森崎千秋のブログ

森崎千秋のブログ

ブログの説明を入力します。

ふと気がつけば、師走になっていました。

街中が静まり返ったように静かです。

 

音もなく、風もなく、

焚火の匂いと煙だけが

棚引く冬枯れの甲府盆地です。

 

大分ブログをご無沙汰しました。

 

アドラー心理学をベースにしたカウンセリングと研修による

勇気づけのガイド役を努めています。

セレンディックの森崎千秋です。

 

冬木立の向こうに見える空の青さに、心が揺さぶられます。

師走に入って4日間、勉強をするために研修をうけていました。

朝から晩まで、ほぼ12時間も教室に詰めているなんて、嘗て無いほどの講義づけ。

それが、少しも嫌ではなく、むしろ楽しんでいる自分がいるのには驚きです。

これまでの自分とは、少し変わってきたことを実感できる時間でもあったようです。

 

完璧主義が自分をダメ人間扱いにする

 

物事をなんでもちゃんとやりたい私。

出来ないかもしれないと怖れたり不安を抱いたりすると、

てきめんに物事に向かわなくなります。

怖れや不安があれば、

何ごとも楽しむことはできません。

 

そんな自分と向き合いたくない私は、

向き合わずにいられる理由(言い訳)を

いくつも

いくつも

みつけます。

 

完璧にやらなければ、という信念を持っているうえ、

白か黒か、良いか悪いかなど

考え方に極端さもあるため、

「だめ」なら

いっそのこと「やらない」

になる人なんです。

 

 

だめかどうかは、やってみなくてはわからないし、

時にダメなこともある、とは受け入れられないのでしょう。.

 

挫け易く、

しかも、勇気に欠けている行為といえますね。

 

 

 

ある人が私に言いました。

このお仕事を続けていられるのは、
あなたが神さまに用いられているのですね」

 

またある人はこう言いました。

「あなたはこの道を真っ直ぐに行きなさい」

 

 

茂木健一郎博士は言いました。

「人格や知性は巡り合いの総体だ」

と。

 

出会いや学びの場という

めぐり逢いに恵まれてきたわたしです。

 

行動する。

やってみる。

その結果を引き受ける。

 

 

めぐり逢えた人生を

ただ体験することが、

最高の学びになるのですね。

 

 

 

 

 

静かな秋の夕暮れの訪れ。

よく遊んだ子どもの頃を

懐かしく思い出します。

 

青い空に踊るような夕焼け雲を眺め、

切なさの中に温かさを

儚さのなかに希望を

沸々と感じています。

 

 

山梨で

アドラー心理学をベースにしたカウンセリングと研修による

勇気づけのガイド役を努めています。

セレンディックの森崎千秋です。

 

前回のブログ「あやまち」に続くお話です。

 

今のわたしにできることを

一歩だけ進めるとしたら

どんなことをするのか

 

 

孫娘の小さな手から私に伝わるのは、私への信頼でした。

 

 

この子どもの安全と安心を守るために、

 

優先すべきは孫娘を楽しませること。

 

そして、

今日の出来事も、彼女の中で嫌な体験ではなく、

 

学びの機会にするとしたら。

 

   *

   *

   *

 

出来事をよく観察し

→回復のための一歩を踏み出し

→すぐそこにある未来を創るために

 

   *

   *

   *

 

「ねえ、待っている間に何をしょうか?」

 

「じゃんけん・・・、しりとり・・・」と言うので、

しりとりを始めることに。

 

しばらくやり取りをしたところで、

そっと

男の子の方を見ると、

彼は私と目をあわせてくれました。

 

こちらは、笑いかけてながら(うん、うん)と、

うなずきながら大丈夫の合図を送ります。

 

 

そして、孫娘と二人でするしりとり合間に

 

「ねえ、〇のつく言葉って何か知ってる?」と、

男の子にふってみました。

 

 

すると、彼、ちゃんと答えてくれたのです!

