(ユージン・スミス「楽園への歩み」)

(国語科教育法講義内課題作品)

 

 僕は彼を抜くことは許されない。だけどいつかは彼を追い抜いて一人前の大人になってやるんだ。

 

 彼はいつも僕の先を行く。母から生まれたのも先、背が伸びるのも、学校へ通うこともだ。母は言う。彼は兄だから当然のことである。僕は掃除をして洗濯をして「母親」の仕事をいつも手伝わせられる。母は言う。これが当然のことである。

 

 そろそろ僕は小学校に入学する年齢になる。僕は学校に行って字を習って兄のように本を読みたい。しかし、それは叶わなかった。僕は学校に行く必要がない。母はそれだけしか言わなかった。母は当然ながら学校へ通わずに大人になった。学校に通わなくても「母親」を充分にこなしている。だから僕は学校に行く必要がないらしい。

 

 兄が歩む道を僕が歩むことは決して許されない。まるで、僕と兄は別の生き物のようである。兄は当然のごとく学校へ通っている。学校で友達を作り、学校で字や計算を習い、この先の人生の道が遠くまで見えている。この道をまっすぐに歩いていくのだろう。僕が歩んできたこの道は兄と同じに見えて実は違う道だったのだろうか。僕には、いや僕の今立っている場所からはこの先の道は見えない。本当は見えているのかもしれない。でも僕が歩むことを許されている道はこの森の中にはない。

 

 時代は変わったんだ。僕は森の中を歩くことが許されるようになった。そうは言っても許されているだけである。僕は兄ほどに体力はない。僕は兄よりも体調が悪い日は多い。だけど、兄のように歩いていくことが僕に課された義務である。母は言う。兄の前を歩いてはいけないのは当然のことである。

 

 楽園への歩み道はこれらしい。果たしてその先にある楽園は僕にとっても楽園なのだろうか。誰にとっての楽園か。