私が海外移住しようと思ったのは、

 

34歳の時。

 

そして、当時独身。

 

それまでの仕事をやめて、

 

シンガポールに行こう!と

 

決意しました。

向こうで仕事が決まったいたわけでもなく、

 

ある程度、仕事候補は探したけど、

 

面接などは行ってから受ける予定。

 

もちろん、家も向こうにいってから。

 

1週間ホテルの予約をしていきました。

 

独身で、子供がいるわけでもなかったので、

 

誰に相談する必要もなく、

 

「だめだったら、

 

 日本に帰ってこればいいだけ。

 

 失うものは、何もない!」

 

と言う気持ちでした。

 

 

もう、航空券も予約して、

 

出発の日も迫っていたのですが、

 

まだ、この時点で、

 

移住できるかどうか確定していないので、

 

周りには誰にも言っていない‥

 

でも、一応それまで住んでいた

 

東京の住まいを引き払って、

 

シンガポールにいくわけだから、

 

ずっと離れて暮らしているけど、

 

両親には報告しなければ‥

 

と思っていました。

 

でも、なんとなく腰が重く、

 

報告する日をずるずる引き伸ばして

 

いました。

 

でも、もう日にちも差し迫っていたので、

 

ある日、ある日重い腰をあげて、

 

実家に電話しました。

 

父親がでました。

「もしもし、お父さん‥ 裕美だけど‥

 

実は、シンガポールに引っ越そうかと思う…

 

出発はもう1週間後なんだけど」

 

 

「…‥‥」

 

びっくりしたのか、しばらく沈黙。

(嫌な予感…)

 

 

そして、とどめの一言がくるのです。

 

お前は… どうして まともに生きれないんだ!

 

両親があまりよい反応をしないだろうというのは、

 

なんとなくわかっていたのだけど、

 

こんな言葉で言われるとは…

 

涙がたくさんあふれて来て、

 

何も言うことができず、

 

そのまま電話を切りました。

 

わかっていました。

 

父親のいう、

 

「まとも」

 

と言うのは、

 

もう30を超えているんだから、

 

結婚して子供を産んで、家族と

 

日本でくらすということなんでしょう。

 

私の人生を、全否定された気分でした。

 

あー、もーいい。

 

こんなことを言われるんだったら、

 

両親となんか縁を切って、

 

好きにやっていくから。

 

もう、両親には連絡しないぞと

 

思いました。

 

そう決意したら、ちょっとふっ切れました。

 

当時、私は航空会社の客室乗務員として

 

働いていたので、

 

シンガポールに移住する前に、

 

最後のフライト乗務が1つ残っていました。

 

フライトの合間をぬって、

 

家を引き払う準備を進めていたのですが、

 

引っ越しって、やっぱり本当にストレス。

 

片付けでも、片付けても片付かない…滝汗

 

両親にも、あんなことを言われて、

 

精神的にも参った状態で、

 

引っ越し準備に追われていました。

 

そして、

 

最後のフライトの乗務から帰って来た朝のことは、

 

今でも忘れられません。

 

その最後のフライトの翌日には、

 

シンガポール出発の予定だったので、

 

そのフライトから帰って来た日が、

 

日本をたつ前の最後の日でした。

 

メキシコシティーからの長時間フライトを終え、

 

フラフラになりながら、早朝

 

東京の自宅に戻ってくると…

 

 

 

なんと

 

 

 

自宅前に、

 

両親が待っていました。

 

それも、大きな車で岐阜から東京まで来たみたいで、

 

車も止まっていました。

びっくりしました。

 

「引っ越し大変でしょ。

 

手伝いにきたよ。

 

片付かないものは、全部この車にのせなさい。

 

家に持って帰ってあげるから…」

 

 

もう、私は、

 

あんな酷いことを言う

 

両親とは会わない!

 

と決めていたのですが、

 

言った方の父親も

 

私がひどく傷ついのを、

 

十分察していたのでしょう。

 

昔から、いろいろと言葉で表現するのは

 

得意でない家族なので、

 

あの言葉に対して直接謝るといったことは、

 

なかったけど、

 

こうして、夜を徹して、

 

車で岐阜から東京まで大きな車で

 

来てくれたことで、

 

想いは、十分にうけとりました。

 

こうして、

 

両親と絶縁することは避けられ

 

シンガポールへ発つ最後の夜は、

 

両親と一緒に近くで一緒に

 

お寿司を食べて過ごしたのでした…

 

 

 

 

 

 

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