 

 

「教えてくれて、ありがとう!何年生ですか?」

と尋ねると、「2年生」だそうです。

 

「わ~っ、一緒だね」

 

孫と男の子の二人は同じ年だとわかり、

そこからは仲良く3人でしりとりゲームを進めます。

 

すると、

 

今度はママの後に隠れながら、妹が割り込んできました。

 

 

お兄ちゃんの順番になると、彼女が素早く答えてしまいます。

 

お兄ちゃんよりも早く答えようとするその姿からは、

どうやら妹である女の子は賢くて、

両親に気に入られている様子が窺えました。

 

お兄ちゃんは、自分も注目してほしいけど、

彼のやり方はうまくいっていないようです。

 

 

そこで、しりとりをしながら、

必ずお兄ちゃんから先に答えを聞き、

 

次に妹、というふうに

密かに順番を決めてやっていきました。

 

だんだんと

お兄ちゃんの目に力が出てきて、

集中力を発揮してきます。

 

お母さんの陰に隠れながらやっていた妹も、

一人でこちらに向いて加わります。

 

 

なかなかいい感じになってきたところで、

家族を見つめる周りも

心なしか和やかになっているようでした。

 

 

 

小学校2年生の孫娘にも、

こんな緊張する場面がきっとあるかもしれない。

 

学校や家庭で

何かうまくいかないと感じた時も、

 

気持ちを回復したり、

人との関係を取り戻して、

人も社会も信じられる。

そういう未来を創造する体験にできたらいいと思いました。

 

ほっとしたところで、

やがて乗り物の順番が近づいてきました。

 

この辺で、お役目終了かしら。

 

チャンスという

神さまの贈り物

別れ際にやってきた

 

 

「じゃあ、バイバイだね。

一緒に遊んでくれて、ありがとう」

 

お別れをして、列を離れていこうとする私に、

 

 

「あのね。

昨日、リンゴのお風呂に入ったんだ」

 

と話し始めるのです。

 

 

「そう!

リンゴのお風呂に入ったんだね。

リンゴのお風呂ってどんなだったのかな」

 

 

「まんまるのリンゴが入っている。

すごくいい匂いがした!」

 

 

「へぇー、それは楽しそうだね。

私も入ってみたかったなぁ。」と言うと、

 

「うん。楽しかった!」と、

お兄ちゃんと妹は、

二人揃って笑顔で答えてくれました。

 

わたし、この時点で胸が高鳴りました。

最後の最後になって、チャンスが到来したのです。

 

最初に観察したときに感じていた

パパとママの良さを伝え、

子どもとここにやってきた本来の目的に

立ち戻ってもらうチャンスです!

 

 

 

「そうなんだ!楽しかったんだね!!

そんな楽しいところに、パパとママは連れてきてくれたんだね。

良かったね~。嬉しいね!

 

バイバイと、もう一度手を振ると、

 

今度はパパとママが揃って

 

「遊んでくださって、ありがとうございました」

 

丁寧に声を掛けてくださいました。

*

*

*

*

しばらく離れたところから振り返ると、

 

そこには

じゃんけんをして楽し気に遊ぶ4人の姿がありました。

 

やがて、順番が来ると、

 

「おいで、おいで」

 

と手招きで妹を呼び、

 

乗り物へと優しく促すお兄ちゃんの姿までも。

 

私たちはみな

何をしても許される存在ではなく

何もしなくても良いという

そんな存在でもない

 

集団のどこかから、

「私も怒るけど、あんなに酷くはないよ」と

いうささやきがきかれました。

 

親も「あやまち」を犯します。

 

ÐⅤにしても子どもの虐待問題も、

その程度によって量ることはできないものだと思うのです。

 

また、対岸の火事のようにして、

自分とその問題から切り離すこともあってはなりません。

 

親なら誰もが、

時に子どもに本気で腹を立てることがあると、

知っているからです。

 

人間なら誰もが被害者や加害者になり得るものを、

心に内包していると思うからです。

 

