ピアニスト森田英介の Ambrosia -47ページ目

ピアニスト森田英介の Ambrosia

蕎麦と銭湯と自転車と音楽と、、、

ゴールデンウィーク中 天気の良い日は外に出てきました。
こちらは目黒

森田英介 Ambrosia-IMG_2108.jpg
芝生に寝転がって、視界が全部空、、 

という場所も好きなんですが、



ここはすっかり木に覆われて、、
これまたいい感じ
暫く、仰向けで過ごしました。

森田英介 Ambrosia-IMG_8815.jpg

風でうごめいていますが、


「これは木です」 


という 概念を すっかり手放してみて 眺めてると。

圧倒的 生命力で 目に飛び込んできます。。



そして、横に目を向けると

擬態、、

ばれていないと、思っている間は枝の振りをするそうです、、



老子や易経をおもいだします。。

曲則全
樹木は曲がりくねることによって伐採を免れて天寿を全うする。
しゃくとり虫は屈まることによって身を伸ばす。
土地は窪むことによって水を貯める。

尺蠖之屈。以求信也。龍蛇之蟄。以存身也。
尺取虫がからだを縮めるのは、
次にからだをのばして前進しようとするためである。
竜や蛇が冬の間、穴に潜むのはそうすることで、
より長く生き伸びようとしてである。



まじめか  笑


しかし この尺取り虫、 観察者を意識してか

わざわざ はじっこに行って屈伸運動だけでなく、、
この 
下に ぴろろろ 
という動きをしてくれるのが滑稽で、、

和みます、

うわああああ 落ちちゃうう  

えへへ 大丈夫なんだよ~ みたいな、、

なんともいえない余裕に種の進化を感じる目



森田英介 Ambrosia-IMG_7683.jpg

ふざけてつけた名前かと思ったら、、
油あぶら瀝青ちゃん 
と読むみたい。。
レッスンをしていて、、
生徒さんで
私の方から見たら、かなり進歩したのに
自分では自分の演奏がかっこわるい、、
納得いかないと感じられる方が多いようです

自分の耳が肥えてるからかな?
ここまで出来たらOKいう段階段階の達成点を決めておかないと
なかなか満足できないものかもですね。

理想とする演奏より自分の演奏内容が聴き劣りする場合は
その魅力的演奏をコピーをしてみて
なぜ自分がその演奏に魅力を感じたかを探して
その構成の仕方、リズムの取り方、音の使い方などを真似てみたり
応用してみたりするといいと思いますが、、


そんな話をしてるうち、、耳コピの話になりました

耳コピでつまずく方結構多いですね

耳コピと言えば
昔はレコードからでしたよね
わからない、、と思ったところでレコードの針を上げて、
耳に音を残し、、それを覚えているうちに、、
高いか低いか楽器で弾いて探して徐々に近づけて見つけましたね


カセットテープの時代は手元で操作できて便利でしたが
何度もきくと音がどんどん劣化してしまいまいたね

レコードもカセットも回転数を操作するとゆっくりにしたりできましたね
語学学習なんかには良いですが、
音楽ではキーまで変わってしまうので、、
遅くした状態の調でコピーして、、
さらに移調したりしなくてはなりませんでしたね。


最近は波形ソフトで便利ですね
同じところをとりだして何度でもきけますし
調をかえずにスピードも自由自在なソフトが無料で手に入りますね
ちょっと良いソフトだと和音のなかの一音や
連続するフレーズの一音だけを取り出して確認する事も出来ますね
簡単に正確にほぼすべてコピーできるのではないでしょうか、、


昔は、自分の耳を鍛えるしかないから、、
自然に、いつの間にか早いフレーズのかたまりや、、
和音など、、きいたその場で再現できるようになっていきましたし
どうしても聞き取れないところは自分で適当に創作してしまうので
オリジナリティー養うにもつながったかもですね。

その昔、、ジャズ喫茶のレコードきいて、、
口ずさみながら忘れないように家に帰って弾いて、、
の時代の人は、たくさんオリジナルが出来たそうです、、笑


ま、便利な時代もそうでない時代も
その時ならではの利点を享受すればいいですね

そんなアドバイスしてましたが、、
肝心な事忘れてた笑
生徒さんが耳コピ中の音源きかせてもらい、、


その場で弾いてあげたら

あれ?なんか違う、


そう
ピッチがちがいました。

そういう事があったんでしたね  笑


ドの音とドのシャープの音のちょうど間くらいのピッチのときのがあるんですよね

デジタル系の物は基本440とかですが。

アコースティックのもの、特に昔の物は
楽器本体や録音技術の状態によって
ずいぶんちがいますからね。。

だから、自分の楽器を使って音を探ろうとするとき
ドにもあわない、、、、ドのシャープにもあわないだと、、、
なかなかコピーできなくて、、
自分の耳が悪いのか?と思ってしまうかもですよね

でもそんな事があるのを知っていれば
昔だったら、自分の楽器にあわせて、
例えば明らかにドだとわかる部分があったら
自分の楽器のドと同じピッチになるように
レコードやカセットの回転数を調整していきました

その後デジタルキーボードが出てからは
数字やつまみででシンセ側のピッチをかえられましたね。

そうしたら驚くほど簡単にコピーできるようになったりします。

最近はチューナー内蔵のソフトもあるから、、
音のピッチも数字で調べて自動的に一致させられますね


私も最初の頃はそれに気づかず、、

バドパウエルとか、、
C#mとか、、みんな難しいキーで弾いてるんだな。。
とおもいながらコピーしていました。
いやいや、、あの哀愁感は、わざとそんなキーなで弾いてたのかもしれませんね。。

