こんにちは、もりあげくんです。
今日は、松下村塾 出身 山田顕義について書きます。
初代司法大臣を務め、日本大学の前進、日本法律学校創設者でもある 山田 顕義 伯爵 が明治25年
(1892年11月)に生野義挙でたおれた又従兄弟の南八郎(川上弥一)を弔うため、山口護国神社を訪れ、
その後 生野銀山視察中に急逝されて今年で120年になります。
JR生野駅西口にあるこの「山田顕義終焉の地」の碑は日本大学創立100周年を記念して寄贈されたもので、
山田顕義伯が朝来市生野で亡くなられたことを示す唯一の碑となっています。
山田顕義といえば松下村塾出身で、吉田松陰が当時14歳の塾生、山田顕義へ扇に書いて贈った詩
立志尚特異 (立志は特異をとうとぶ)
俗流與議難 (俗流はともに議し難し)
不思身後業 (身後の業を思はず)
且偸目前安 (且つ目前の安きをぬすむ)
百年一瞬耳 (百年は一瞬のみ)
君子勿素餐 (君子素餐するなかれ)
がとても有名です。
という意味がこめられており、座右の銘とされてる方も多いのではないでしょうか?
この時代にも当てはまる言葉を贈った吉田松陰さん、さすがです。

