8月に松阪に行く途中、列車の中で聴いたのは小林秀雄の『本居宣長』と題する講演だった。YouTubeをイヤホンで聴いたのだが、もっとちゃんと聴いてみたくなって調べたところ、もとは新潮社から出ているCD(カセットテープもあるが)で、わたしの住む川崎市の図書館に所蔵されていることもわかった。

 

 

 CDは『本居宣長』など全部で6巻(CDは2枚組)あり、順に借り出しては聴いた。何故か第1巻の『文学の雑感』だけ図書館になかったが、神保町のディスクユニオンで手に入れることができた。講演の内容については無断で書くことはできないので、買うか借りるかして実際にCDを聴いてもらうしかないが、どれもとても面白い。自分の部屋で、ひとりウイスキー(こんな時はアイリッシュが良い)を舐めながら聴いていて、『正宗白鳥の精神』と題された講演などはけらけらと声を上げて笑ってしまったほどだ。

 

 

 そうか、小林秀雄って、こんな声でこんな話し方をする人なんだと思いながら聴いていると、ふと、質の高い落語を聴いているような気がしてきた。まさかと思ったが、しかし、これは突飛な感想ではなく、それどころかすでに”定説”になっているらしい。何巻目だったかのCDの解説文で、作家の安岡章太郎がこう書いている。「小林の話術には定評があり、話には志ん生の落語にまさる滋味と洒脱さがあったと言えよう。小林は志ん生に限らず落語が好きで、小林のテープを聴いてみても、確かに語り口や少しかん高い音声までが志ん生に似たところがあって、ときどきあっと思うほどだ」。安岡はこう述べたうえで「東京の下町の話し振りだと考えた方がいいだろう」と推測している。

 

 

 ここ何年かラジオの仕事をしているせいでもないだろうが、人の口述に興味が湧いてきた。visualよりaudio。齢で視力が衰えて本を読むのが億劫になっているせいもあるのかも知れない。『牡丹灯籠』は朗読の助けを借りて読んだし『平家物語』もその様にして少しずつ読んでいるところだ。

 それにしても良いものを”発見”したと思う。「小林秀雄」と「志ん生」のCDをとっかえひっかえして何度も何度も聴く。これが、わたしの”読書”の秋である。   ###