あやまちに寄り添える

そんな勇気も

与えられている

 

虐待問題においても、

ただ刑罰を与えることでは解決したことにはなりません。

 

 

虐待の当事者である親が、

子どもや社会の安全と安心、

そして健康と幸福のために自ら貢献できた時

本当の回復があるのではないでしょうか。

 

社会は、そこを応援できたらいいのになぁ、とも思った出来事でした。

 

長いお話にお付き合い頂き

ありがとうございます。

ひとつでもふたつでも

お役にたてて

みなさんと周りの人が

幸せでありますように。

 

 

 

 

水害にみまわれるこの年。

 

台風や大雨による被害がもたらされ
大変な日々を送られている多くの方に

お見舞い申し上げます。

どうか、

一日も早い復旧と平安が訪れますように。

 

朝夕の冷たい空気に触れて

アジサイも紅葉を始めました。

山梨で勇気づけのガイド役を努めている

セレンディックの森崎千秋です。

 

子育てを知らずに

子育てに臨んだあの頃

 

ある日、息子が言うのです。

 

「俺の記憶にある母さんは、いつも怒っていたよ」

 

 

傍で聞いていた孫娘が驚いたように言います。

 

「ばあば、ほんと?」

 

  「そうね。

  ばあばはよくパパ(息子)を怒ってたのよ。

 

  でも、あなたのパパは、

  ばあばがお弁当を忘れたりして失敗した時でも

  いいよ、いいよって許してくれたよ」

 

「ふーん。じゃあ、ばあばもパパみたいにすればよかったね」

 

 

こんな孫との会話から

我が子育てを振り返れば、

 

子育てを分からないまま、半信半疑でやってきました。

 

今でも、あれで良かったと思う自信もなく、

むしろ、親もたくさんの過ちを犯すのだと思っています。

 

親になったところで、完全になれるわけではないからです。

 

 

先日、その孫娘の誕生日を祝って、

長野県にある遊園地まで行きました。

 

名物は、自然の森を走り抜けるゴーカートだが、そこは長蛇の列。

親子連れが40分以上も並んでいます。

 

小学校4年の長女は一人乗りコースに並び、

私は小2の次女と二人乗りコースの長い列に並んでいた時のことです。

 

遊園地での

ある出来事

 

私たちの後ろには、

男の子と女の子を連れたパパとママの4人家族が並んでいました。

 

お兄ちゃんは、

列を仕切るロープをまたいでひとり遊びをしていますが、

何度かやるうちにお父さんに「やめろ」と叱られていました。

 

が、そこは子ども。

 

また、同じことをやり始めます。

 

とうとう仕切りロープを倒してしまい

 

「何やってるんだ!!!

 

外に出かけたときにどうするかわからないのか!!!!!」

 

 

その場に居合わせた人も凍えるほど大声で叱りつけました。

 

男の子は、罰がわるそうです。

 

そして、近くでママにしがみつく妹の髪飾りを口で引っ張ります。

 

妹はすぐさまママに

「ママ~。お兄ちゃんが取った~」と、言いつけました。

 

その途端

 

「そばに来ないで!!!!」

 

と、今度はママが怒鳴りつけたのです。

 

周囲は再度驚き、ちょっと離れて親子をみています。

 

 

ちょうど、児童虐待問題で公判中の事件もあってか、

その親子の様子にピリピリと緊張感すら漂います。

 

 

 

最初は、大声で怒鳴りつけるパパに腹が立った私でしたが、

このままだとこの家族はどうなるのだろう、などと考えてしまいました。

 

きっと、不機嫌なまま過ごし、

お兄ちゃんは妹にちょっかいを出しては怒られ、

兄妹の仲も険悪になり、

せっかくの休日は台無しになるのかも。

 

もちろん、不穏な空気に巻き込まれた周りの人さえも。

 

さりとて、わたし。

 

何ごとも無かったように知らん顔を決め込むのは、男の子の様子からしたら無理でした。

 

