ドリライDVD、取りに行ってきました。そして観ました。
結構ぶっちゃけたことを書くので、イヤな方はサラっと忘れてください。
思ったより大丈夫でした。へこんでません。涙は全然出ませんでした。それも、なんか、人として、女子としてどうなんだろうと、ちょっと自分の情緒に疑いを抱いてナーバスになってるところです。
泣かない覚悟で観たわけでもないんですけどね。
私は多分「別れ」にはどうもかなり強いようです。
卒業式で泣いたこともないと今日気付き。普通に学校生活は楽しかったし、友達もいました。
ただ、あずまんがのゆかりちゃんじゃないけど、「卒業は、卒業。」ってことなんです。本当に消えてなくなってしまうわけではない。
今までのよかったものがぶちこわしになることであれば、多分泣きました。まぁある意味大人の事情とかイロイロ……あるんでしょーけど。ゆーやん卒業ほどじゃないかなぁ。相葉ちゃん頑張れ。
山吹公演の千秋楽でも泣く気まんまんでハンカチまで買っていったのに、泣けなかった。
大成功の舞台では、泣けない。
ゆーやん卒業公演でも、「柳をよろしく」という言葉の重み以外ではやはり泣けず。
美しい卒業式なんで、はれやかできちんとして曇りのない卒業なので、やはり涙は出ませんでした。
きちんと、正しく(でもないか)、イヤなことがないお別れでは、私は泣くというスイッチが入らないっぽいなぁと思いました。
ドリライで泣いてしまったのは、鈴木さんの挨拶が、2代目のつらさをあらわしていたのと、やっぱり柳の事故という不幸が染みたからなんですね。
彼らの青学が見られないのはとても寂しい。けれど、私は寂しくては泣けないんだなぁ。
女らしい情緒とか、人間らしい情が欠けている欠陥人間なんだろーなぁと思いますが、ま、カトベ様も泣いてなかったんで、そういう人もいるさー、と安心しました。笑。
「寂しい」とか「最後」とか「うまくいって良かった」とか「大成功」とかでは、涙のスイッチが入らないみたいです。
あと、最近どうも、涙腺の緩む方向性が偏った気がする……。何で泣けるかはわからないのですが、どーもてにみゅのような、晴れやかで明るくて感動の方向性では泣けない。
あと、最後って気がしてない。彼らが死んでしまうわけではないんで。ゆーやんの時もそうだった。ゆーやんがいなくなってしまったりするわけじゃないなぁ、と。
ほんとは、キャストたちと一緒に感動して泣きたかった、です。泣こうかなぁと頑張ってみたりしようとして、頑張って泣くようなもんじゃなくね?と我にかえり、やめておきました。
あと、自分もああいう、一生懸命何かをやって、最後にうまくいって号泣しちゃったりするような経験をしてみたいなぁと思いました。う~んでも私には無理っぽいなぁ。
自分勝手なのかな、とか悩んでみたり。まぁいいんですけどね。
ちなみにもらい泣きはどうもできない性分です。やはり自分勝手。
彼らが生きていれば、また彼らを見ることもできる。確かに彼らのやるテニプリはもう絶対に観れないんですけど、テニプリもなくならないし、彼らもなくならない。半分ずつしかなくならないんです。
だから安心して、笑って、ありがとうと言えるんだな、と。納得したりしました。
微妙な話題で、すみません。
そうかきっとこれはこれで、二代目卒業にナーバスになってるんだ、きっと!
……陰気くせえ上にうっとうしい……。
だーっと泣いて、終わりにしたかった、です。
泣けないからって、二代目に思い入れが無いという感じになるのが、自分でもすごくいやなんだと思う。
二代目には、ものすっごい、ものすっごい、もんんんんんんんんんのすごい!!!!頭おかしいほど、興奮しすぎて寝込んで病気になるほど、思い入れがあるので。
それが「卒業で泣く」というカタチであらわれないのが、自分ですごいショックなんだと思います。
思い入れの重さは、自分でも相当どうかと思います。
あーなんか自分で自分にすごいなんか、イヤな感じ……。
泣けばいいのに。なんで泣けないんだ?
カトベ様がけろっとしてるのが、本当に救いです。忍足工もだね。泣けない人には、ほんと、救い。
寂しさの重さも、二代目への執着も、自分の中でものすごい重くて、今も息苦しくて気分が悪いほどなんですが、涙が出ない。
それはそれで、出口がなくて、悲しいです。
……人間失格、という気持ちがして非常に鬱なんで、寝ます……。