歴史好き中休みです。

 

先日、秋祭りに行ってきました。

 

前の週に別の地区の祭で

太鼓台の列にトラックが突っ込んで

死傷者が出るという事故があったため

この祭の関係者は慎重だったと聞きました。

 

太鼓台が集まる神社の境内に入ると

中学、高校時代の同級生・ピロシ氏が

法被を着て立っていました。

 

ピロシ氏とはブログ仲間でもある

高校時代の同級生・はっはっはさんが

帰国した際に会って以来だったので

久しぶりの挨拶をして話をしていると

「あそこにも同級生が居るで。」

と指差しました。

 

二人で歩いていくと

中学時代の同級生・日野氏が居ました。

 

面影があるというより

そのままな日野氏に驚きましたw

 

部活も同じだったのですが

日野氏はもれを見て

「・・・う~ん・・・顔は見たことあるけど・・・

 ごめん・・・。思い出せない。」

と言いました。

 

もれが名乗ると

「ああ!印象がガラッと変わったね!」

と思い出せた様子です。

 

数分話していると

ピロシ氏と日野氏がもれに

「それにしても、もれ氏は全く変わってない!」

と言いました。

 

『はて・・・?』

と引っ掛かってしまいましたw

 

印象がガラッと変わったのか

全く変わってないのかw

 

そこで日野氏の向こう側、3mほどの場所に

見たことのある人が居るのが見えました。

 

もれ「あれって・・・ゲオルゲ氏じゃない?」

と聞くとやはりそうでした。

 

ゲオルゲ氏も中学の同級生で

同じ部活でした。

 

ゲオルゲ氏が寄ってきて

「え?誰?」

ともれをマジマジと見て

「でも・・・見たことはあると思う」

と言いました。

 

もれが名乗ると

「ええっ!全く印象が違う!」

と驚いています。

 

日野氏も「でしょ!?全く違うよね!」

 

やっぱり印象違うのですね?w

 

印象違う で良いのですね?w

 

自分ではそのままおっさんになったつもりでも

やはりずっと会っていないと

気づかれないものですねぇ

 

 

<つづき>

 

上杉氏(うえすぎ):山内上杉氏

 

本貫:相模国鎌倉郡山内(やまのうち)
現在:神奈川県鎌倉市山之内
本姓:藤原氏(藤原北家勧修寺流庶流)
通字:憲
著名な人物:上杉

 

山内上杉氏の本貫地は上記ですが
母体である上杉氏の本貫地は
丹波国何鹿郡上杉荘(京都府綾部市上杉)です。
源姓足利氏とは姻戚関係にあり
足利尊氏は上杉荘で生まれたという説があります。
室町幕府が開府されると上杉憲顕は
鎌倉公方の執事として鎌倉山内へ移り住み

上杉宗家、宗家に近い家が相次いで没落したため
山内上杉氏が宗家となって関東管領を独占しました。
鎌倉公方や扇谷上杉氏と対立し数十年間に渡って

関東全域を巻き込んで争いました。
この抗争を利用した後北条氏が勢力を拡大すると
扇谷上杉氏と和睦して後北条氏に当たりましたが
河越夜戦で大敗を喫して、越後国の長尾景虎(上杉謙信)を

頼って逃亡しました。
上杉憲政は長尾景虎を養子として
上杉氏の家名と関東管領職を譲りました。

 


上杉氏(うえすぎ):扇谷上杉氏

 

本貫:相模国鎌倉郡扇谷(おうぎがやつ)
現在:神奈川県鎌倉市扇ガ谷
本姓:藤原氏(藤原北家勧修寺流庶流)
通字:定、朝
著名な人物:上杉持、上杉

 

山内上杉憲顕の叔父・重顕を祖としています。
上杉重顕は鎌倉公方に仕えて鎌倉扇谷へ移り住み
山内上杉氏が弱体化すると、名将として名高い

太田道灌(資長)の補佐を受けて
山内上杉氏に並ぶ勢力を築きました。
しかし太田道灌を暗殺して伊豆国の伊勢宗瑞(北条早雲)に
協力を依頼したことで後北条氏の台頭を招きました。
扇谷上杉氏は山内上杉氏と和睦して後北条氏に

対抗しましたが、河越野戦で大敗して滅亡しました。
扇谷上杉氏の名跡は一族の上杉憲勝が継ぎ
山内上杉氏を相続した上杉謙信に従いましたが
のちに後北条氏に降伏して消息不明となりました。

 

 

宇喜多氏(うきた)

 

本貫:不明
現在:不明
本姓:百済王族子孫三宅氏流?
通字:家、秀
著名な人物:宇喜多直、宇喜多秀家

 

宇喜多氏の出自については不明で百済王族の

子孫・三宅氏から分家した説と
宇喜多氏の分家が三宅氏という説があります。
名字も百済王族の姫が藤原北家閑院流三条家の
宇喜多中将に嫁いで宇喜多姓を名乗ったという説と
地形を由来とする浮田から転じたという説があります。
嫡流が宇喜多を名乗り、庶流は浮田を名乗りました。
宇喜多直家は大名にまで成長し、子・宇喜多秀家は

