1770年にオーストリア帝国の
末娘であるマリーアントワネット
厳しい世論が、彼女を追いこんで
「あなたは、私の胸の中に
これは、物語の話だが…
写真のリングは、
「人をそのような残酷な方法
そのギロチン台の方が良い?
そして、このリングを手にとって
写真は、指輪88(淡交社)より
は、フランスとの友好のために
ブルボン家の王太子ルイ―
のもとへ嫁いだ。
元々、戦略結婚だったからか?
マリーアントワネットは、
のもとへ嫁いだ。
元々、戦略結婚だったからか?
マリーアントワネットは、
北欧の貴族であるフェルゼンと
出会い、恋に落ちてしまい…
しかし、有名な浪費と不倫の恋が
しかし、有名な浪費と不倫の恋が
周りに聞こえて、民衆の怒りを
かってしまった。
厳しい世論が、彼女を追いこんで
いき、覚悟を決めた彼女は、
ギロチンの刑で、この世を去った…
宝塚歌劇の有名な
宝塚歌劇の有名な
「ベルサイユのバラ」は、
この物語を劇化したもので、
断頭台にむかう
マリーアントワネットの後ろ姿に、
「あなたは、私の胸の中に
いつまでも生きています。
あのベルサイユに咲く紅薔薇の
ように…」と呟く…
これは、物語の話だが…
写真のリングは、
マリーエメリー妃のリング。
彼女は、マリーアントワネット
彼女は、マリーアントワネット
の姪にあたる。
おばさんの髪の毛が入った
おばさんの髪の毛が入った
リングを着けて、同じように、
ブルボン家から嫁いでいった。
マリーエメリーはのちに、
マリーエメリーはのちに、
アントワネットは立派な女性
だったと書き残している。
また、それまでフランスで死刑
また、それまでフランスで死刑
といえば、八つ裂きの刑だった
のだが、
「人をそのような残酷な方法
で殺めるのだけはやめて下さい」
とルイ16世に懇願して生まれた
のが、ギロチン台だそう。
そのギロチン台の方が良い?
かどうか...
何とも言えないが、このリングと、
何とも言えないが、このリングと、
このリングとともに残っている話を
聞くと、マリーアントワネットの
イメージがごろっと変った。
そして、このリングを手にとって
感じたこと…
事情はあるにしろ、
戦略結婚の末に…とても気の毒な
気がした。
写真は、指輪88(淡交社)より