とはいえ、わたし。

 

説教などしたら、パパとママはますます孤立して、

子どもに当たり散らすことになりかねない、と思いました。

 

頭の中で考えだけが目まぐるしく働きます。

 

ここはひとつ。

 

私がどうするかで、

パパとママに子どもとのやり取りを

考えてもらえないだろうか。

 

少なくとも、子どもには他にもやり方があるし、

世の中は大丈夫だよ、

君を受け入れてくれる仲間がいるよ、

と、わかってもらえないだろうか。

 

 

それには、先ず

 

この子どもの良いところはどんなところがあるだろうか。

そして、お怒りモードのパパとママの良さは何があるだろうか。

  ・

  ・

  ・

ふと家族を見ると、

 

ママとお兄ちゃんと妹の三人で

おそろいのTシャツを着ていることが目につきました。

真っ白なTシャツに、

黄色のミニオンズがたくさん描かれていて、

いずれも清潔感に溢れています。

 

それを見たら、私の考えも少しづつ整理されてきました。

 

親の目的と

想いに心を寄せてみた

 

親の行動は?

わざわざおそろいのTシャツを着て、子どもの喜びそうなところへ出かけてきたのだ。

仕事に疲れていても、こうして休日を家族と共に長野にやってきたのだ。

子どもを楽しませようとしてここへやってきたのは間違いなさそうだ。

 

 

 

親の思いは?

まわりに迷惑をかけないでほしい。

親のしつけがでなっていないと思われるは恥ずかしい

親の立場や面子は丸つぶれ

 

など、と考えながら。

 

さて、私です。

 

目の前の孫娘は、

心細げでちょっと怖そうにして私の手を握っています。

 

この後、事態は全く予想外の展開になるのですが、

長くなりましたので、

続きはまた後日にしますね。

 

 

 

大型の台風が近づいています。

土曜日に予定されていた山梨文化学園の講座は、

次回以降に振替になりました。

くれぐれも被害などでませんように、

皆さま、お気をつけてお過ごしください。

 

 

アドラー心理学をベースに研修とカウンセリングをしています。

セレンディックの森崎千秋です。

 

秋が深まり、空が高くなりましたね。

青く澄んだ空に、コスモスの花が揺れている、

大好きな季節です。

 

大好きなコスモスの花と

秋の空に思うことある

 

想い出の中に咲くコスモスには、

親友が卒業式の日にくれた手紙の

 

「コスモスの花が咲くころに生まれたあなたへ」

 

と書かれた青い文字インクの文字と

 

 

墓参の帰り道に

白いコスモスの花に見とれ、

 

「この花を一本だけもらってもいいかな」

 

と尋ねた息子の瞳のやさしさが・・・

 

いくつも重なっています。

 

 

最近、誰かが呟いていたことが、

少しどこかに棘のように引っかかっています。

 

こんな人が嫌いだとか、なんとか。

偉そうな人とか。

偽善的な人とか。

競合的な人とか。

 

嫌いな人は確かにいます。

 

 

で、

人ってそんなに簡単なものかな。

心がそっとつぶやくのです。

そこに重なってきたのは、こんなことでした。

 

好きとか嫌いの

間にあるもの

 

 

私の父は、母に対してすさまじい暴力を振るう人でした。

子どもの頃は、

どうか、「何ごともありませんように」と、

毎晩祈るような気持ちで夜を迎えていたのです。

 

 

夜、家族で食事の時間になると、

怒号と物が飛び交うのが常でしたから。

 

それは、私が大人になって家をでるまで続いていました。

 

あの夜は、

私が小学校5年の時でした。

その日も、激しい暴力が父から母へ向かっていました。

あ~、まただ。

何か慌ただしい様子がいつもと違っていたのは、とうとう母が意識を失ってしまったからでした。

救急車で病院に運ばれた母。

「いいか。お母さんは階段から落ちたって言うんだぞ」

私は、ただ、誰にも何も言わなかっただけでした。

 