豊臣五大老になりましたが、関が原の戦いで改易されました。
宇喜多秀家の従兄弟・詮家は戦前に出奔し

徳川家康に仕えて、東軍に属して石見国に所領を与えられ

宇喜多氏を相続しましたが、徳川家康が「宇喜多」を

嫌ったため、坂崎氏を名乗りました。
改易された宇喜多秀家は八丈島に流罪となり
直系は浮田氏、庶流は喜田氏と名乗ったとされています。

 


宇佐美氏(うさみ)

本貫:伊豆国田方郡宇佐美郷
現在:静岡県伊東市宇佐美
本姓:藤原氏(藤原南家工藤氏流)
通字:祐
著名な人物:宇佐美定満

 

宇佐美氏は工藤氏から分家しました。
越後国守護・上杉氏に従って越後に移りました。
上杉氏が一時没落し再起を図って旗揚げした際に
宇佐美氏も従軍して手柄を挙げています。
長尾為景が越後国の実権を握ってからは長尾氏に仕え
長尾景虎(のち上杉謙信)の家督相続を支援しました。
宇佐美定満は上杉謙信の参謀として有名です。

 


氏家氏(うじいえ)

 

本貫:下野国氏家郷
現在:栃木県塩谷郡氏家町
本姓:藤原氏(藤原北家宇都宮氏庶流)
通字:公、重、直、継、国など特定困難
著名な人物:氏家卜全(元)

 

宇都宮氏の庶子・公頼が氏家郷を与えられ
土着して氏家姓を名乗ったとも
公頼が紀氏流氏家氏の家督を相続したともされています。

※「氏」の文字が多くてゴチャゴチャしてますねw
南北朝時代までは宇都宮氏に仕え
新田義貞を討ち取って美濃国に所領を得ました。
斯波氏(のち大崎氏)が奥州探題に任じられると
斯波氏に従って奥州へ下向した奥州氏家氏と
美濃国の所領に残った美濃氏家氏に分かれました。
戦国時代に入ると美濃氏家氏は守護・土岐氏、
斎藤氏に仕え、のちに織田信長に仕えました。
氏家行広は関が原の戦いで西軍に属して改易され
大坂の陣で大坂方に属して戦死しました。
弟・氏家行継は戦後、熊本藩に仕えました。
奥州氏家氏は大崎氏、のちに伊達氏に仕えましたが
子に恵まれず断絶しました。
遠縁の者が奥州氏家氏の名跡を継いだとされています。

 

<つづく>

<つづき>

 

井上氏(いのうえ)

 

本貫:信濃国高井郡井上
現在:長野県須坂市近辺
本姓:源氏(清和源氏頼季流)
通字:光、長など
著名な人物:井上明、井上盛、井上元兼

 

井上氏は源頼季の嫡流とされています。
村上氏や高梨氏らの武士集団の惣領的存在で
北信濃を牛耳っていましたが

仏門に入る男児が多く、弱体化したとされています。
分家には安芸井上氏、播磨井上氏、三河井上氏のほか
保科氏、高梨氏、須田氏、赤井氏、荻野氏などがあります。

 


今井氏(いまい)

本貫:
 近江国高島郡今井城
 大和国今井町
現在:
 滋賀県高島市付近
 奈良県橿原市今井町
本姓:源氏(近江源氏佐々木氏流)
通字:宗?兼?
著名な人物:今井久(員)、今井薫(久)

 

戦国時代の今井宗久らは武人ではなく茶人として
活動していますが、影響力が大きかったので掲載します。
今井氏の祖は佐々木氏とされています。
今井宗久は織田氏が堺の商人らに矢銭を要求すると
会合衆との仲介役をして矢銭を納めた功績で
織田信長に重用されました。
今井宗久の子・宗薫も茶人で
豊臣秀吉、徳川家康に仕えています。

 


今川氏(いまがわ)

本貫:三河国幡豆郡今川荘
現在:愛知県西尾市今川町
本姓:源氏(清和源氏足利氏流吉良家庶流)
通字:氏、範、義など
著名な人物:今川貞世(了俊)、今川親、今川

 

今川氏は足利将軍家の親族である吉良氏の分家で
吉良氏に継ぐ征夷大将軍職の継承権を持つ家でした。
駿河国、遠江国の守護を兼任していましたが
足利義満の代に今川貞世(了俊)が
謀叛の嫌疑を受け失脚しましたが
以後も足利一門として強い権威を持ち続けました。
今川義元が桶狭間で織田信長に敗死すると
一気に弱体化し三河国で台頭した徳川氏、
甲斐武田氏、後北条氏によって滅亡しました。

 


岩城氏(いわき)

本貫:陸奥国石城郡(いわきのこおり)
現在:福島県いわき市北部
本姓:
 平氏(桓武平氏常陸平氏流)説
 石城国造(いわきのくにのみやつこ)家の後裔説
通字:隆
著名な人物:岩城親、岩城常、岩城由

 

