ミャンマーでも、インターネットが発達
してきて…ちょっと気がかりなことがある。
経済発展しているし、先進国を追いかけて
いるはずなのに… 元気がない。
20年前の中国、上海で感じた感覚とは
ちょっと違う…
…気付いのが、スマホ。
ミャンマーでも皆、スマホ。
何を調べるにもスマホ。
AI(人工知能)が発達してきて、良い意味
でも、悪い意味でも「全員賢い状態」に
なっている。
賢いのは、良いけど、元気がなくなった
のは、ちょっと残念。
インターネットが発達する前は、いい
アイデアが浮かんだら、
「これに賭けるぞ」っと気合いが入った
モノだが、今は、グーグルで調べたら
「あ~既に誰かがやっているな~」と
スタートする前に諦めてしまう。
日本でも、携帯電話が登場して、皆、
いつも画面を見ている… 私も含めて…
特に今の時代、先ずはグーグルで検索…
怖い情報があったら
「やらなくて良かった」と思ってしまう。
ほんとうなら、ダメでもともと…
そこに行って実感した方がいいのに、
先に調べるから動けなくなる。
やらないから、失敗しない。
…これを言うと、オヤジの「あの頃は…」
…これを言うと、オヤジの「あの頃は…」
みたいな話になるが、毎日、失敗して
いたような気がする。
何が正しいのか?
何が間違っているのか?
何が得で、
何が損なのか?
調べて…調べて…
実際に自分が飛び込んで感じた感覚
ではないのに、情報(理性の欠片)を
集めて自分がやっている気になって
のは、実感がなくてダメだと思う。
それに通信速度がもっと早くなったら、
もっと情報量が増える訳で、なんたら
エクサバイトなんて量をどうするのか?
そのうちに、何時もAI(人工知能)が
そばにいて(スターウォーズのC3PO
みたいなモノ)が、登場して
「ご主人様、こんなのどうですか?」
と秘書みたいに話しかけて来る時代に
なるかもしれない。
情報集めして、解析なんかしたらAI君
に勝てるわけがない。
そんなときに、
「いや、それはやめよう」…と、
判断はAIじゃなくて人がしたい。
「感即動」…
感じること、即ち、動くこと。
禅のことばで、「感動」の語源だが、
感じること、即ち、動くこと。
禅のことばで、「感動」の語源だが、
感覚、感動、感…、感性を軸にしたら
まだまだAIのご主人様でいられるかも。
ちなみに、感性は、正しい/間違いでは
なく、好き/キライの世界。
絵画とか芸術作品、もちろんルビーを
見極める時と同じ。