We Worship 
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死について


We Worship -死
死に直面した人にとって、この世界のすべての活動は高い雲の上から見下ろす街の灯のようだ。つまり、自分とまるで無関係のようになる。産業にしろ、芸術にしろ、この世にあるすべてのものは、今と将来を生きる人たちのためのものだからだ。

「今」しかなくなってしまった事実に直面し、多くの人はなすすべもない。すべての人に訪れる当たり前の事なのに、自分に当てはめて準備が出来ている人は本当に少ない。

この世に生きて、人類の歴史を学び、多くの知恵・知識を得たとしても、その人はこの時代の行き着く先を知らぬまま去っていく。そして、そこまでの足跡だけがこの世に残る。一体、その人たちはどこに行ってしまったのか?ただ肉体が朽ちて消滅してしまったのか?

この世はより良く生きるためのもので満ちているが、死にゆく人のためのものは多くが偽物で、人々に毛嫌いされている。

インドに行った時、街を悠々と歩く牛と、道端でぼろきれのように横たわっている人を見かけた。私の目にはまるで人より牛の方がましな存在に見えた。人が動物と違うところはどこか?それは人の内に永遠への思いがあることだと聖書は言う。さらに言えば人は永遠に存在し続ける存在だと言っている。

永遠に存在し続ける「人」にとって、本当に必要なものって何だと思いますか?

何か違う?

職業柄、何事でも表面をキレイに見せようとするこの世の有様にふと気づかされるときがある。


テレビの中では人やモノが美しく魅力的に描かれ、役者がそれらしく演じている。

世の中では流れに乗っかって調子よく生きている人、教え込まれたことを信じ込んできた人たちが大勢、実は自分が大きな流れに流されているのにも気づかずにいる。


みんな本当に必要なことと違うものを求め、何かを得たと思っても心の中の空洞が何も変わっていないのに気づかない。


でも心のどこかで「何か違う」と気づきかけている人がいたら、あせらず、その思いを自分の中で注意深く見守っていこう。


この世にはまがい物が多すぎるけど、たとえ騙されても後で気づけばいいんだ。本当のものを探す目さえ持ち続ければ、きっと正しい方向に向いているよ。探し続けていれば、きっと見つけることが出来るよ。