。本当に貴重な出会いだ。
あっ、忘れかけていた、ショッカー戦闘員の一明一人もそうである。
彼の第一印象は「何て黒タイツの似合う奴」だと思った。
更に、あえて(?)オカマっぽいキャラを作り、“怪人ハチ女”の金明玉さんと共に、
男の世界であるはずのショッカー軍団に花を添えてくれた。
されど驚くこと無かれ!
一明一人は、実は陸上競技でのインターハイ選手だったのだ。
そこも男の世界、いかなる花を添えていたのだろうか?
彼はその後、森世まゆみさんと同じく、
The Stone Ageの多くの舞台に多数出演し、“名脇役”として現在に至っている。
水野さんの衣装も見事だった。
ショッカー戦闘員とハチ女のコスチュームを完全に再現したのだ。
舞台中に映像が流れる。
それはハチ女が仮面ライダーに“ライダーキック”を喰らって、
崖を転げ落ちるというもの。
「うわぁ!The Stone Ageも、よくハードな映像を作ったな。
崖を転がり落ちたのは緒方晋かな?」と思っていた、さに在らず!
その映像だけは本物の仮面ライダーのビデオだったのだ。
ハチ女の衣装が全く同じなので、すっかりされてしまった。
偽物のレベルが高すぎて信用してしまい、本物を疑ったのだ。
水野さんには今もThe Stone Ageを手伝ってくれている。
こうしてみると現在のThe Stone Ageは、この時に出来たのだ。
スタッフとして参加できなかった自分が、本当に悔しく思う。そんな舞台だった。
ちょっと待て。今回は、何故ここまで緒方晋の名前が出てこないんだ。
HPのステージ記録の「将来の夢は~」紹介欄には、
役者として一番上に名前が載っているのだか…。
“看板俳優”は、あの舞台で何をしていただろうか?
これだけがどうしても思い出せない。
…どーしても思い出せない。鮒田さん。
申し訳ないけど、後でこっそり答えを教えてくれないだろうか?
つづく
次回は「物の怪の棲む橋の下で“看板俳優”が小さく吼える!」
その四 ~みんな、赤い男になりたかった~
主演男優が役になりきり過ぎて、
段取りと演出を無視して暴走し、脇役に回されるステージがある。
よくありそうな話で、The Stone Ageもこれをやった。但し物語の中で。
第4回公演「赤い男」 (2000年2月 シアトリカル應典院)である。
舞台は遊園地のヒーローショー控え室。
ヒーローショーが廃止される事となったが、
そこで働くメンバーが継続する為、あの手この手を考えて、
最後に新しい出し物を開拓して練習をする。
ラストクライマックスの練習シーンは、
実際に舞台上でヒーローショーを再現した。
この脚本は中井正樹。彼の才能を垣間見ることの出来る内容である。
ちなみに普段は作・演出の鮒田氏も役者として出ており、
ブースの中にエロポスターを貼りまくっている音響マンを演じていた。
(ちなみにモデルは私じゃないよ。)
皆さんはお気付きだろうか?
実はThe Stone Ageの舞台はコスプレが多いことを。
その始まりとなったのが「赤い男」である。
ヒーロー・レッドマン:緒方晋 有田誠
ヒーローの部下・馬のヒッヒーン丸:有田誠 緒方晋
悪役・電撃星人ビリビリ:坂本顕
ヒロイン・ピンキーマーガレット:斉藤幸枝
拉致される少年・のぼる君:森世まゆみ
この公演で使った衣装は、
その後各方面のイベントに貸し出されて活躍することとなる。
私の担当する音響も大変だった。
私がその部分の脚本をもらったのは、本番1週間前。
読んだ瞬間「ホントにするの?」と、聞いた覚えがある。
ヒーローショーをする様な音響は持っていない。
すると坂本氏が
「ウルトラマンと仮面ライダー関係のサントラなら持っている。」との言葉。
この瞬間、悪魔が天使に見えた。
そして持ってきてくれた、10枚にわたるLPレコードを。
なんでレコードやねん!
どーやってダビングするどころか、再生すら出来ない。
すると今度は、本物の天使が微笑んだ。
借りていた練習場の片隅に、レコードプレーヤーが転がっていたのだ。
かなりの年代ものだったが、無事に再生でき、これを基に音響を作りこんでいった。
ここで皆さん、上記のレッドマンとヒッヒーン丸の欄に、
緒方と有田の2名を書いているのに気づいたでしょうか?