福島県の浜通り方面を治めたことから
海道平氏とも呼ばれました。
奥州藤原氏や清原氏とも関係が深いとされています。
鎌倉時代は地頭職でしかなく
近隣の有力御家人・伊賀氏と度々争ったとされています。
伊賀氏が没落すると配下に加えて磐城を支配しました。
戦国時代に入ると近隣の相馬氏、田村氏、
伊達氏、芦名氏、佐竹氏など列強の間を生き抜き
明治維新まで存続しました。

 


岩成氏(いわなり)

本貫:
 大和国石上神社摂社石成神社
 備後国品治郡石成郷
現在:
 奈良県天理市滝本町滝口?
 広島県府中市、福山市付近?
本姓:不明
通字:不明
著名な人物:岩成友通(長信)

 

岩成氏は石成氏とも書くようですが
友通以外はほとんど知られていません。
岩成友通自身も出自が不明で
畿内で三好氏の家臣になったと考えられています。
三好長慶の奉行衆として仕えて長慶の死後
長慶の甥・三好義継の後見人となった
三好三人衆の一人として知られています。

 


岩松氏(いわまつ)

本貫:上野国新田郡新田荘岩松郷
現在:群馬県太田市付近
本姓:
 源氏(清和源氏義国流新田氏庶流)?
 源氏(清和源氏義国流足利氏庶流)?
通字:純
著名な人物:岩松経家、岩松直国

 

岩松氏の家祖は少々複雑な経歴の持ち主です。
足利義兼の庶長子・義純は母の身分が低かったため
家外に出され、大伯父・新田義重に育てられました。
義純は新田義重の孫娘を妻に娶り、子・時兼を儲けました。
畠山義忠が反乱を起こし、北条氏によって滅亡すると
義純は畠山義忠の娘を娶り
畠山氏の家督を相続して畠山義純を名乗りました。
前妻である新田義重の孫娘と子・時兼は義絶され
岩松時兼(岩松氏家祖)を名乗ったとされています。
岩松氏は代々、母系の新田氏に仕え
新田義貞の鎌倉幕府打倒にも参加しました。
建武の新政が始まると岩松氏は徐々に
足利尊氏に接近し、足利氏と新田氏が対立すると
足利氏に従いました。

 

<つづく>

<つづき>

 

一戸氏(いちのへ):南部氏分家

 

本貫:陸奥国糠部郡一戸
現在:岩手県二戸郡一戸町
本姓:源氏(南部氏庶流)
通字:特定不能
著名な人物:特に無し

 

南部氏から分家して一戸氏を名乗りました。
一戸氏はさらに分家して細分化してしまったので
ここまでにしておきます。

 


一色氏(いっしき)

 

本貫:三河国吉良荘一色
現在:愛知県西尾市一色町
本姓:源氏(清和源氏義家流足利氏庶流)
通字:範、義
著名な人物:一色氏、一色直、一色

 

鎌倉時代後期に足利泰氏の七男が分家して
一色氏を名乗りました。
尾張国、丹後国守護に補任されると
建部山城(現・舞鶴市)を築城して本城としました。
一色氏は赤松氏、京極氏、山名氏と並ぶ
四職(ししき・ししょく)の筆頭格とされており
三管領家(細川氏、斯波氏、畠山氏)と共に
室町幕府の重鎮として活躍しました。
戦国時代に織田氏に臣従しましたが
豊臣政権下で一色満信が細川忠興によって

謀殺されて一色氏は滅亡しました。

 

 

伊東氏(いとう)

 

本貫:伊豆国田方郡伊東
現在:静岡県伊東市
本姓:藤原氏(藤原南家工藤氏流)
通字:祐
著名な人物:伊東親、伊東義

 

伊東氏は工藤氏の庶流で伊豆国の豪族でした。
源頼朝が伊豆へ配流されると伊東氏が監視役となりました。
当主・伊東祐親は平家を恐れて娘・八重姫と

源頼朝の間に生まれた男児を殺害したとされています。
伊東祐親の甥・工藤祐経が伊東姓を名乗り
源頼朝の側近になり、祐経の孫が日向国へ下向して

日向伊東氏となりました

 


伊藤氏(いとう):伊勢藤原氏

 

本貫:伊勢国
現在:三重県
本姓:藤原氏(藤原北家秀郷流)
通字:不明
著名な人物:伊藤忠清

 

藤原氏流の武士が伊勢国に所領を得て
勢の原氏を意味する
伊藤氏を名乗ったとされています。
平安時代後期に平家に仕えた伊藤忠清、
子・忠綱、景清を輩出して平家の有力家人として
保元・平治の乱、源平合戦に従軍しました。
壇ノ浦の戦いまで平家に従った
伊藤忠清父子は戦死、処刑されています。

 


伊藤氏(いとう):伊豆藤原氏

 

本貫:伊豆国東部
現在:静岡県伊豆半島東部
本姓:藤原氏(藤原南家工藤氏庶流)
通字:不明
著名な人物:特になし

 

