夢の旅路~ヴェルトライゼンデと私の物語~
・競馬好きになりステイゴールドを愛するまで
私が競馬を好きになったのはテレビ中継で見た金鯱賞で、サイレンススズカの大逃げの走りに魅了されたことがきっかけだった。
同時に競走馬育成ゲームのダービースタリオンに夢中になり、中学校の授業中に血統表を作成してオリジナルの配合を考えたりもした。
当時、中学一年生だった私は幼少期から抱いた夢「プロ野球選手になる」ということが難しいという現実に気づき、代わりに競馬関係の仕事に就きたいという気持ちになりました。
その中でゲームの中ではあるが競馬に携わる方の仕事を知り、「競走馬のオーナーになって大きなレースを勝つ」という将来の目標を抱くようになった。
ただその夢を差し置いてもショッキングな出来事、大好きなサイレンススズカのレース中の事故に直面して失意を抱きました。
サイレンススズカの墓参りは毎年の恒例行事
翌年の天皇賞秋までは特定の馬を好きになるわけではなく、予想することに競馬の楽しみを見出していました。
1999年の天皇賞秋、本命は復活を期待してスペシャルウィーク。そのレースで、人気薄で2着に来たのがステイゴールドでした。
もちろん馬券は外れました。ただその時にシルバーコレクターというステイゴールドに強い興味を持ち戦績を振り返りました。
小さな馬体でクラシックとは無縁だったが少しずつ活躍していく姿、私はステイゴールドの大ファンになりました。
その後は重賞勝利、海外重賞勝利からの引退レースでのG1制覇。ファンとしては多くの感動をたくさん貰いました。
恵まれた環境ではない種牡馬生活をスタートしてステイゴールド。
その産駒で父に初G1をもたらしたドリームジャーニー。
競走馬として活躍したドリームジャーニーでしたが、種付けが下手で多くの産駒を残すことはできませんでした。
種馬として崖っぷちのドリームジャーニーを現役時以上に好きになりました。
・一口馬主デビュー
社会人になり28歳になった私は地方馬主の資格を得て、一口馬主生活もスタートさせました。
初めて出資したのは社台サラブレッドクラブのステイゴールド産駒の牡馬と牝馬でした。
残念ながら勝ち上がるとこをできませんでしたが、大好きだったステイゴールド産駒に出資して北海道に会いに行った時の興奮は言うまでもなかったです。
社台ファームにて出資したオンブルオールと
二世代連続未勝利に終わり簡単にいかない現実を目の当たりにしました。
そんな矢先でした。
一口馬主3世代目でタイムフライヤーのおかげでG1勝利という美酒を味わせてもらい一口馬主にどっぷりとハマりました。
ホープフルステークスの祝賀会にて
翌年4月に社台・サンデーの募集馬リストを見たときに驚きました。
なんとドリームジャーニー産駒が2018年の募集馬の中にいました。
しかも母は活躍馬を輩出しているマンデラ。
馬体写真、厩舎が発表されて出資意欲を増す一方でツアーに参加しました。
会った瞬間にどうしてもこの仔に出資したいと強い気持ちを抱きました。
募集場見学ツアーにて
ところが本馬がこの年の一番人気で実績では絶対取れないということを知りました。
僅かな可能性があるなら諦めたくない私は第一希望で申し込みをしました。
約14倍の抽選を突破して出資が叶い、ドリームジャーニー産駒に出資するというスタートラインに立つことができました。
出資確定後に、嬉しくてその年の11月に牧場に会いに行きました。
この仔に命名したいと思い競走馬の馬名募集に応募しました。
選ばれた時の感動は大きかったです。
翌年2019年3月、私はヴェルトライゼンデに会いに再び北海道の育成牧場に行きました。
君の名前はヴェルトライゼンデだよと声をかけました。
ノーザンファーム早来にて
・競走馬デビューと出資者との出会い
夢のスタートは2019年9月1日小倉競馬場。