そう!冒頭に書いた「主役を降ろされる役」の主役を演じたのが緒方晋である。
緒方晋は、この複雑な役を見事に演じきった。
それこそ、今後の自分の立場が現実になるかのように。
坂本氏のキレ芸も益々磨きがかかり、
ピンキーマーガレットの斉藤さんもコスプレにノリノリで、
事務員役で最後にのぼる君を演じる森世さんは、
以前に所属していた劇団で少年役をしていた経験もあって、とてもハマッテいた。
レッドマンを演じた有田君は、
動きがとにかく異常でアドリブの一言々々が爆笑だった。
本番終了後
「緒方君より、有田君のレッドマンの方が面白いな。
途中は有田君が主役やったで」
と言った私に対して、主演男優は、苦し紛にノタマッタのだ。
「ええよ。だって俺は看板役者やから」
“自称”看板役者の誕生である。
つづく
次回は
「“地獄大使”アサダタイキと“ショッカー戦闘員”一明一人が初登場!」
その三 ~1999年のThe Stone Age~
20世紀最後の年、1999年のThe Stone Ageは大忙しだった。
5月初旬の第2回公演「そちらを右に曲がってー」に始まり、
これだけの舞台をしたのだ。
コントライブ「東洋の皮肉図鑑」 1999年 6月 ワッハ上方レッスンルーム
第3回公演「ファウル!ファウル!!ファウル!!!」1999年9月 シアトリカル應典院
コントライブ「キャラクターBOX」 1999年11月 ワッハ上方レッスンルーム
年間4回も舞台をする劇団がどこにおんねん!しかも全部新作で。
※さらに、この他にも、フリーペーパー「THE BAG magazine」主催の
≪バグマガビーム’99≫に出演。(1999年10月 扇町ミュージアムスクエア)
こうして書くとThe Stone Ageは、いろんな種類の舞台をしてきた。
そして、少しずつ今のスタイルを作っていったのだ。
その最たるものが、上に上げているコントライブと第3回公演である。
コントライブでは、ナンセンスギャグを連発してくれた。
「東洋の皮肉館」の音響打ち合わせのため、
練習場に行った私を待ち受けていたのは、どんぐりの格好をした福谷さん。
彼は退団したものの、坂本氏の書き込みで時々いじられているのから、
皆さん結構ご存知と思う。
その日の練習場は難波だった。
小柄な福谷さんが、前身タイツ姿でロビーを歩いているのを見たとき、
私は危ないオッサンが紛れ込んだのかと思った。
それくらい似合っていたのだ、怖いくらいに。
その他、奇人の有田さんや、緒方君をケーブルTVのリポーターに
抜擢したあでのしんさんも参加していた。
ナンセンスとは言え、それぞれの個性が活きたライブだった。
「ファウル!ファウル!!ファウル!!!」は、
野球場の外野席でホームランボールを待つ男の話。
前回のコントライブと異なり、お笑いをほとんど導入しなかった。
ただ一箇所、爆笑がきた、中井正樹である。
それまで繊細なハンサムキャラで売っていた彼だが、
この舞台では、ちょっとオタクな学校の先生を演じる。
アドリブで展開した恋愛論が面白かった上にオチまで付いた。
このネタが受けたおかげで、彼は大きな変貌を遂げる。
この舞台は物語が静かに展開していく。
The Stone Ageも、このような作品を演じていたのである。
そして11月の「キャラクターBOX」。
ここで無敵のキャラクターが誕生する。
パンイチ男優「中井マサキング」である!
演目は「啓発セミナー」あの時の状況は、今でもまぶたに焼き付いている。
自分を変えたくって、自己啓発のためにセミナーに来る女の子の話。
と言うよりも、そこで講師をする変態インストラクターの話!!
インストラクター(中井正樹)と助手の女の子(屋良さん)が、啓発トレーニングしているところに、
お客さんの女の子(斎藤さん)がやって来る。
リハーサルの時、斎藤さんはスウェット姿、
中井君はハリセンを持ったシャー時姿で軽く流していたはず。
それが本番で急変する。
暗転の中、派手なビートが流れて照明が付くと・・・レオタード姿の屋良さんと、
パンイチ姿にサラダオイルを全身にまぶしたマサキングが立っていた。
あまりの驚きに、音響の私は音量を下げるタイミングを失い、
照明の女性は思わず暗転しようとした程だ!!