工藤氏は藤原南家の流れを汲む一族で
工藤氏の一部が東伊豆に移り住んで豆工氏を名乗り

のちに伊藤氏となったとされています。
ただし、工藤氏流の伊藤氏は「伊東氏」と

表記される氏族であり、伊藤氏は本来、

藤原秀郷流を指すとされています。
伊東氏から伊藤氏に改姓した者が多かったため
工藤氏流と藤原秀郷流が混同されたとされています。

 


稲葉氏(いなば)

 

本貫:
 美濃国稲葉山?
 伊奈波社?
現在:岐阜県岐阜市?
本姓:越智氏(越智氏庶流伊予河野氏庶流)
通字:通、正
著名な人物:稲葉良(一鉄)、稲葉

 

稲葉氏の出自は明白ではありませんが
伊予国の河野氏(伊予橘氏)というのが通説です。
また上記の本貫についても伝承であり、不詳です。
家祖についても河野通直(刑部大輔)の四男・通貞説や
佐藤朝光の子・伊賀光資説、
伊賀光資が河野通弘、通兼を猶子とした説など不明瞭です。
土岐氏、斎藤氏の西美濃三人衆と呼ばれる

有力家臣になりました。

 

<つづく>

<つづき>

 

石塔氏(いしどう):石堂氏

 

本貫:不明(石塔・石堂)
現在:不明
本姓:源氏(河内源氏義家流足利氏庶流)
通字:頼、義
著名な人物:石塔房、石塔

 

鎌倉幕府の御家人・足利氏から分家して

石塔氏を名乗りましたが、

名字の由来となった石塔(石堂)は不明とされています。
南北朝時代に入ると石塔氏は足利尊氏(北朝)から
奥州大将軍(のちの奥州管領に該当)に任じられましたが
奥州大将軍を解任されると南朝に寝返りました。
当主・石塔義房と次男・頼房が北朝に降伏した後も

三男・義基(義憲・義元とも)は南朝方に味方しました。
石塔義基は足利直冬から南朝方奥州管領に任じられて
一時は奥州国府・多賀城を落しますが
すぐに北朝方奥州管領・斯波家兼に奪還され
弱体化したとされています。

 


石橋氏(いしばし):陸奥石橋氏

 

本貫:
 下野国都賀郡石橋
 三河国設楽郡石橋
 山城国葛野郡石橋
現在:
 栃木県下野市石橋
 愛知県北設楽郡、南設楽郡付近?
 京都府京都市右京区?
本姓:源氏(足利氏庶流)
通字:義
著名な人物:石橋和、石橋棟

 

石橋氏の本貫は下野国、三河国、山城国など
多くの源氏(足利氏)ゆかりの土地に
石橋という地名があり判然としていません。
石橋氏は足利泰氏の庶長子・斯波家氏の曾孫が

石橋和義と名乗ったことに始まります。
石橋和義は足利尊氏に従いましたが
再従兄弟にあたる斯波高経との政争で失脚しました。
のちに将軍・足利義詮が石橋和義の子・棟義を取り立てて
奥州の南朝方と戦わせました。
石橋棟義は奥州に土着して奥州探題・大崎氏の傘下に入り

のちに子・満博が婿養子として塩松氏を相続して

塩松石橋氏となり二本松氏、芦名氏、田村氏などと並ぶ
奥州の豪族となりました。

 


伊集院氏(いじゅういん)

 

本貫:薩摩国日置郡伊集院
現在:鹿児島県日置市伊集院町
本姓:惟宗氏?(島津氏庶流)
通字:久、忠
著名な人物:伊集院

 

島津氏の庶流ですが島津氏自体が清和源氏流を

仮冒しているので本姓は不明です。
南北朝時代に主家・島津氏は北朝方でしたが
伊集院氏は南朝方として島津氏と抗争しました。
南北朝合一後は再び島津氏家臣に復しましたが
島津氏が内訌により弱体化すると
伊集院氏など重臣の発言力は強くなり

島津氏を凌ぐ権力を持っていました。
島津氏が島津貴久によってまとめられると
重臣として活躍しました。

 


伊勢氏(いせ)

 

本貫:伊勢国鈴鹿郡
現在:三重県亀山市付近
本姓:平氏(桓武平氏維衡流)
通字:貞
著名な人物:伊勢親、伊勢宗瑞(北条早雲)

 

伊勢平氏が伊勢守に任じられて伊勢氏を名乗りました。
伊勢平氏は平家の母体氏族です。
源平合戦で平家が滅亡した後も伊勢氏は存続し
南北朝時代には室町幕府の政所執事を世襲しました。
しかし三好氏、六角氏の台頭や

織田氏の京都進出で権力を奪われると
伊勢貞興は織田氏家臣・明智光秀に仕え、
本能寺の変でも明智勢に従軍しましたが
山崎の戦で羽柴秀吉に敗れて戦死しました。
伊勢貞興の甥・貞為の家系は旗本として

徳川幕府に仕えています。
伊勢氏の分家には備中伊勢氏、山城伊勢氏などがあり
伊勢宗瑞(北条早雲)は備中伊勢氏の出身とされています。

 


