指輪は精神的なジュエリーだと

言われている。

それは、ネックレス、ピアス、

アンクレット、ティアラ…と、どの

ジュエリーも着いている宝石を見る

時には、ジュエリーについている

宝石を鏡を通して見ることに

なるが、指輪の場合は、自分の手に

着いている指輪、そしてそれに

装着されている宝石を直に自分の眼で

見ることができる。

経年変化の無い宝石、特にルビーなど

がついた指輪は、世代を超えて残って

いくが、着けた人の想いを覚えて

いるような気がする。

…さて、私の好きなストーリー。

$ルビー社長☆森孝仁 presents ルビーの森

支倉常長(はせくらつねなが)…

伊達政宗の家臣で、西洋に

渡りローマで洗礼をうけた武士。

近世の日本人が実際に指輪を

着けていたことを絵画で確認

でき、日本人を描いた最古の

油絵だと言われている。

(文引用
近世の日本で初めて指輪を入手
したのは1563年(永禄6年)に
洗礼を受けた長崎のキリシタン
大名、大村純忠だといわれる。
しかし、純忠が実際に指輪を
はめたかどうかは分からない。
近世の日本人で指輪を確認でき
るのは、伊達政宗の命令で西洋
に渡った支倉常長である。なぜ
分かるかというと、仙台市博物館
に肖像画が残って、その指に
はっきりと金製と思われる宝石
入りの指輪が確認できるからで
ある。(中略)
支倉常長とその一行はスペイン、
ローマに渡り、ローマでは、時の
ローマ教皇パオロ5世に謁見し、
1620年に帰国。
支倉常長の指輪をした絵画は
ローマにも2点残っていて、
いずれの絵にも仙台にある常長像
と同じ指輪が描かれている。
海外滞在中はいつも指にはめて
いたということなのだろう。
常長は1620年、キリスト教禁令中
に日本に帰ったが、大切にして
いた指輪の記述は残っていない。
引用ここまで)

とあるが、家臣として欧州に渡り、

洗礼を受けて帰国したら

キリスト教禁令中だった…

ウィキペディアより引用)
帰国時には日本ではすでに
禁教令が出されていた。そして、
2年後に失意のうちに死去した。
その後の支倉家は嫡男常頼が後を
継いだが、寛永17年(1640年)、
家臣がキリシタンであったことの
責任を問われて処刑され断絶した。
しかし寛文8年(1668年)、
常頼の子の常信の代にて赦され
家名を再興した。

と悲しいストーリーではあるが、

時代に翻弄されながらも異国に

渡り、帰国後もキリスト教徒

として生き抜いた武士、支倉常長の

絵画に表現されている目をみている

と…覚悟を感じる。

立派な方だったのだろう。

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…この支倉公が着けていた、

(恐らくサファイアだと思われる)

指輪を受け継いだ人にとっては、

支倉公の生き様が宝石の中で生きて、

宝物として深い意味を持つ。