母は、快復したけれど、その後ひどい頭痛に悩まされるようになりました。

 

それから、20年ほどしたある日。

母がクモ膜下出血で意識不明になった時のこと。

救急救命室の前で、頭を抱えて震える父がいたのです。

「あの時、俺が頭をたたいたからかも知れん」

 

私にとって父は、情が豊かで繊細で、正義感があって知的な人だと思っていました。

どうしようもないところもあったけれど、見えないところを信じてくれる温かさを感じられる人でもありました。

 

 

人なんて、そう簡単にわかるものではないのだな。

そう簡単に、好きとか嫌いと言えるものでもないのだな。

 

 

 

 

もちろん、

好き嫌いを無くす必要もなく、

好き嫌いを感じることを悪いこと

と言っているのではありません。

好き嫌い、無くなったら、むしろ大変なことになりますから。

(まぁ、なくなりはしないけど)

 

 

 

好きとか嫌いを超えて、

良いとか悪いを超えて

その向こうに立ってみなければ、

とうてい解り得ないものがあるのだと

今は思っているのです。

 

人は、厄介で、面倒で、複雑な生き物だと、つくづく思います。

学びは、そこをシンプルに、生きやすくしてくれるのですね。

 

好きと嫌い

明るいと暗い

嬉しいと悲しい

楽しいと苦しい

 

その間を生きるのが人生だから。

 

10月朔日です。

 

思い通りにならないことも多くありますが、

出来事という流れに抗わないで、

季節が変わるように「今」を生きるように祈る朝です。

 

 

勇気づけのガイド役として

アドラー心理学をベースに研修とカウンセリングをしています。

 セレンディックの森崎千秋です。


人は天から多くのものを与えられています。

自然に身を任せてみると、

どれ程それらが偉大かがわかる時があるものです。

 

カウンセラーの仕事

例えばそれはあなたにとって

どんなイメージですか

 

以前に息子と二人して、

カウンセラーの仕事について話したことがありました。
 

それは、人生の道のりを、

遠くに光を当てながら、

足元も照らすような仕事ではないだろうか。

 

ライトを持っているのは、クライアントの方。

 

 

こちら側がライトを持って、

尚且つクライアントを背負うような事ではないのです。

あくまでも、

ライトを手にして歩いていくのは、

本人でなければなりません。

 

遠く

広く

緩やかに

 

人生を捉えながら、

 

すぐそこにある石ころにも

楽しみを見出しながら、

 

歩めるように。

 

 

こちらは、

少しガイドをしながら

共に歩んでいくようなものではないだろうか。

 

悩みも困難すらも

神さまからの

贈り物かもしれません

 

悩みや困難には、実はそこにこそ成長がある、と考えてみます。

 

ELM勇気づけの勉強会

「あなたと周りが幸せになる12の知恵」は

アドラー心理学を学ぶ実践的な講座ですが、

 

その中には

 

自分を資源、資産として

見つめなおすワークがあるのです。

 

 

子どもの困ったには、

実はその子の特性という宝があるかもしれないのです。

 

気になるからこその悩み。

そこにこそ成長の糧があるのではないでしょうか。

 

それが実は天から与えられた贈り物。

イコール、使命とよべるものかもしれません。

 

与えられしものを

与えるひとになればいい

 

自分を資源とみなせば、

問題だと思うことにこそ

活かせるものがあるのだと思いました。

 

今、

私たちが立っている「ここ」にこそ、

私たちの「居場所」はあります。

 

たとえ理想と違っても

 

思い通りでなかったとしても、

 

今いるこの場所から

あなたと私の人生は始まっているのですから。

 

ここに、

私が人として貢献できる源が隠れています。

 

それぞれが与えられた

命の使い途という使命があるのです。

 

 

今は、答えが見つからなくても、

やがて、

あなたが自分だけの答えをみつけるために、

カウンセラーの仕事があるのかもしれません。

 

与えられしものを

全て与える人として

生きられますように。