去年の年末に、立て続けに聞いた出雲のはなし。

きっと意味があるんだろうなと思って

2022年になってから、出雲大社へ参拝し
先日は美保関の美保神社へ

そして今日は日御碕神社へ行きました。


朝は時より小雨が降って
でも、どこか空気は澄んでいて


ゆっくりと参拝出来た。




そしたら、

前回来た時には気づかなかった場所に
ひっそり佇んだ神社があって


ふと、呼ばれたような
手招きされたような感覚でした。


こんなところ、前に来た時にあったっけ?

と、そんな事も思いました。



午前中に日御碕灯台の方と合わせて巡って

お昼は撮影の打ち合わせ。



打ち合わせ終わりに

ふと気になって、もう一度日御碕の方へ戻った。




少し日が落ちかけた時でした。

午前中とは違って太陽も出ていて

「このまま、ずっとのんびり過ごしていたいなぁ」と


憂鬱と黄昏を半分ずつ抱えながら
その場を後にしました。




そうしたら、帰る途中で電話が鳴って

身近な人が亡くなった話を聞きました。





悲しいとか
驚いたとかもあるけれど


少しだけ冷静でいて、


ただ、痛いなぁと

思いました。






ここから先は愚痴だったり
今抱えている感情の捌け口になるかもしれません。

御容赦ください。




不特定多数の人が見る場所ではあるけれど
僕のブログへの閲覧は、きっと身近で気にかけてくれる人くらいだと思うので


不謹慎な言い回しになる事もあるかもしれないけれど

率直に感じた事を、つたない文章で書いていきます。





昨年は仕事が変わって、生活リズムも人間関係も変わって

自分にとってプラスになった事や成長出来たと思える事がありました。



ただ、その反面

現実的に続けていく事の難しさや
背負っていくもの、向き合う事での自己嫌悪も


ずっとずっと引きずって
四六時中、苦しんでいます。今も。




客観的には

「まだまだ、これからだよ」

とか

「苦しい時もあるけど、頑張ってね」

みたいな風に見えてるかもだけど




実際のところ、精神的にも体力的にも
ギリギリで先が見えない状況は


自分が想像していた以上に負担になっているようで




その上で

両親が体を壊したり
兄弟の事が心配だったり

身内のトラブルや

人間関係での価値観のズレ


体調不良からくる影響と、環境音などのストレス



自分が原因だけれども
パートナーとの別れ、孤独感。





もう、全部投げ出して

楽になりたいな、とも何度も思ったし




不安や、焦りもあるけれど



今は恐怖感と絶望感に飲まれそうになって


自分ひとりではどうする事も出来ずにいます。






みんなすごいよね。

苦しい思いをしたり、過酷な状況でも頑張っている人も沢山いる。



幸せの定義は人それぞれで


お金だったり

地位や名誉

愛情だったりするかもしれないけれど



普通に生活出来て
健康でいることが出来たら

それが何より幸せだと
僕は思えます。





話がだんだんまとまらなくなってきて
ごめんなさい。



もう、本当にしんどいです。


なんなんだ。




おだやかに

のんびり



過ごせる日がきますように。



いつも心配かけてすみません。


ほどほどに頑張ります。