改葬備忘録_最終章

改葬備忘録_最終章

2011年11月~2012年12月30日 故郷のお墓を引越ししました。
私と兄家族の宗教バトルも併せました。恐ろしやJW、ものみの塔

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 あの時から、おおよそ50年の歳月が流れました。こんな気持ちでお墓から学校を眺めたのは、魂抜の日が始めてだったと思います。大昔、私が子供だった頃に行き倒れた青年ヒラカズさんは自ら命を絶ったのでした。大駕さんの妹さんも自ら命を絶ったのでした。そんな時代だったのです。そんな時代を生きてきたからこそ、死を恐れ、病に怯え、大きな鎌を振りかざした疫病神や幽霊を信じてしまったと思います。
 年月はあっけなく流れました。私はいろいろなことを経験し、試され、悩みながらも成長したと思います。お話してきたこの学校も、役目を終えて廃校になりました。一昨年偶然にこの学校の記録を手に入れることができました。記録は明治44年からの卒業生の名簿と写真が含まれていました。私の父も長兄も次兄も次兄の妻も実姉も私もM美も、モア家の皆ばかりでなく、大駕さんも、大駕さんの妹さんもが卒業生でした。川で溺れて死んだヒデオ君や、グミを食べて死んだ少女は卒業していないので載っていませんでした。もしやと思いヒラカズさんを丹念に探しましたが見つかりませんでしたが、でもなにかの因縁があるような気がしてなりません。ヒデオ君や少女がヒラカズさんに守られて、校舎で楽しく暮らしているような気がしてなりません。


改葬備忘録_最終章


 記録によれば、この学校は昭和9年に新築されたそうです。工事中の写真がありました。それ以前の校舎はまったく別の土地にあったと記されていました。旧校舎は解体されました。その古材で私が生まれ育った屋敷が組まれたことは、亡き父の自慢話でした。偶然にも私は、明治生まれの子供達や父や兄や村の人達の喜び、悲しみ、涙と汗が染み込んだ木材の下で育ったことになりました。
 私が学んだ校舎は、今でも残っています。このようなものに命を感ずるのは、悲しいノスタルジーとは思いますが、月日の重さ、歴史を感じてしまうのです。因果は巡ると言うのが正しいかはわかりませんが、私が学んだ小学校を含め、近隣村々の学校が統合されました。新たに出発する学校の計画に、技術屋として、スタッフの一員になれたことが、人生の中で、特に嬉しかったことの一つです。
 統合された校舎が完成した春、お墓参りの後に、隣町に立ち寄りました。妻と子には、山菜取りと伝えてありました。はるか向こうに見える学校を見て、妻も子も、きれいな学校だねと言ってくれました。私も心からそう思いました。
 学校にまつわる思い出は私の宝物の一つです。私の今までの生活の規範、思想の一端は、誰にも誘導、強制されることが無く、己の経験で培われていたことに気づきました。学校はそれをやさしく守ってくれていた容器であり、若くして逝ってしまった人々の命の片鱗を授かったのだと、今さらながら思うのでした。
 これにて改葬備忘録の全てを終えます。JWとは関係が薄く、悩む皆様の中では少々異端であったにもかかわらず、親切にしてくださったアメバの皆様、どうもありがとうございました。深く感謝しております。私は新たな『田神六兎』の名前で別のブログ場(tp://blog.goo.ne.jp/tagami610)を開きました。よろしければ読んでくださいませ~。さようなら~。