マリー・アントワネット Marie-Antoinette (H11.6.4.UP)

moribermokoのブログ
刑場へ
ダヴッドによるスケッチ
1755-1793.10.16 享年37歳。 処刑。 フランス王妃。

10月16日朝5時からパリでは太鼓が叩かれた。かつてのフランス王妃マリー・アントワネットの処刑の日である。

死刑判決が出たのは1時間前の午前4時。判決は裁判が始まる前に決まっていた。裁判長から異議申立てがあるかどうか聞かれても、マリー・アントワネットはただ首を振るだけだった。

コンシェルジュリー牢獄に戻ると、いつも支えてくれた義妹エリザベート に最後の手紙を書いた。尤もこの手紙は検察官フーキエ・タンヴィルが握りつぶして義妹のところには届かなかった。

マリー・アントワネットは疲労とずっと悩まされつづけてきた下血のため憔悴しきっていた。コンシェルジュリーにいる間いつも優しく使えてくれた女中のロザリーが差し出すスープを一口二口飲んだ後、着替えをしようとしたが、見張りの憲兵がそばを離れようとしない。見かねたロザリーが王妃の前に立ちはだかって、憲兵の視線から王妃を守った。そして、王妃は汚れた下着を破れた壁の穴に隠した。

8時に裁判所から遣わされた宣誓司祭が「聖職のつとめ」をしようとしたが、宣誓僧侶の申し出を受け入れるはずがない。10時死刑執行人サンソンが現れ、髪の毛を切る。

11時、刑場に向かう。ルイ16世処刑 されたときは、幌付きの場所に乗せられたが、マリー・アントワネットは通常の罪人と同じ扱いの荷車に乗せられ、その姿を大衆にさらされながら処刑場に向かった。背筋をピンと伸ばして人々の罵詈雑言に耐えているマリー・アントワネット の姿をダヴィッド がスケッチしている。

12時を少し回った頃、馬車は革命広場に到着した。王妃は誰の手も借りずに馬車を降り、断頭台の木の階段を黙々と登った。壇上でサンソンの足を過って踏んでしまうと、ごく自然に優雅な言葉が出てきた。

「ごめんあそばせ。わざとやったのではありませんの」

それから数分後に処刑が終わった。最後の言葉はただ一言、「急いでください」だったと言う。