Deep life -6ページ目

若年性認知症

自分のブログを読み返してみた。

おんなじ様な内容ばっか。

おもんないわー

自分という人間の懐の狭さを痛感。

もっと幅を広げないとねー

密かに爪を研ぐ野獣の如く

努力とは人に誇るものでは無く積み重ねた事で自分のアイデンティティを確立するための手段に過ぎない。

俺は野獣になりたい。誰にも悟られる事なく自分を徹底的に追い込み理性の奥底に眠る太古に人類が当然の如く備えていたであろう野生を覚醒させるのだ。

悪い意味で人間を人間たらしめるのは社会だと思う。そこに順応しなければならないのはこの年まで生きて重々承知の上。

普通に生きてりゃ野生なんて必要無い。 その為の努力などナンセンス。と人は言うだろう。
けどこんな世の中でも治外法権とも呼ぶべき世界は一般社会との曖昧な境界線の向こうに広がっている。
法を犯すとかそういう意味では無くて。

単純に動物としての本能を必要とする場面が要所要所にあるという事。
作られた虚像という檻の中で収まってると見落とす事も沢山ある。

もっと叫ぶがいい。
空に向かって吠えろ。
己の内に秘めた情熱それこそが生きている証明。

人によっては精神異常者と呼ぶ奴もいるだろうがね。
望むところだよ。
こっちから言わせればいざ千尋の谷から突き落とされて這い上がる力も無い弱者のたわ事だ。

存在燃えるべし。
常に目指すべきは1秒先のK点越え。

人生は登山の如し

立ち止まって自分の立ち位置と目標を確認。
目的と現在地の道程を計り手段を導き出す。
そして何を捨て何を得るか。
ドス一本腹の内にしまい込んだかの気迫を持って腹を括って生きて行きたい。

人生は短い。
本当に短い。

なんて事を考えてみた。

なんだかなぁ~

今自分の中でターニングポイントなんじゃないかって気がするんだよな。
今をどう生きるかでこれからの人生に結構大きな影響が出るかも。
根拠は無い只の勘なんだけど。

夢を見据えて歩いて行きたいもんだ。

誰の為でも無く自分の為に。

んで自分が登ってる山の天辺に辿り着いた暁には嬉し涙の一つくらい流してみたいよね。うん。

困難な道程も頑張って乗り越えなくちゃね。

だって幸せになりたいもんねー!!