初の命名馬のデビュー戦を現地応援、さらに口取りに当選しており私は大きくイレ混んでいたのは言うまでもなかったです。
見事に初勝利を挙げてくれたヴェルトライゼンデ。
私は人生で初めての口取式を経験することが出来ました。
デビュー戦口取式、私の右が谷口さん
その後、二戦目萩ステークスを勝利して、年末のホープフルステークスに出走を果たしてくれました。
もちろん現地に応援に行きました。
結果は2着でしたが翌年のクラシックに向けて気持ちを切り替えました。
ヴェルトライゼンデはたくさんの方々との出会いのきっかけになってくれました。
その中でも私に大きな影響を与えてくれたのが谷口悦一さんです。
谷口さんは当時中央競馬の馬主活動と同時に、銀座にムーティエという競馬barのオーナー業も行っており、馬主や馬関係の方をつなぐ架け橋をして担っていました。
勢いで初めてサラオクでドリームジャーニー産駒ヘヴンズコーヴを落札した際には出資者を紹介して頂き凄く助かりました。
その後もたくさんの方との出会いを谷口さんには頂きました。
私の競馬人生を加速させてくれたのは谷口さんのおかげです。
谷口さんは2024年12月に病気で他界されました。
谷口さんと一緒にヴェルトライゼンデを応援した日々、北海道にみんなで旅行したことは私の生涯の財産です。
今も谷口さんの残した共有馬主企画を残っています。
プロジェクトが続く限りは参加させて頂きたいと思います。
出会った人々の影響をもろに受けた私は中央競馬の馬主になりたいというさらに強く抱きました。
翌年の2020年4月に不動産業で起業をしました。
会社名は「結不動産」。
翌年はコロナウィルスが蔓延。
無観客競馬となったため、三冠レースを現地で観ることはできませんでした。
日本ダービーは友人とオンライン観戦。
勝てませんでしたが3着と頑張ってくれて嬉しかったです。
個人的にはこの年の9月に第一子の息子が誕生して家族が増えました。
翌年2021年大きな期待を描いていました。
しかし、AJCCで2着後に屈腱炎を発症して長いリハビリ生活に入りました。
ヴェルトライゼンデのお休み中の8月に第二子の娘が誕生しました。
四人家族に
そして、2021年11月22日、父が68歳で他界しました。
難病にかかりあっという間に最後を迎えました。
晩年父と酒を飲む際には競馬も良いが仕事にまずは集中しろと言われておりました。
幸いヴェルトライゼンデは休養期間中。
父の死をきっかけに私は休みなく働きました。
最速での中央競馬馬主取得を目指して2024年には取得出来るよう。
・リハビリ期間からの復活
2022年6月復帰戦の鳴尾記念。
中495日というグレード導入以降のJRA平地重賞最長休み明けでの勝利というミラクルを起こしてくれました。
私はテレビ越しでしたが大号泣しました。
復帰お礼に伺ったノーザンファームしがらきにて
その後もジャパンカップ3着、年明けの日経新春杯を勝利。
本格的な姿に近づいた矢先の大坂杯後の屈腱炎再発。
神はヴェルトライゼンデにどれだけの試練を与えるのかと憂いました。
それでもリハビリ生活をクリアして2024年6月鳴尾記念で復帰。
結果は伴いませんでしたが復帰してくれた事に感動しました。
この年の8月、私は中央競馬の馬主資格を得ました。
中学時代に掲げた夢のスタートラインに立ちました。
馬主バッジが届いた日の感動は忘れません
翌年2025年1月日経新春杯に出走後に3度目の屈腱炎発症。
競走馬引退が決まりました。
・乗馬予定から種牡馬入りに向けて
クラブで引退後は乗馬になるとの報告を見ました。
出資仲間も種牡馬になって欲しいと願ってくれていました。
誰よりも私がヴェルトライゼンデの種を残したいと思い、クラブに直談判の連絡をしました。
公平性を期すためにサラブレッドオークションに急遽出品されることになりました。
2025年2月13日、私はサラオクに参戦して無事にヴェルトライゼンデを購入することが出来ました。