板垣氏(いたがき)

 

本貫:甲斐国山梨郡板垣郷
現在:山梨県甲府市
本姓:源氏(清和源氏義光流武田氏庶流)
通字:房、信
著名な人物:板垣

 

甲斐武田氏の武田信義の三男・兼信が
板垣兼信と名乗ったとされています。
板垣兼信が源頼朝の勘気を受けて隠岐国へ配流となり
配流を免れた分家が武田氏に仕えたとされています。
戦国時代には板垣信方が甘利虎泰と共に重用されました。

板垣信方の死後、子・信憲は凡庸過ぎるとして改易され

信方の娘婿の於曾(おぞ)信安が名門板垣氏を継いで

板垣信安と名乗りました。
板垣信憲の子・正信は家臣によって命を救われ
のちに乾(いぬい)氏を名乗り、山内一豊に仕えました。
山内一豊が土佐藩主に任じられると土佐へ移り住み

明治維新や自由民権運動で知られる乾退助

のちの板垣退助に繋がったとされています。

 


一条氏(いちじょう):土佐一条氏

 

本貫:土佐国幡多郡
現在:高知県四万十市付近
本姓:藤原氏(藤原北家九条流一条家庶流)
通字:房
著名な人物:一条家、一条兼定

 

藤原五摂家のひとつ一条家は鎌倉時代に公卿として

一条殿に住んだことから一条家を名乗ったとされています。
一条教房は応仁の乱の戦火を避けるために
所領の土佐国中村へ避難しました。
一条教房の子・房家は乱後も土佐国に残り
土佐一条氏となりました。
一条房家は高い官位を持ったまま土着したことから
土佐国の国人領主らから一目置かれる存在となり
土佐七雄の盟主的な地位にありました。
滅亡の危機に瀕した長宗我部国親を保護して
長宗我部氏を再興させるなどしましたが
国親の子・長宗我部元親に攻められて滅亡しました。

 

<つづく>

<一昨日のつづき>

 

石川氏(いしかわ):河内源氏流石川氏

 

本貫:河内国石川荘
現在:大阪府南河内郡付近
本姓:源氏(河内源氏源義時流庶流)
通字:義、忠など
著名な人物:石川基、石川

 

源八幡太郎義家の六男・源義時の子が
石川姓を名乗ったのが始まりとされています。
源平の争乱で没落しましたが
平家滅亡後に河内国南部に勢力を回復しました。
鎌倉時代末期に河内国南部に楠木氏が台頭し
石川氏の多くが楠木氏の配下に入ったとされています。

 


石川氏(いしかわ):三河石川氏

 

本貫:河内国石川荘
現在:大阪府南河内郡付近
本姓:源氏(河内源氏源義時流庶流)
通字:義、忠など
著名な人物:石川数正、石川家成

 

河内源氏流石川氏が没落した際、

一部が下野国小山氏の保護下に入りました。
本願寺蓮如に随行して三河国に移り住み
三河石川氏になったとされています。
当初は三河国守護・一色氏に仕え
のちに松平氏に仕えて筆頭家老にまで昇りました。
分家は関東・中部地方に多く点在しています。

 


石川氏(いしかわ):陸奥石川氏

本貫:陸奥国白河郡石川郷
現在:福島県石川郡石川町
本姓:源氏(清和源氏頼親流)
通字:光
著名な人物:石川昭

 

源頼義の奥州下向に随行した源頼遠、有光父子が
石川郷を与えられて石川氏を名乗りました。
平安時代末期の源頼朝の挙兵や
鎌倉時代末期の新田義貞の鎌倉攻めで功を挙げました。
建武政権の冷遇を理由に北朝方(足利尊氏方)として
結城氏と戦ったとされています。
戦国時代になると伊達晴宗の傘下に入り
晴宗の四男・昭光に家督を譲りました。

 


石川氏(いしかわ):備中石川氏

本貫:陸奥国白河郡石川郷
現在:福島県石川郡石川町?
本姓:源氏(清和源氏頼親流)?
通字:久?
著名な人物:石川智、石川通清

 

出自は不明瞭ですが陸奥石川氏と同じ
源頼親の子孫ではないかと推測されています。
備中国守護・細川氏に守護代として仕えました。
細川氏が騒乱で畿内に上ると、台頭した三村氏に従い
毛利氏の備中国侵攻で三村氏と共に滅亡しました。
備中石川氏は歴史好き長宗我部編で登場した
伊予国の石川通清の源流にあたります。

 


石田氏(いしだ)

 

本貫:近江国坂田郡北郷村大字石田
現在:滋賀県長浜市石田町
本姓:平氏(桓武平氏三浦氏流)?
通字:正、成
著名な人物:石田三

 

石田氏は全国に点在していますが
石田三成の家系は不明瞭です。
三浦氏の分家・芦名為清の孫が木曽義仲を討って

近江国石田村を与えられ、京極氏家臣・石田氏となって

三成に繋がったという説があります。
近江国の観音寺に預けられた幼少期の三成を
羽柴秀吉が見出したと言われています。
石田三成は関が原の戦いで敗れて処刑されましたが

