あまりにもの残酷画像のため画像はカットさせて戴きました。ご覧になりたい方はグーグル画像検索で岡田有希子を追ってみて下さい。 


80年代の日本において、岡田有希子の投身自殺ほどセンセーショナルかつ文化的な色合いの濃厚な死も無かったと思う。あの自殺は意味性を超越した重みを持って今もなお我々の前に横たわっている。それは、人気絶頂のアイドルが突如として謎に包まれた死を遂げるということ以上に、得体の知れない不気味さと記号的な喪失を匂わせていたからかもしれない。 岡田有希子事件が時代のアイコンとして、またアイドル界のタブーとして見られるようになった直接の要因は、当時の芸能界の背後に蠢くどろどろとした思惑ではなく、ひとえに「エンマ 」という雑誌に掲載された、彼女の自殺直後の死体写真にあったと考えられる。 他の雑誌にも幾度か転載されたが、最初に掲載したのは「エンマ 」であり、この雑誌はその後すぐに廃刊となった。 問題の写真はサンミュージックのビルから飛び下り、アスファルトに激突して頭部から血液が流れ出ている岡田有希子が見開きで掲載されており、白黒というのがまた奇妙な幻想を孕んでしまっている。 この写真の衝撃を物語る都市伝説として、撮影したカメラマンが謎の死を遂げたというものがある。これはこの写真を撮影したカメラマンが、死体のポジションを一番撮りやすいように足で蹴って移動したために、何らかの「たたり」が作用し、結果サウナの加熱器の石炭部分に頭から突き刺さって変死したという現実派離れした逸話である。  まず、死体への冒涜が直接死を招く原因になったなどと不可解な因果を組み立ててしまう心理に驚くが、それ以上にあの写真がもたらしたショック性の多大さに恐怖を感じる。そのような魔的な性質を保有する写真であるが故に、カメラマン以外にも、あの写真に関った人間が次々と事故に遭って死んでいるなどのデマが平然と流れ、またそれを肯定してしまいそうな雰囲気に見た者を陥らせるのである。 呪いというものは何かを中心として、周囲の人間が創造する性質のものである。この岡田有希子の場合も、写真という呪術的中心がまずあり、それを取り囲む形での因果的物語が派生するという図式で呪いが成り立っている。つまり、岡田有希子の自殺が何であったのかを知るためのカギは、すべてあの一枚の写真に隠されているのだ。 岡田有希子の死が隠蔽されなかったのは、あの写真によるショックが放射状に拡大していき、イメージとしての「アイドルの自殺」が決定的に表出してしまったからである。これがもし自室でひっそりと死に、写真が公開されなかったならば、あの自殺はもう少し違った様相をもっていたに違いない。 モノクロームの、元はアイドルであった筈のものが無機質に配置されているあの写真は、死という極端な現実を世間に提示し、呪いを発動させてしまった。その結果、関った人間が変死したという幻想が広まり、岡田有希子の死が「ただの自殺」ではなかったのだ、という根拠の無い確信を人々に抱かせてしまったのである。 一人のアイドルの死は、人間個人の死という現実的なレベルから大きくはみ出し、いつしか社会的レベルでの現象として認識されるようになった。 それがいくらネガティブな性質のものだとしても、文化的に多大な影響を及ぼしたことを考えればやはり重要と言わざるを得ない。呪いは影響力という点で見れば、祝詞よりも大きく反映されるのである。  一枚の写真が一つの死を形として残し、それによって多くの人々に様々な感情を発生させた。しかし、写真が切り取ったものは本当に我々がよく知っている筈の死だったのだろうか? 実は、この呪術的な装置としての岡田有希子の死は、表面的に見た場合の『アイドルの死』や、家族や友人から見た『佐藤佳代の死』、ファンから見た『岡田有希子の死』とも違い、過程を非在にした『アイコンの死』だったのである。 アイドルという象徴として機能していた岡田有希子は、死を経過することによって別のアイコンとして機能し始める。それはもうアイドルとしての岡田有希子ではなく「アイドルで謎の自殺を遂げた岡田有希子」なのだ。 重要なのは、アイドルから自殺した少女へのプロセスである『死』そのものだ。これは私たちが考える一般的な死ではない。一人の人間の死を情報だけでなく、受け手が様々な感情を喚起させる性質のものへ変質させた「驚異的な死」である。 その驚異的な死という獣は、写真という媒体を通じて野へ放たれた。そしてこの猛獣は社会的にすべての記号を食い尽くしてしまったのである。  死の散布が巻き起こしてしまったのは、あの混沌だ。カメラマンが変死したというデマや、テレビ画面に霊が映ったなどという騒ぎが発生した裏には「現役アイドルで謎の自殺を遂げた少女」という幻影がへばり付いていたのだ。でなければ、そのような出来事は存在しなかったのであり、カメラマンの変死も幽霊騒ぎも起きなかったであろう。すべては「死」があったから派生しただけである。 伝染病のように広がった「岡田有希子の自殺」は、様々な要因が重なって構成されたウィルスである。  故人は人気アイドルであった。生前の交際関係が複雑であった。遺書があまりにも不自然だった。まさか自殺するとは誰も思っていなかった。投身自殺の前に手首を切ってガス栓をひねってまでいた。なぜか所属するサンミュージックを死に場所に選んでいた。自殺に関する動機は一切不明だった。カメラマンが変死した。歌番組に岡田有希子の霊が映った。 このようなパーツが一つとなり、巨大化した病原菌が「岡田有希子の自殺」なのである。感染源は一緒だが、それによって引き起こされる症状は別である。恐怖であり、悲しみであり、怒りであり、愛であるものがそれぞれの受け手から発生していく。  岡田有希子の死によって、象徴の消滅による影響の多大さというものを我々は経験できたと思う。それはあまりにも陰惨で不吉なイメージでしかないものだが、歴史として既に刻み込まれてしまっているのだから、もはや誰にも否定など出来ない。 あの自殺は、それそのものは一瞬であったが、後に残った余韻が絶大な影響を与えたという意味で、革新的な死であったのかもしれない。だが、死を特別視することによって、いったい何が生まれるというのだろう? その答えがいずれにしても、我々にとって本当に必要なのは岡田有希子が死んだことではなく、死ぬ前の岡田有希子というイメージであったことだけは曲げられない事実である。


*過去「岡田有希子が飛んだあと」で検索した時にコピーさせて頂いた記事です(残念ながら現在はみあたりません((>д<)))