価値とはシュレディンガー
ども!こんにちは、もりあです。先日までは漫画の”伝える”という点に重きを置いて話してきましたが今回はちょっと話題を変えます。”価値”の話です。シュレディンガーの猫➡︎https://ja.wikipedia.org/wiki/シュレーディンガーの猫という言葉を聞いたことがある人は多いと思います。その理論をもとに僕が見つけたある法則というか、こうじゃないのかな?っていう考えを話していきます。シュレディンガーの猫というのを簡単に説明すると50%の確率で当たる宝くじの券は当選番号を見ると、当たるか当たらないかはそれぞれ50%。では、その当選番号を見るまでの間はその宝くじの券は当たっている状態と当たってない状態が重なり合った状態であるというお話です。実際に番号を確認するまで、その券がどうなのかは不確定であるという理論です。さて、この話がどうなのかというとこの理論を用いるとするならば”作品とは見られる努力も含めた価値である”という僕の考えです。例えば字がとてつもなく下手くそで他人から解読不能なレベルの字を書く天才がいたとします。彼は、天才なのでなんとタイムスリップが可能なタイムマシンが作ることが可能な論文を制作してしまいます。そして彼は論文完成したと同時に突然の心臓発作で倒れてしまいます。彼の机に残されたタイムマシンの論文を見つける警察官。ですが、書かれている字があまりにも汚すぎて解読が不能です。そしてその論文は決して表に出ることはなかったのであった・・・という話があるとします。これから導かれる回答というのは”いくら素晴らしいものを作ったとしても受け取る側に理解してもらう努力をしなければそれは価値がない状態とある状態が重なり合った状態になってしまう”です。この世界は認識の世界です。認識されて初めて存在ができるという人間中心の理論があります。まさしく、作品も同じで、認識されて初めて存在するわけです。そして、認識されるためにはどうすればいいのか?部屋の片隅に素晴らしい絵が飾られています。その絵はpixviにアップすると一位を取るぐらいの作品。でも部屋の片隅に飾られたまま・・・そういうことなのです。いい作品を作るということを否定するわけではありません。ですが、作品というは人の目に触れられ初めて良いか悪いかが判断されます。誰の目にも触れられない状態というのは良いも悪いもない、”究極的な無価値”の状態です。僕はその状態は「もったいない」と思ってしまいます。今は、ネットという世界があり、昔に比べて認識させる場が増えてきました。つまり努力次第で認識させることはとても簡単なんです。これからは、良い作品を作ることも大切だけど認識させる努力も必要なのかな?と思います。ですが、認識されることによって”良い悪いが下される”という恐怖もあります。その気持ちはすごくわかります。僕も、twitterで漫画を投稿してRTが全然されないときはとても苦しいです。ですが、僕はそれは悪いことだとは思っていません。最も良くないのは”悪い判断が下されるかもしれないからやめておく”という選択をすることだと思います。”良い悪い”を下されるメリットがあります。それは”経験”が蓄積されることです。「これは良いのか」「これは悪いのか」という判断材料が、経験値が増えるというメリットです。この良さは、自分が良いと思っていることと他人が良いと思っていることのそのズレを認識できることです。そのズレの認識を蓄積していくと、まあ未来の話になってしまいますが後々で力になると思います。”良い”と判断が下されれば、喜べるし、もっと頑張ろうと思える。”悪い”と判断されれば、改善ができるし、そこは失敗のレールであると認識できます。そしてそこには進歩が生じます。タイムマシンの理論を説いた天才の論文。実はあれはそこに書かれた方程式が間違っていてタイムマシンとして機能しなかったんです。ですが、その天才は他人に見せなかったからその間違いに気づくことはできませんでした。認識されないというのはそういう恐怖もあるのだと僕は思います。価値のあるものを作ることは素晴らしいです。ですが、価値を下すのは自分ではなく他人です。ならば価値を下してもらうように自分から行動することも大切なのかなと思います。実は、その行動も含めて”価値”は決められているのではないのかというお話でした。皆さんも、絵や漫画だけでなく、感想文や論文、そしてメールやツイート・・・・様々な場面で認識される努力を是非してもらえるとこの記事を書いた意義が生まれるというものです。それでは長くなりましたがこの辺で。よろしければ「いいね」「読者になる」をお願いいたします。