実子は出家して助命されました。
弟も津軽へ逃れて子孫を残したとされています。

 

<つづく>

歴史好き中休みで小ネタです。

 

先日、夕食を食べ終えて

部屋に戻ろうとするもれに母が

「ちょっと!これなんで点かないの?」

と懐中電灯を手渡してきました。

 

買ったばかりのLED懐中電灯だと言うので

「電池が入ってないんやろ?」

 

と電池スペースを開けると

案の定、電池が入っていませんでした。

 

すると母

「LEDなのに電池が要るん!?」

 

まだ夕食の最後の一口を

頬張っていたもれは吹き出しそうになりました。

 

「LEDを何だと思ってるの!?」

 

もれ家では数箇所にLEDセンサーライトや

LED電球を使っています。

 

それらがどうやって点灯していると

思っていたのでしょう?@@;

 

機械オンチにも程がありますねwww

 

 

部屋に戻ってから冷静に分析した結果

LEDソーラー(太陽光)発電

混同しているのではないかという結論に至りました。

 

本人に確認はしていませんがw

 

 

ソーラー懐中電灯・・・

電池交換不要なので便利そうに思えますが

懐中電灯は夜使うものですから

日中に陽の当たる場所で充電しておいて夜使う・・・

使えそうで使えない感じですねw

 

<おわり>

<つづき>

 

池田氏(いけだ):摂津池田氏

 

本貫:和泉国池田村
現在:和泉市池田下町付近
本姓:
 不明(発祥時の池田氏)
 源氏(清和源氏頼政流)
通字:正、貞
著名な人物:池田勝、池田知

 

池田氏の出自は不明で和泉国池田村出身の人物が
摂津国と美濃国に荘官として赴任しました。
平安時代末期に源三位頼政の弟・泰政が
池田氏の養子に入り摂津池田氏を時景、

美濃池田氏を泰継に相続させたとされています。
摂津池田氏の池田勝正、知正の異母兄弟は
織田信長と荒木村重に翻弄されました。

 


池田氏(いけだ):美濃池田氏

 

本貫:美濃国池田郡池田荘
現在:岐阜県揖斐郡池田町
本姓:
 不明(発祥時の池田氏)
 源氏(清和源氏頼政流)
通字:政
著名な人物:池田恒興、池田輝

 

美濃池田氏は摂津池田氏から分家した源泰継が

美濃国池田荘を治めたのが始まりとされ
美濃国守護・土岐氏に仕えていたと見られています。
滝川氏出身の恒利が池田氏の娘婿として家督を相続し
尾張国守護代・織田信秀に仕えたとされ
織田信長の乳兄弟・池田恒興がよく知られています。
池田恒興の次男・輝政は姫路藩主になりました。

 

 

生駒氏(いこま):尾張生駒氏

 

本貫:大和国平群郡生駒
現在:奈良県生駒市
本姓:藤原氏(藤原北家良房流)
通字:周?
著名な人物:生駒吉乃、生駒家宗

 

藤原良房の子孫が大和国生駒に移り住んで
生駒氏を名乗ったのが始まりとされています。
応仁の乱の戦火を逃れて尾張国丹羽郡に移り住み
尾張国守護代・織田氏庶流の織田信康に仕えました。
生駒家宗の娘・吉乃は織田信長の側室となり
織田信忠、信雄、徳姫を生みました。
また吉乃は木下藤吉郎の織田氏仕官を
仲介したとも言われています。

 


生駒氏(いこま):阿波生駒氏

 

本貫:大和国平群郡生駒
現在:奈良県生駒市
本姓:藤原氏(藤原北家良房流)
通字:永?
著名な人物:生駒善長

 

尾張生駒氏の四代目・生駒家長の嫡男・善長は
弟に尾張生駒氏の家督を譲ると
自身は各地を巡って徳島藩・蜂須賀家政に仕えました。
阿波生駒氏は幕末まで徳島藩の重臣として仕えました。

 


生駒氏(いこま):讃岐生駒氏・矢島生駒氏

 

本貫:大和国平群郡生駒
現在:奈良県生駒市
本姓:藤原氏(藤原北家良房流)
通字:親、正
著名な人物:生駒親、生駒一

 

尾張生駒氏の娘婿・土田氏は生駒姓を与えられて

土田生駒氏となりました。
土田氏は六角氏傍流とされており
織田信長の母・土田御前の実家でもあります。
土田生駒氏の生駒親正が織田氏に仕官し
のちに豊臣秀吉に重用されて讃岐国丸亀を与えられました。
関が原の戦いでは生駒親正が西軍、子・一正が東軍に

味方して家名を守りました。
生駒一正の孫・高俊はお家騒動(生駒騒動)で改易され
出羽国由利郡矢島へ配流となり、わずかな分知を

与えられ矢島生駒氏と呼ばれるようになりました。
 

<つづく>

<つづき>

 

安倍氏(あべ):公家

本貫:大和国十市郡阿部

現在:奈良県桜井市阿部

本姓:阿部臣(のち阿部朝臣に昇格)

