
ウェーンでは、美しい日本からやって来た、
黒髪でスマートな夫人に注目が集まった。
雑誌などで「光子特集」が組まれるほど
だった…そうです。
明治初期に東京の庶民の娘として
生まれた光子は、オーストリア、
ハンガリー帝国の公使、
クーデンホフ.カレルギー伯爵と出会い、
結婚し、それから4年後に長男と一緒に、
公使と共にウィーンへ旅立ちました。
今では珍しくなくなった国際結婚ですが、
その当時はとても珍しかったと思いますし、
しかも、渡欧して10年目に夫である
カレルギー伯爵が亡くなられました。
どれだけ寂しかったことでしょう。
しかし…
異国で、たった一人で領地の管理、
子育てだけでなく、赤十字のボランティア
活動など、その後も孤軍奮闘し、
7人の子供を育て上げ、第一次世界大戦が
始まった後も、日本に帰ることは
なかったそうです。
インターネットなどの通信機器も無い時代です。
覚悟ある立派な生き方だったと思います。
彼女のお陰で、ウィーンでの日本人の
イメージはとても高いそうです。
EUヨーロッパ連合の成立で活躍した著名人、
リヒャルト.クーデンホフ.カレルギー氏
(1894-1972)
は彼女の息子さんです。
EUの創立に、日本人が関係しているなど
考えもしませんでしたし、大変な時代を立派に
生きた日本の女性を尊敬します。
