モリスはなぜルビーしかやらないのか?

今は会社になっていますので、

私の個人的な都合は関係なく、

ルビーが最高の宝石だと思うので、

最高のルビーを探し、お届けする

ルビーのスペシャリストです。


しかし、モリスも最初の一日があったわけで、

今日は、その最初の一日をお聞きください。


私は、アメリカでオートバイのレースをして

いました。それを生活の糧にしていました。

シーズンオフは、ヨーロッパ、スペインに行って

タイヤなどの部品のテスト走行。

シーズン中は全米選手権でレーサーとして

走っていました。

1999年のことです。

モーターホームという大きなキャンピンカーで

全米をマイワイフと子供を連れて転戦していました。

ウィスコンシン州でのレースだったと思います。

世界チャンピオンも怪我をしたり、引退したり、

また、自分がテストしているタイヤでさえ、

技術の進歩とともに毎日、進化していきます。

若いライダーが出てきて、素晴らしかった選手も

終わっていきます。

私は、進化し続けることの意味が分からなく

なっていました。(何のために?)

その、レース結果は、ボチボチでした。

若いライダーに引き離されて10位ぐらいで終わった

と思います。

そして、レース後に。。。

普段はポジティブのかたまりみたいな私が。。。

「変わらないモノなんかないんだよな~、もう

頑張っても若い、怖いもの知らずについていけないよ」

とマイワイフに、ボヤいたと記憶しています。

そしたら、マイワイフが。。。ニコッとして、

そりゃ。。あなただけならね、おじいさんレーサーは

無理かも知れないよ。。。でも、

「私たちを生んだ両親、両親を生んだグランマ、

グランパ、いままで続いてきたリレーション

(家族の絆)家族の命は変わらないのよ。

ずっと続くモノなのよ。ほら、あんたの息子よ」

と息子をだっこしていいました。

その瞬間に、私のキーワードは

私よりも大切な、そして私がけ消えても変わらない

モノになりました。

要するに「宝ものです」

まさに自分の子宝をみてそう思ったのです。

(女性は凄いですね。。。)



家族が恥ずかしくないように父親としてファイト

しなければ。。なにかファイトした形を残さないと。。

と漠然と思いました。



それから1年半後。

スペインの南部、へレスサーキットでテスト走行

していた時のことです。

ふっと、エンジニアに。。

「なぜ、天才が集まって私の意見を聞くの?

賢い人が、考えたら分かるじゃないの。。

わざわざへレスまで来なくても。。。」

と雑談していた時のことです。

そしたら、急に真顔で、

「私たちは理論に強いのですが、理論は所詮

感性をもった人どおしが情報共有するために発達した

もので、結局、あなたは感性が鋭いのでここで

仕事しているのです。。ごちゃごちゃ考え

ないで下さいよ」といわれて。。。ショック。

それから、「感性」というキーワードが加わりました。


そして運命の日。

へレスから日本に帰ってきて、宝石店の外から見えた

宝もの、がルビーだったのです。

生まれて初めて宝石店に入って、ルビーを見ました。

宝石素人だった私の頭の中で浮かんだのが、

「宝探しに行こう」だったのです。

美しくて、希少で、変わらないモノ「ルビー」が

私のテーマになった瞬間です。


ここからモリスルビーが始まりました。

私には、偶然なんか何もなかったのです。

必然の積み重ねと、出会うべきして、出会った同志が、

モリスをつくってくれました。

最高で最強の仲間たちです。
(今はほとんど独身ですので、皆の将来の家庭円満を
 考えていると、おっさんになった気分です。。。
 いや。。おっさんか?すでに)


世界で初めて鉱区からお客様までルビーをお届けする

ジュエラーになりました。

そして、モリス社員全員が家庭円満を祈りながら

仕事をするようになりました。

モリスルビーの生まれた瞬間でした。

$ルビー社長☆森孝仁 presents ルビーの森|世界一のルビー屋になる!|ルビーで世界で一番のハイエンドジュエリーブランドを創造する-namyarough