こんばんは😃🌃

森瀬真理です


この世の中には陰陽が半分づつあって、バランスを保つことで存在している。


命は肉体を脱いでも終わりではない。


この世の中の全ての陰を自ら担うために人類は生まれたと私は思う。


だから、二足歩行になり、手を使い、脳を発達させ、思考の働きを強くした。


夢や希望を知る代わりに後悔や失望もする。

幸せや楽しさを知る代わりに不幸と悲しみもある。


欲や煩悩を持たなければ不安や悲しみからは解放される。


でもそれでは人類の役割は担えない。


ひとつ残念というか仕方がないけど、どうしても


今回の人生は苦難ばかりって役割の時もある。

もちろん逆もあるけどね。


恵まれた社会に生まれながら回りはみんな当たり前にそこそこ楽しんでる。

なのに、なんで?自分だけいつもハズレくじ。

世の中を恨みたくなる。神様は不公平だと思いたくなる。


よく知りもしないで書くのはどうかと思うけど、2世の方たちとか。

犯罪や事故に巻き込まれてしまった方のご遺族とか。


それね、前回は反対側にいたり、次回は反対側にいたりってなるから。


1回の人生で陰陽が半分づつだったら、まだ納得できるけど、それだと納得できるレベルでしかないので、生まれてから死ぬまでをまるっとどちらかに振りきった方がレベルは強くなるから。


ただ、その中で私が見てきた人たちに共通することとして、本人が亡くなる直前にはみんな解放されてる。


苦しみや悲しみから解放された事で今回の人生がフィニッシュしたって人が殆ど。


先日、恩師を見おくりました。

散々大暴れして大往生の人生だったとみんなは思うだろうけど、


当の本人は

結局何をどうあがこうが誰しもが何者でもない。

というところに至って肉体を脱いだそうです。


バッキバキに気合いが入って誰よりも厳しく誰よりも愛情深く、ただ一人の女神に惚れ尽くした人生だった。


行着くところは真逆なんだって思った。

でもまあそうなんだよね。


一生を通して経験するなかでようやく納得したら死んで次にいく。

頭の理解を越えたキッチリカッチリ叩き込まれたら終わり。

良いことも悪いことも。


中には若くして、幼くして事故や病気で亡くなる場合は本人としてはそこまでじゃない時もある。


お互い様だから、残された側の学びのために病気を抱えて生まれてまもなく命が尽きてしまう場合もある。


この場合はやっぱり残された側としては無駄にはしたくないとなるよね。


みんなみんなで寸分の狂いもなく巧妙に絡み合った中で陰陽のバランスを保つことで存在している。


だからね

悲しい時は思いっきり悲しんで、嬉しい時には思いっきり笑えばいい。

先に亡くなった人たちに対してまず出来ることがこれだから。


頭で考えても納得出来ないこともあるけど、悲しい事も辛い事も楽しい事も嬉しい事も全部が全体の一部としての役割を果たしているってことだから。


お読みくださりありがとうございます