通字:特定不能

著名な人物:安倍仲麻呂、安倍晴明

 

安倍氏は当初は阿部氏と記載されていたとされ

飛鳥時代から奈良時代に大臣級の高官を輩出しました。

平安時代初期に表記を安倍氏に変えたとされ

安倍晴明以降は陰陽師の家系として知られています。

平安時代以降、歴史の表舞台には出てきませんが

南北朝時代に公卿・安倍有世を輩出しており

存続していることが確認されています。

また土御門家は安倍氏の末裔とされており

明治維新まで存続しています。

 

 

安倍氏(あべ):奥州安倍氏

本貫:陸奥国平泉
現在:岩手県平泉町
本姓:
 安倍氏(?)
 アイヌ民族(?)
通字:任?
著名な人物:安倍頼時、安部貞、安倍宗

 

奥州安倍氏の出自は不詳で公家系の安倍氏が

奥州へ派遣された際に土着して子孫を残したという説や

蝦夷(アイヌ系)の氏族という説などがあります。

平安時代後期、奥州安倍氏は奥州北部に勢力を築き

朝廷から派遣された源頼義と戦いました。(前九年の役)
しかし蝦夷の民・清原氏に敗北し一族は流刑となりました。
安倍頼時の娘・有加一乃末陪は藤原経清(戦死)との間に

子を儲けていましたが、清原武貞の妻とされ

藤原経清と有加一乃末陪の間の子は

清原武貞の養子となり、清原氏が滅亡後に復姓して

奥州藤原氏の祖・藤原清衡になりました。

 


尼子氏(あまご)

本貫:近江国甲良荘尼子郷
現在:滋賀県甲良町
本姓:源氏(宇多源氏京極氏庶流)
通字:綱、高、頼、久
著名な人物:尼子経、尼子晴

 

宇多源氏佐々木氏の庶流・京極氏の分家で
出雲国守護・京極氏の守護代として出雲国へ下向しました。
主家である京極氏の弱体化で尼子経久は

出雲国を実効支配して戦国大名へと成長しました。

 


甘利氏(あまり)

本貫:甲斐国巨麻郡甘利荘
現在:山梨県韮崎市付近
本姓:源氏(清和源氏義光流武田氏庶流)
通字:信
著名な人物:甘利虎泰

 

甲斐武田氏の始祖の代に分家した一条行忠が
甘利氏を名乗ったとされています。
一条という名字は甲斐国山梨郡一条郷から
取ったもので、京都とは関係ありません。
甘利行忠の数代後に系図は不詳となっていますが
戦国時代の武田氏譜代重臣・甘利虎泰に

繋がっていると考えられています。
最近、金銭授受問題を報じられた甘利大臣は

甘利氏の子孫とされています。

 


有馬氏(ありま):肥前有馬氏

本貫:肥前国高来郡有馬庄
現在:長崎県島原市付近
本姓:
 藤原氏(藤原北家純友流)説
 平氏(桓武平氏平直澄流)説
通字:純、澄
著名な人物:有馬晴、有馬晴信

 

反乱を起こした藤原純友の子孫説と
平直澄の子孫説があって出自は不詳です。
島原半島一帯を所領としてポルトガルとの貿易で

力を付けたとされています。
龍造寺氏が勢力を広げると弱体化しましたが
島津氏が北上すると同盟して龍造寺氏を撃退しました。

 

 

安藤氏(あんどう):美濃安藤氏

本貫:不明(関東地方のどこか)
現在:不明
本姓:藤原氏(藤原北家秀郷流)
通字:光、就

著名な人物:安藤守

 

美濃安藤氏の出自は藤原秀郷流の伊賀氏の一部が

美濃国へ移り住んだという説が主流です。

美濃国守護・土岐氏、台頭した斎藤氏に仕えました。

守就の頃から安藤姓を名乗ったとされています。

織田氏に臣従しましたが武田氏への内通を疑われて

美濃国内に幽閉されました。

織田信長の死後、失地回復を目指しましたが

稲葉良通(一鉄)の反撃で滅亡しました。

安藤守就の末弟・郷氏の妻が山内一豊の姉だったため

郷氏の子・安藤可氏は山内氏に仕え

山内姓を与えられて土佐藩士となりました。

 


井伊氏(いい)

本貫:遠江国井伊谷
現在:静岡県浜松市北区引佐町
本姓:藤原北家勧修寺流?
通字:直
著名な人物:井伊政、井伊

 

南北朝時代に井伊谷の豪族で遠江介の井伊道政が
南朝方(後醍醐天皇方)として活動しました。
北朝方の駿河守護・今川氏が遠江守護になると
その支配下に入ったとされています。
今川義元が桶狭間で戦死すると
後継者・今川氏真は謀叛を企てたとして
井伊氏当主を討伐し、井伊氏は完全に没落しました。