まるで見てはいけない物を、見てしまったかの様に。
そんな二人が
「はーい、はーい。恥ずかしいことを思いっきりすることで
自分を変えていくんだ~!1.2.3しゃがんで~、ウ○コぶりぶり~!!」
リハーサルではそんなセリフを言ってなかったはず。
お客が置き去りにされるかと思った瞬間、
普通のスーツ姿で新しい参加者として、斉藤さんが登場し、
シュールなネタが大受けの爆笑だった。
味を占めたマサキングは、
後日そのキャラを“HEP HALL”という舞台で、余すことなく炸裂させる。
その他のコントも面白かった。
坂本氏のキレ芸が出だしたのも、このコントライブからだった。
出来れば、もう一度コントライブをして欲しい。そう思っているファンは、私だけだろうか?
次回は、某「主演男優」が「劇団の看板俳優」と主張しだした頃の話をしよう。
つづく。
その二 ~悪魔が微笑む時~
The Stone Ageには悪魔がいる。
その名も”坂本顕”。
「笑いの悪魔」っぷりはSALT MAKERS時代から健在である。
こんな話がある。
「SALT MAKERS」時代の作品
「流・行・写・真」(97年12月ウィングフィールド)に、
客演として劇団「遊気舎」から岡田美子さんが参加した。
当時の岡田さんは、名古屋で活動していたのを大阪に移り、
遊気舎に所属したばかりだった。
慣れない大阪での生活に戸惑いながらも、
客演として「SALT MAKERS」の練習に参加し、
皆と打ち解けた頃に悪魔が微笑んだ。
場所はJR環状線の某駅、季節は春。
岡田さんが練習に向かうためホームで電車を待っていた。
その頭のなかは、もうすぐ始まる舞台のことで一杯だったろう。
電車が入ってくると、自分のいる扉のそばの座席に坂本氏が座っていた。
岡田さんは練習場所まで一緒に行こうと思い、
一歩入って挨拶をした瞬間に、坂本氏が立ち上がったのだ。
そして大声で
『やぁ!遊気舎の岡田美子さんじゃあないですか!
奇遇ですねこんな所で合うなんて。』車内は満員…。
『さぞお疲れでしょう。私の席をお譲りしますよ。ささ、どうぞ!』と、
岡田さんの肩を掴んで座らせたのだ。
問題はその後、
『それじゃあ、私はこの駅に用事があるので。頑張って下さい!』と
満面の笑みを残して、閉まりかけの扉から出て行き、
外から大声で手を振った。もう一度言おう、車内は満員、残された岡田さん。
…悪魔である。私はその話を、岡田さん本人から涙ながらに聞いた。
こんな話もある。私が他劇団で演出した舞台に、坂本氏が出演してくれた。
その中で坂本氏が持つかごの中にあるマシュマロを、
他の役者が食べるシーンがるのだが、そ
のマシュマロに唐辛子が詰め込んでいたのだ。
なみだ目の役者、怪訝に思う観客。…悪魔である。
その坂本氏が舞台上で炸裂した作品が、
第2回公演 「そちらを右に曲がってー」1999年5月シアトリカル應典院
The Stone Ageの方向性を決めた作品の1つと、私個人は考えている。
ストーリーは大阪の、とある下町の派出所の日常。
そこには中途採用の新人警官(緒方晋)がおり、
彼を取り巻く若くて厳しい上司警官(中井正樹)や、
近所の住民が、普段の何でもない生活の中で、その人にとっての大事件が発生する。
作り込んだリアルな派出所のセットと、
鮒田氏の情緒と笑いが詰め込まれた脚本。
そして役者陣の感性を発揮させた演出が相まって、
優しさと爆笑とノスタルジー満開の舞台が展開された。
古くからThe Stone Ageを知る方々の間で、
再演希望が根強い作品のひとつである。
その舞台の坂本氏を見て、
私は初めて「“笑い”と“恐怖”と“非常識”は紙一重」という言葉を体験した。
その後も体験しまくりである。
今の坂本氏の演技をご存知の方に述べたい。
あの頃の坂本氏は、もっと破天荒でした、しかも確信犯的に。
今回のロングラン公演は、ラストが3種類あるプログラムだ。
その中で坂本氏が忙しい時間を割いてAプログラムで出演する。
これは非常にうれしいことだ。
お客の皆さん、出番を控えた分、
更に坂本氏の破天荒ぶりが復活するであろうAプログラムと、
たとえ彼がいなくても、異なる方向から
観客を感動と笑いの渦に巻き込むB,Cプログラムの全てを観ることが、
The Stone Ageの正しい楽しみ方の一つではないだろうか。
スタッフとしては「え~!三つもするの!?」と言いたいところだが、
その分遣り甲斐があり、ファンの一人としては、
真に充実した舞台となる事は間違いないので期待に胸が膨らむ。
余談だが「そちらを右に曲がって」の中井君は厳しく凛としている役柄で、
本当に繊細で格好がよかった。
だからこそ、
その後に続いたコントライブに於ける中井君の見事な崩壊っぷりは、
我々を困惑と感動の坩堝に放り込んだのだ!