この時は多くの方からお祝いと励ましの連絡を頂きました。
強い責任を持って彼を種牡馬としての道に導いて行かないといけないと決意しました。
怪我や時期を考え、今シーズンでの本格的な種付けは見送ることにしました。
未来を描きどうすべきかを画策しつつこの年は個人所有の繁殖に試験的に種付けすることにして、種牡馬登録を行いました。
そんな矢先の3月29日。
報告を受けて牧場に急いで向かいました。
苦しい姿でしたが、私が来たことを察知すると頑張って立ち上がろうとする彼。
獣医さんからは安楽死処分という診断。
苦しむ彼を少しでも早く楽にしてあげないといけないと思い処置を依頼しました。
息をひきとるまで彼のそばにいました。
最後は穏やかな表情で旅立ちました。
その夜、私は浴びるほど酒を飲みました。
大きな喪失感と、彼の未来を変えてしまった自責の念。
ヴェルトライゼンデには多くのファンがいます。
ですので、報告をする義務があると思い翌日Xを通じて報告をしました。
このようになった事に対して多くの批判を受ける覚悟はできていました。
ところが多くの方から励ましの言葉を頂き、そのコメントを読む度に私は何度も泣きました。
今までにない喪失感は続きました。
一種間経っても思い出すたびに泣き、一か月経ってもまた泣いていました。
こんなままではいけない。
このままでは彼との大切の日々までも悲しい思い出になってしまう。
そう思い、前を少しずつ向きはじめました。
ドリームジャーニーは種牡馬を引退しており、夢の続きを弟のオルフェーヴルに求めようと思うようになりました。
早速、サンデーレーシングの2025年募集でダンスウィズキトゥンの24、シルクホースクラブのロザリンドの24,ローブティサージュの24の三頭のオルフェーヴル産駒に出資しました。
・夢の旅路の終着点を求めて
競馬を大好きになるきっかけをくれたステイゴールド。
決して恵まれない種牡馬生活の中で、多くのG1優勝する活躍馬を送り出した。「自らつかみにいく姿」が私に多くの影響を与えてくれています。
その産駒の大好きなドリームジャーニー産駒に出資を夢見て、彼に出会い出資してからの約7年間は素晴らしい日々でした。
人との出会い、素晴らしい経験多くのものを貰いました。
思い出したらまた涙しそうになります。
実際この文章を書きながら何度も涙しました。
ただ気持ちをすでに前を向いています。
彼から頂いたもの、それらを無駄にすることなくこれからの競馬ライフを送ります。
2025年を終える前にやらないといけないことを先日行いました。
常に共にいて成長を遂げる姿を見守って欲しいと思い、私の会社の裏にお墓を建てました。
夢の続きを託した馬がいます。
ユークレースの25、父オルフェーウルの九州産馬の牡馬です。
生まれたのは祖父ステイゴールドの命日2月5日。
12月下旬に本田牧場にて撮影
11月11日の測尺 336キロ 12月中旬の測尺 体高147㎝ 胸囲156㎝ 管囲20.0㎝
順調に成長しています。
ユークレースの25改め「ヴェルトグリュック」と命名することにしました。
ドイツ語でWelt Glück、意味は「世界の幸せ」です。
その走りで世界中の人々を幸せにすることを願って命名しました。
夢の続きをヴェルトグリュックに託したいと思います。
・終わりに
改めて、種牡馬を応援して頂いた方々、コメントで励ましてくれた方々、生産から引退まで携わってくれた方々、本当にありがとうございました。
ヴェルトライゼンデに出会い、命名して、過ごした時間は私の人生の中での大切な時間です。
彼との思い出はすべてを含め私の心に一生残り続けます。
ヴェルトライゼンデがもたらしてくれた方々との出会いを大切にしてこれからの人生を生きます。
ありがとう!最高の旅だったよ、ヴェルトライゼンデ。































