承認欲求と自己顕示欲、あるいは漫画家と孤独についての雑考 | もりた毬太の 漫画家の雑記帳

もりた毬太の 漫画家の雑記帳

漫画家・もりた毬太(まりた)が他愛のない日常をつづったり弱音を吐いたり色々したりしなかったりしております

先日、ツイッターのTL上にとある漫画家さんの連載終了のお知らせが流れてきて、その中で「孤独に耐えられなかった」(概意)というような事が語られていたのだけれど。
そして、それに反応してなのか、その後色々な作家さんの「漫画家と孤独」に関するツイートが続々流れてきたりもして。

それらの言質に対して何を言いたいわけではないのでどんな作家さんがどんな事を言っていたのかは特には記さないけど、個人的に色々考えさせられるところの多い話題でありました。


確かに、基本ひとりでこもって作品を作り続けると言う意味で、漫画家ってのは孤独な職業なのだとは思います。

ただ自分に関して言えば、恋人やパートナーこそいないものの(もちろんとても欲しいのだけど、まあそれは別の話として)多くはないけど友達もいるし「本当の意味での孤独」というのではないよなぁ、とも思う。
思うのだけど、語られる「漫画家と孤独」に関して、見に覚えもあるというか、なんだかすごく分かる気がしてしまうのだ。


なんだろうなぁこれは、と考えて思ったのは、この孤独の正体って、「満たされない承認欲求」なんじゃないか、と。少なくとも僕の場合は。

そもそも、漫画家だから孤独を感じてるんじゃなくて、孤独を感じやすい(承認欲求の強い)若者だった自分がそれを埋める為の手段として漫画家を志し、一応漫画家にはなれたものの思ったほどの反響(=承認)を得られていないと言う事実。それが孤独感を強めてるんじゃないか、と。


で、ちょっと前に漫画描きの友達と話をしていた時に彼の言った言葉を思い出す。
自分は承認欲求なんかで漫画は描いてない、オレにあるのは自己顕示欲だ、と彼は言ったのだ。
それを聞いた時、僕は自分の中でその2つがほぼ同義のものとして扱われていた事に気がついた。自己顕示欲の裏には承認欲求があって然るべきじゃないか、と。

まあ詳しい言葉の定義は置いておくとして、つまりは表現したい事があるから描いていると言う意味で「自己顕示」は認めるが、あくまで顕示したいだけでそれによって承認されたいわけではない、と言うのが彼の主張なのだと思う。
それを聞いて、すごいなこいつ、と思った。
人に認められようが認められまいが、描きたいから描く。それって強さだな、と。


でもまあ確かに、自分にしたところで根っこはそれなのかも、とも思う。

作品を描いて世に出している以上、ぶっちゃけ評価は気になるしその意味で自分に承認欲求がある事を自分は否定出来ないけど、それが全てではないという気分も確かにある。
承認される事を第一としていたなら、デビューもままならなかったあの頃、誰にも認められない中で何故描き続けることが出来たのか。編集者からより世間に迎合した作品を描く事を勧められ反発したのは何故なのか…。

まあそう考えると、僕の場合は自己顕示欲が強い「上に」承認欲求も強いのか…。うーん、業が深いと言うかなんと言うか。
こうして何が言いたいのかもよくわからないような長い文章をブログに書いちゃったりするのもまた、その業によるところであるなぁ、と。

そして思ったような反響が得られない事に孤独を感じるとすれば、そりゃまあ自業自得だよなあ。


そんなわけで、僕に関して言えば、件の「漫画家と孤独」の話題について安易に分かる分かると同意すべき立場ではないんだろうな、と言うのが結論になるのかな。
多分僕は、本当の意味での漫画家の孤独の深淵を覗くには、まだ至ってないように思うから。


まあそれはそれとして、描いた漫画に対する感想や反響はもっともっと欲しいところではあるんだけどね(笑)