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私のブログに「いいね」を下さっている
ブログ名が サイドゴアブーツと空の色 様 の「こどもの日に思うこと」 や
ビタミン・トム 様 の
「夢中になる幸せ」『あたまにつまった石ころが』」
という最近の記事を拝読して、刺激となり、自分の母の思い出や母親業について感じていることをお話しさせていただきます。
母は5年前に他界。(4か月後に父が)
姉と共通の感想は、「母は大変だった❗️でも、それを愚痴らなかった❗️かわいそうだったよね」ということでした。
大変だった原因は色々です。
何故愚痴らないでいられたのか。
おそらく、母なりの美学、哲学があり、それを実践することに誇りを感じていたのではないかと思えます。
84才の頃記憶力の低下で、施設入所してからたまに🏠へ連れて帰った時、あちこちの箪笥の引き出しを調べては「おかしい?確かに入れたのに・・・」とぼやいていました。
また幻想が始まった・・・となだめていたが、母の記憶は確かであることが分かったのは、母の葬儀の前日。
私は自分の喪服の入っている実家に起きっぱなしの箪笥の引き出しを開けた瞬間、心臓が止まるのではないかと思うほど驚きました❗️
喪服の包みの上に銀行の預金通帳と紙袋が置かれていたのです。
預金通帳にはそんなに多くない残高が、そして紙袋には、私がご霊前として喪主の長男に預ける予定の金額が入っていたのです👀❗️
施設に入所する頃は、新しい情報を記憶できないでいたのに、自分の葬儀のための準備をした記憶は出来ていた❗️
自分の家で、自分なりの人生の終止符を形作った母の気持ちに頭が下がります。そして自分の終わりを意識して入所する事の辛かっただろう母の気持ちを思うと泣けました😭😭😭・・・
その時の母の気持ちに寄り添えなかったことへの償いは、もう今は出来ません。
懺悔の想いと、深い、駆け引きのない 愛情を注いでくれた人を失う侘しさ・・・。
あの世でもし遇えたら、「死んじゃってからも、ずっと支えられていたよ、有難う」と言ってまた甘えたいです。
母にとって、生きている間、母親業の終わりは無かったと思います。
最後までお読みいただいて有難うございました