当主が不在になると前当主の娘で出家していた

尼僧・次郎法師(直虎)が還俗して

女領主として井伊氏を存続させました。
今川氏が徳川家康によって滅亡すると
当主となった井伊直政が徳川氏に従って功績を挙げ
酒井忠次、本多忠勝、榊原康政と並ぶ
徳川四天王と呼ばれる重臣となりました。
江戸時代後期に井伊氏当主で徳川幕府大老となっていた
井伊直弼は安政の大獄の恨みを買って
殺害されてしまいます。(桜田門外の変)
 


伊賀氏(いが)

本貫:不明(関東地方のどこか)
現在:不明
本姓:藤原氏(藤原北家秀郷流)
通字:光など
著名な人物:伊賀朝

 

藤原秀郷流の氏族で代々蔵人所を務めました。
朝光が伊賀守に任じられて伊賀朝光と名乗りました。
伊賀朝光は源頼朝の上洛にも従軍し、
娘は北条義時の後室として伊賀の方と呼ばれました。
北条義時が第2代執権になると外戚として権力を得ました。
伊賀朝光の次男・光宗は伊賀の方の子・北条政村を

執権に就任させようと画策して流罪となりました。
北条政村はその後、幕府や得宗家に忠実に仕えて
第7代執権に就任しました。
のちに伊賀光宗は幕政への復帰を許されました。
美濃国へ移った伊賀氏流の氏族が美濃安藤氏になった

という説がありますが伝承の域を出ません。

 

<つづく>

<つづき>

 

安達氏(あだち)

本貫:
 武蔵国足立
 岩城国安達
現在:
 東京都足立区
 福島県二本松市、本宮市、大玉村付近
本姓:藤原氏(藤原北家魚名流)?
通字:盛
著名な人物:安達長、安達泰

 

安達氏の祖・安達盛長は源頼朝が伊豆に

流罪となった際に付き人として伊豆へ

下向した人物ですが出自は不明瞭です。
源頼朝と北条政子の間を取り持ったといわれており
頼朝挙兵の檄を関東武士に広めるなど
鎌倉幕府成立に大きく貢献しました。
安達盛長の曾孫・泰盛は政敵・平頼綱(禅門)の讒言により

攻撃されて自害しました。(霜月事件)
 


穴山氏(あなやま)

本貫:甲斐国巨摩郡穴山
現在:山梨県韮崎市穴山町
本姓:源氏(清和源氏義光流武田氏庶流)
通字:信
著名な人物:穴山君(梅雪)

 

南北朝時代に甲斐国守護・武田信武の子・義武が
穴山氏を名乗ったとされています。
織田氏・徳川氏による甲州征伐の直前に穴山信君(梅雪)は

織田氏に内通して所領を安堵されています。
穴山信君が徳川家康と共に京、大坂を見物中に

本能寺の変が発生し、宇治田原で一揆勢により落命しました。
甲斐国に残っていた穴山信君の嫡子は徳川氏の保護下で
元服直後に病没し、穴山氏は断絶しました。

 


姉小路氏(あねのこうじ):飛騨国司家・公家

本貫:山城国姉小路
現在:京都府姉小路通沿い(詳細不明)
本姓:藤原氏(藤原北家小一条流庶流)
通字:特定困難
著名な人物:姉小路高基、姉小路家綱

 

建武政権の参議・姉小路高基が飛騨国司に任じられ
飛騨国に下向したのが始まりとされています。

室町幕府から派遣された飛騨国守護・京極氏に敗れ

没落後に断絶しました。
のちに三木氏によって家名を継承されることになります。

 


姉小路氏(あねのこうじ):三木氏

本貫:飛騨国益田郡竹原
現在:岐阜県下呂市
本姓:源氏(宇多源氏佐々木氏庶流)
通字:頼、綱
著名な人物:姉小路(三木)良、姉小路頼綱

 

飛騨国守護・京極氏の家臣として三木良頼が
飛騨国南部へ土着しました。
戦国時代の騒乱で守護・京極氏が弱体化すると飛騨国を

支配して名門・姉小路氏の名跡を継承しようとしました。
朝廷では姉小路氏の名跡を武家に継がせることに
反対する公卿も多く、紛糾しましたが三木良頼の政治工作で
姉小路氏を名乗ることになりました。

姉小路氏は甲斐武田氏、のちに織田氏に従属しましたが

本能寺の変後、姉小路頼綱が佐々成政と結んで

羽柴秀吉に反抗したために滅亡しました。

子孫は旗本として江戸幕府に仕えました。

 


阿野氏(あの):阿野家

本貫:駿河国駿東郡阿野荘
現在:静岡県沼津市西部
本姓:
 藤原氏(藤原北家閑院流滋野井流)
 源氏(清和源氏為義流庶流)
通字:公、実、季など
著名な人物:阿野全成、阿野廉子

 

藤原氏の一族である滋野井公佐が藤原成親の

猶子になり藤原公佐を名乗りました。
藤原公佐の妻は源義経の

実兄(源義朝の七男)・阿野全成の娘で
生まれた子が母方の所領を相続し
阿野姓を名乗って公家となったとされています。
鎌倉時代末期に後醍醐天皇の中宮に
冊立された阿野廉子は有名ですね。

 

<つづく>