に玉「ぎょく」があると書く。
家の中の玉といえば、日本でも
稲作が始まった弥生時代には、
勾玉と田んぼを交換していた形跡が
あるそうで、食料品が貨幣で買える
今の時代だと、お金を生む資産に
相当するものだった。
その時代には、今でいうお金は、
お米だったのではないか…。
その資産をはたいてでも手に入れたい
ものが勾玉、「宝もの」だった。
ということは、その宝を持つということは、
次の世代へ田んぼを所有できる力を保存して
おくということ。
それは、自分の人生を越えて、次の世代
を心配する「人の心」なののかも知れない。
少なくとも、自分の偉大さや権力を誇示する
それは、自分の人生を越えて、次の世代
を心配する「人の心」なののかも知れない。
少なくとも、自分の偉大さや権力を誇示する
モノではなく、美しいものへ何かのメッセージ
をこめて、次の世代へ残したかったのでは、
ないだろうか?
「国宝」でも「子宝」を守りたいという
気持が強く感じられる。
祖先が残した、その気持ちを感じられる
だけの感性を、私たち子孫が受け継いで
行かないと…と思う。
「国宝」でも「子宝」を守りたいという
気持が強く感じられる。
祖先が残した、その気持ちを感じられる
だけの感性を、私たち子孫が受け継いで
行かないと…と思う。