12月14日(木)
姫路城が、法隆寺と共に日本で最初の世界遺産に登録されてから今月で20年になるのだそうだ。それに合わせたのかどうかは知らないが、歌舞伎座の十二月公演の第三部の演目は『天守物語』。白鷺城とも呼ばれる姫路城の天守閣を舞台にした泉鏡花の戯曲が原作だ。『天守物語』と言えば玉三郎だけれど、今回は、主役の天守夫人・富姫を七之助が勤め、玉三郎は脇に回って富姫の妹分の亀姫を演じる。もっとも、演出は玉三郎が担当している。とかなんとか、分かったように書いているけれど、観るのは初めてだ。
ただ、楽しみにしていたのは本当で、岩波文庫で原作を読んだり、玉三郎監督・主演の映画のDVDを買って観たり、わたしにしてはしっかり”予習”して臨んだ。
歌舞伎座には早く着いた。開演は午後5時45分なので、まだかなり時間がある。夕飯はどうしよう。弁当を買って幕間に食べることもできるが、先に済ましてしまおうと思い、歌舞伎座周辺の木挽町で店を探し、牡蠣と穴子の店というのを見つけて入った。隅のテーブル席に案内された。別のテーブルでは、外国人(どこの国かわからないが、アジア系ではない)の女性3人が珍しそうに、楽しそうに牡蠣鍋を食べている。カウンターには、常連なのだろう、3人の客がいるが、女性客が会話を独占している。酒と料理を注文して待っていると、その女性の話が聞こえてくる。聞き耳を立てる訳ではないけれど、さして広くない店で、すでに酒も入った元気な声なので自然と耳に入るのである。後ろ姿で顔も年齢もわからないが、話しっぷりから、女性記者ではなかろうか?わたしのかつての職業柄で、そんな”種族”の臭いを感じるのだ。
曰く
「團十郎は相変わらずだよね。セリフも一本調子で。眼を剥けばいいってもんじゃ
ないのよ」
ーあはは。辛辣だな。苦笑しながら、心の中でうんうんとうなずくー
「やっぱり、猿之助が帰ってこないとなぁ。早く舞台に復帰してほしいよ」
ーそう願う人をわたしも何人も知っているけれど、そう簡単には行かないんじゃな
いかなぁー
「廓ものを観るとねぇ。やっぱり、社会には江戸の吉原みたいなところが必要なの
よ。公娼制度がないから性風俗・性犯罪が地下に潜っていくのよ」
ーおいおい、そりゃ乱暴だ。論理の飛躍ってやつだよ。しかも、女性がそういう
ことを言うかねー
確かに、歌舞伎だけではなく、落語にしても廓噺は欠かせない。「『遊女三千人
御免の場所』なんて言いまして、遊びの本場は吉原だそうですな」なんて、志ん朝
の噺の枕が聞こえてくるようだ。
でも、廓なんて今はない。廓噺を演れる噺家、わかる客は減っていく。それは当
然のことだ。その廓噺を骨董品として”保存”するのではなく、談志が云うところの
「(落語は)業の肯定」、どうやって時代を越えた現代人にも通じる”活きた”話と
して継承していけるのか。それが古典芸能に課せられた重要な課題だろうー
心の中で、そんな”会話”をしてると、杯が進んだ”女性記者”(と、わたしはもう
決めつけていた)が、最後にこう言うのが聞こえた。
「歌舞伎なんてね、古典芸能だ、伝統芸術だとかと偉そうに言ってるけどさ、大衆芸
能なんだから楽しめばいいのよ」
ーおお、それは全くそのとおり。いいこと言うなぁー
”女性記者”も『天守物語』を観にこれから歌舞伎座に行くらしい。
食事の一品目が運ばれてきた。生牡蠣と穴子の刺身。生牡蠣には、赤穂牡蠣とい
う札が添えられている。赤穂。ああそうだ。きょうは12月14日。吉良邸討ち入りの
日だった。
二品目には長い穴子の骨せんべい。日本酒が進むのは仕方がない。
店を出て歌舞伎座に。しっかり”予習”してきたので、解説のイヤホンガイドも今
回は借りる必要なし。双眼鏡も倍率の違う2つを持ってきた。準備は万端。もっと
良い席を買っておいたら良かったなと悔やんだ。が、それがなんと・・・
眠ってしまったのである。気がつくと幕が開いており、芝居は始まっている。店
での酒が効いたらしい。休憩時間にスパークリングワインを飲んだのも良くなかっ
た。泉鏡花の文芸作品なのだからと思って”予習”してきた。それがなんたる不覚。
落ち込みかけた時、”女性記者”が言っていた言葉を思い出した。「歌舞伎は大衆芸
能、楽しめばいいのよ」。であるならば、気持ちよく酒に酔うのも、居眠りするの
も結構。歌舞伎を観る楽しみとはそういうことをトータルに含むのではないか。
『天守物語』が、夢か現か定かならざる異界の物語であるならば、夢見心地で観る
のも興ありだ。そう自分自身を納得させて気分を切り替えた。芝居の冒頭を見逃が
したことを悔やむのはもうやめにしよう。
帰りは歌舞伎座から日比谷まで歩く。ことしは宝塚歌劇団《宙組》の東京公演が中止になった。芸能界・演劇界で大きな出来事が相次いだ年だ。劇場街ももうひっそりとしていた。