裸体のヒーロー“中井マサキング”の誕生である。
つづく
その一 ~私とThe Stone Ageの始まり~
皆さんこんにちは、森達行です。
The Stone Age(ザ・ストーンエイジ)のスタッフとして、
ほぼ毎回音響スタッフとして参加させていただいていいます。
時の経つのは早いもので、98年8月の旗揚げから
7年間いろいろありましたがな。
そこで、ロングラン公演を記念して、
私から見た「The Stone Age 今昔物語」を
徒然なるままに書き綴っていきます。
どうぞお付き合いくださいね。
まず、The Stone Ageを語るには、
その前身である「SALT MAKERS」時代に遡らなければならない。
この集団との出会いは、演劇ではなく映画でした。
私は当時から舞台だけでなく、インディーズ映画にも
カメラマンとして参加していた。
するとある時、一緒に映画を撮っていた安田真奈監督が
「面白い人と知り合った。その人を使って映画を撮りたい」と言ってきたのです。
とりあえず、どんな奴か合ってみようって事になり、彼の舞台を観に行くことに。
それが「SALT MAKERS」の『いや、俺は逃げるよ』(97年7月)でした。
その舞台で噂の人は主役であり、
それが“自称”看板役者の緒方晋だったのです。
内容は泣いて笑って、かなり面白く満足したのを覚えています。
緒方君を見つけてきた安田監督は、
その前年に2年続けて某インディーズ映画祭でグランプリを受賞しており、
次の作品に対る注目も高かった。
その中で緒方晋を主役に選んだのです。
ちなみに現在の安田監督はプロ!代表作は「オーライ」
「一滴の魔法(石坂ちなみ)」「リトルホスピタル(ハロプロキッズ)」
「猫目小僧」等、これからも活躍が嘱望される女性監督。
当時の緒方君の演技は大粒でパワフル、
その役者を抱える劇団がSALT MAKERSだった。
映画の撮影後、私はSALT MAKERSに映像製作としてスタッフ参加をした。
この時に、坂本顕にエライ目に合わされるのだが又後ほど語ります。
本当にいい劇団だった、回を重ねるごとにいい味をだしてくる。
しかしメンバー同士で、やりたい事の方向性の違いから袂を分つ事に。
あの時は、本当に悲しかった。
もうここよりも面白い劇団に、関わる事はできないだろうとさえ思えた。
しかし、彼らは個々に復活する。そうして出来たのが
The Stone Age
とHUE
である。
HUEもコントやイベントで活動中のユニットで、観た方も多いでしょうが、
今年の2月に行われた“アドシバ”で、7年ぶりに共演をしました。
本題に戻ってThe Stone Ageの旗揚げ公演は
「東を向いて歩く」(98年8月 ウィングフィールド)だった。
この頃私は舞台に参加しておらず、完全にお客として観劇した貴重な体験。
内容は4人の作家による連作オムニバス。
さて、ここからが本筋。
その舞台を観ていて、私は驚きのあまり目がまん丸になった…。
中井正樹がいきなり上手くなってる!
皆さんはご存知だろうか?
昔の中井正樹は物静かでギャグどころか冗談も口にせず、
他人と目を合わせるのでさえ戸惑うほどのシャイボーイだったのだ。
以前は、危うさが物語に色をつけていたのだが、
その中井君が堂々と演技をしている。
表情が活きている。この頃の彼は、間違いなく2枚目俳優だった!
ハッとした瞬間だった。
その格好よさに騙された「クレセントフェイス」という女系劇団が、
彼をヒーロー役として客演に呼んだこともあった。
愛の暴風雨が吹き荒れたことであろう。
皆さんに、あの頃の中井君を見せてあげたい。
“自称”看板役者は、2枚目になりきれない3枚目を演じていた。
これは今もおんなじか?
一つの団体が解消して、新しい団体が活動を始めた。
それにふさわしい作品だった。
その舞台を観て、私が抱えていた、
SALT MAKERSが無くなった事への悲しみは消し飛んでいた。
これが私とThe Stone Ageの始まりだった。
つづく。