これね。


これ。


これは紛れもなく私の話なのだけれども。


ブレの1つなのよね。ほんと、困っちゃう(笑)


やってしまうのだよ、気づいたら。


気づいたらだから、無意識というか、もう癖になってしもてるのよね。


エゴってまぁ自分が優位に立っていたいからさ、自分の弱さ知ることが怖いからさ、


あらゆる、ほんとあらゆ〜る方法を使ってとっさに


バッと

ものさし📏で測っちゃうの。


とっさの判断で、生まれてこのかたトレーニングしてきたジャッジメントで


はいっ、良い!

はいっ、悪い!

っていう一見得に見えるが本人の人生もとい魂にはなんの意味もないことをずっと繰り返してるのである。


はい、ここまで。ここまでこれは紛れもなく


「わたし」の話ですよ。


ただね…、競争が始まってからこれが深く根付いてるような気がする。


まじで今もだよ。私今だってやっちまってるの。


これは自分でもさすがに救わないとって感じなんで


まずはただひたすら気づくしかないんばい。


「あ、今やってるんだな〜。」と。

「ソウカソウカ無理無イカー。」と。


だってね、責めたら元も子もないから。


最後に誤った自分も含めて「わたし」の中に入れてあげないとね。


だってこれさ


仕方ないもんねー。そうやって教えられてきたから。

どうしようもないループに嵌ってしまったのは自ら選んだし、こういう人間もただやってみたかっただけだもん。

個人の尊厳です。誰にでも楽しむ権利はある。


でも、もういいって思ってるし、飽きてるし、疲れてきたから


少しずつ脱いでいってるんだぜー。


脱いだ気でいたら、あれ、またこの景色どっかで見たような…ってなって簡単に戻るもんね(笑)


でも本当に大分取れてくれば、何よりも自分が自由になる。自分が自分を縛ってないし、許してるから。


この地球で生きてる限りは完璧に取り除くって無理だよ。


だってこの地球で生まれたかったから。それはもう付きものなんだぜ。それさえもプレゼント。


ここから大事なのはきっと


自分がその行為に気づいてるってこと。


何よりも、自分がやってること、動機とかに


自分がありのままに開いた状態で気づくのが大事

なんだよなきっと。


これが本当の自分に近い状態で、限りなく自由に近いのかもしれないです。


でもね、あのね、私ねこんな難しいことまだ出来てないの(笑)


でもね、最後に人類はここまで行かなきゃ、というか


そういうふうになるように計画してるかもですよ、それぞれが。魂の合意をもとに。


それは自分で選ぶのですよ。あなたどっち乗るの?って。


鬱も体調不良も何気ない不登校も偶然じゃありません。ちゃんと行動に移してるじゃないですか。


体はほんと、これはほんと私に言いたいけど、


体はほんとに素直で賢いです。

はい、さっさと責めるのは止めにしませんか(笑)


それでいいんです。だから体とお話してみて。


嘘だと思ってもいいから、なんとなくこう言ってる気がするでいいから


お話の芝居してみ。ちゃんと素直に言ってくるから。


それで体の中がギューーーってなってる時は


自分を責めてるときです。誰もいないのに自分を責めてしまうのは


心の中に根強くジャッジメントがいるからです。そっちに自分が許して他はシャットアウトしてるからです。


ジャッジメントはどこもかしこも根強いです。ほんとキチいです笑い泣き


だからそれをまず認めるところからです。またそれを許さない!ってなったらジャッジの繰り返しです。


それを認めた上で


そっかー。自分が自分をジャッジしてたのかー。そうかー。でももういいやー。

で十分だと思います。責めやジャッジから離れることに関しては。


いろんな方法で裁きます、人は(私も含め)。


自分を裁く。相手を裁く。相手の弱さを認めない(弱点を自分の一部だと思いたくないから相手の弱点を突いて克服させようとする。勝手なアドバイスなど)。


などなどですね。紛れもなく私の話ですけど。


人間という生き物を味わう程度の軽さを持って生きるようになるのが目標ですキラキラ


あとは好きなことして生きていることキラキラ


という、話。でしたニヤニヤ