あ、こんなことありました
大学JAZZ研のOBになって
学際かなんかで、、後輩とセッションした時、、
チックコリアのスペインって曲ありますよね、、
オリジナルKEY Bmなんですけど、、
飛び入りで一緒に演奏してたら、、
何弾いてもあわなくて、あれ、、きもちわるい、、
という感じ、
異次元空間に行ったような感じで、、
全然弾けなくなってしまい
恥ずかしかったの覚えていますが、
あとで、きいたら、、半音上のCmでやってたらしい笑


明らかに違うキーだったら移調してると気づくけど
半音だと、、あれ楽器のピッチが悪いのかなとか思ってしまいますよね

最初にいってよ~笑
でした




昔は440の調律が多かったですが、
最近はジャズの現場でも442が増えてきましたね

カラヤンの時代のベルリンフィルは446だったそうです。

グレゴリオ聖歌では444が使われていたという、、


そういえば、
誰が440に決めたんでしょう?????

あまり深入りしないようにしましょう、、笑


そういえば、昔興味持ったんですが、、
調律の純正律は
周波数の比を整数比の音程
だけであわせるものですが、、
このやりかただと
うなりがない純正な和音がだせるんですよね

なので、そんな時代に作られた曲は
純正律で調律されたもので弾くと、、
素晴らしい響きなんですよね


しかしその調律だと
移調したとき、その音程は保たれないから

キーをかえたかったら
その度に調律しないとならない

それじゃ大変だからと、、
全部を少しずつごまかしてあわせた
平均律というものができたんですよね。

便利だけど和音にうなりがはいってしまう

でもそのおかげ?で産まれたんだと思いますが、
ドビュッシーやビルエバンスの
半音ぶつけ、とかの濁った美しさ
もいいですよね?
ま個人的には、、ビルエバンスより
後輩のビルエバンスの影響を受けたであろう
そのあとのオスカーピータソンのハーモニーの方が好きなんですけど、、
ま。いいか笑

いやーでも
音楽の周波数とか興味持ち出すと、、
音の意識に及ぼす影響とか
共鳴と振動とか水と結晶とか
超光微粒素粒子とか
古代文明とか、、笑
あらら
興味が尽きなくなってしまいますね

弟が
ある番組にはまっていて、
ゲラゲラ笑ってて、、

ん??お笑い番組かな、、、と
思っていたら
教師ドラマ「鈴木先生」でした

途中から一緒に見てみたら、
私もはまってしまい笑

先日は2夜連続 

一挙10話放送、
明け方まで見てしまいました


一人一人の生徒の
他人から見たら笑ってしまうような
些細な出来事、、

でも、その年齢の彼らには大きな事で
のちの人生に影を落としたりする

そんな出来事を
善悪の価値観で判断せず、
ニュートラルに受け入れていく
そんな内容でしたが


10年くらい前に見つけて
よく読んでいた、、津留晃一さんのホームページの
メッセージを思い出しました
今探してみたら、、
そのときのまま残ってました。懐かしい。。




「鈴木先生」

どの話も大なり小なり自分にも当てはまる事があり、、
見ているだけて癒されました


そうそう、先日は
高校の同級会がありました。
そこで話題になった当時の出来事、
全く覚えていない事や
鮮明に覚えている事がありましたね。


入学第一日目の授業は
加賀公園って所で
散歩花見でしたが、
そこで一気にみな仲良くなりましたね。

高校は自由がテーマの高校で、、
校門も常に開いていて、出入り自由
服装も自由でした、、


小中学が規則だらけだったので、、
はじめは戸惑いましたが
自由についてよく考えさせられました。




「鈴木先生」見ていて
すっかり記憶から消えていたこと思い出しました

まじめで、さぼれない、、で苦しんでる子の
エピソードがあったんですが


私も結構まじめで、、笑
しかも私たちの頃は連帯責任とかあって、
どんなにまじめにしていても
席順や、班などで、、同じ列にいる人は皆、
連帯責任だ
ということで
往復ビンタや けつバット
をされたんです。
結構思いっきりされるから
顔やお尻に痣が残ります。

もう中学になると諦めてやられ放題でしたが 笑

しかしはじめて小学校の時そんな目にあったときは、、
くやしくてね、、

複雑な顔をして帰宅しましたが

それに対して今は亡き母が抗議してくれた
ことがあったんですね。


ま、それが原因で、、

過保護 過干渉という事で、、
こいつにさわると母ちゃんが出てくるからなー!
さわるなよーとかいって
皆の前で先生にいじられたりしましたが 

すっかり忘れていましたね

しかし
あの母が人に抗議できるなんて、、
遠慮の固まり、常になんでも我慢
先生やお医者さん
とかには絶対服従な母が

抗議なんて、、

よっぽど勇気がいる事だったと思いますよ
あらためて感謝の気持ちが湧いてきました


ネガティブに見える過去も中立に見て
ポジティブな面も味わってみるといいですね
その中の感謝できる部分に気づけたりしますね。


昔の教師ドラマは結構
誰が悪で誰が善で
これは酷い、これは素晴らしい、、って
決めてしまう物が多かったですが

「鈴木先生」

どの出来事も
善でも悪でもないただの出来事、、
経験 

って
色んな価値観を同時に許容できるようになった人の増えた
現代を生きる面白さを感じさせてくれるドラマでした

逆に
多くの人がわかり易い同じ価値観で
善悪を決めてしまって
そこに自分も当てはめて生きる時代をすごせたのが
今となっては貴重で面白い経験だったんだなと
思わせてもくれました


出演者も個性的で面白いドラマでした。
今度映画化されるようです。
話はまた違うのかな、



ぐっさんに再登場してもらいたい、、笑