こんばんは
森瀬真理です
今の職場になって1年半は毎朝の出勤時に
近所の氏神様の前を徒歩で通るのでお参りをしています。
その前の職場は逆方向の駅まで自転車でした。
毎朝
おはようございます。いつもありがとうございます。今日も留守の間、犬たちをどうかお守りください。
と手を合わせています。
毎日毎日続けていくうちに自然と
私めには何なりと。
という言葉が足されています。
家で留守番をしている犬たちをお願いする代わりに何かの災いなどは私の方へ回してください。
自虐や自己否定でも無いんです。
世の中が陰陽のバランスで、光と影とか月と太陽とかポジティブとネガティブが同じだけ存在するなら
愛する存在のネガティブは全部こちらに回してほしい。
喜んで受けます。
そんな事を続けていたら、ふとキリストが張り付けになった時の気持ちってこう言うこと?と思った。
このブログで1年以上前に書いたけど
私は人は地球を守るために存在する
と思っている
人間の役割は地球上の全てのネガティブを引き受ける、請け負う事。
人間以外の全ての動物や木や花が憂う事無くそれぞれを全う出来るように守っている
そのために、心と感情を分けた
だから人は複雑な過去と未来や不安や恐怖の中で生きている。
というような事を書きました。
陰陽がハーフ&ハーフがマストなら、
私が陰を請け負いますので愛する全ての存在が健やかで滞り無きよう
どうかお願いします。が人間が存在する意味なんだと思っている
私は未熟な為、世界中の見たこともない相手に対してまでがその感情の対象にはなっていないけど
でも、ふと感じたんですよね
キリストが張り付けになった時の気持ちってこれなの?
機会があれば本を読みます。
最後までお読みくださりありがとうございます