前回は映画「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」について、ネタバレ無しのレビューをしました。
今回はネタバレを含むレビューをします。
なお、ストーリー展開の解説はしません。
ですので、既に映画をご覧になった人向けのレビューとなります。








 蓋を開けてみると「ドラクエ5の映像化」ではなく「バーチャルシステムでドラクエ5の世界を追体験する現代の青年の物語」でした。
 その衝撃の展開は世間ではかなり不評のようですね...
各地で白熱する議論ですが、最大の論点はこの映画に込められたメッセージにあります。

 ①現実を突きつけるミルドラース(仮)に対する批判
 「夢を壊すな!」という意見をちらほらと耳にします。
まぁごもっともですよね。
私も腹立ちましたもん。笑
しかし考えてみてください。
それってまさしく、リュカと同じ気持ちなんですよね。
そういう意味では、こういった批判をする人は誰よりも本作に引き込まれていると言えます。
主人公への並々ならぬ感情移入...
製作陣からすればこのような視聴者の存在は願ったり叶ったりでしょう。
そう、君も君だけのストーリーの主人公だ!

 ただ、ミルドラース(仮)の主張に対してではなく展開そのものに対して「夢を壊すな!」と批判する人もいますよね。
それって、ミルドラース(仮)による諸々の解説を聞いてすんなり納得できない人...言い換えれば、この期に及んでまだ「ドラクエ5の映画」を諦めきれない人なんですよね。
あの解説を聞いてすぐに本作の世界観やシステムを理解し、気持ちを切り替える必要があるわけです。
そこで気持ちを切り替えられない人にとっては、それまでの全て否定されたように感じられ、その後の展開も全てが苦痛でしょうねぇ。

②監督への批判
 Twitterでこのような投稿を見かけました(要約)
「子どもに2時間ぬいぐるみを与える。さんざん遊ばせた後、突然ぬいぐるみを奪い、腹を切り裂き、綿を引きずり出して、「ぬいぐるみなんかで遊ぶな」と子ども突き放す。その後、ぬいぐるみを縫って「やっぱり遊んでいいよ」と言う。山崎監督がしたことはまさにこれだ」
この投稿に対し、「わかりやすい!」「まさしくそれだ!」という声がたくさん寄せられていました。

...は?理解不能。
なぜこのような発想に至るのか。
私なりに分析した結果、おそらくこういった批判をする人たちの中では、
●ミルドラース(仮)=山崎監督
●リュカ=山崎監督
という構図が出来上がっているのだと思います。
いやいや、なんだこの荒唐無稽な不等式。笑
今一度、それぞれの動作主を確認してみましょう。
先の例に則るならば、
●ぬいぐるみを与えたのはドラクエ5を愛するプレイヤー自身、そして山崎監督
●ぬいぐるみを切り裂いたのはミルドラース(仮)
●縫い直したのはリュカ
となります。
それぞれの主体が異なるアングルから視聴者の感情を揺さぶるんですよ。
3つの主体を山崎監督という1つの主体に統合するのはいくらなんでも論理が飛躍しすぎです。

 これに関連して、山崎監督がゲーマーを肯定する自分に酔っているという意見も目にしました。
...どうしてこう、手当たり次第に監督からのメッセージとして捉えようとするのでしょうね???
監督がリュカに自分の思いを喋らせたとする根拠は?
常に製作者の意図を推し量るのって疲れません?
純粋に作品を楽しめばいいのに...

③「わかりきったことを言うな!」という批判
 「ゲームの世界だって大切な思い出であり、もう一つの現実だ」という旨の発言がリュカによってされていましたね。
これに対して、「わかりきったことをいちいち言うな!押し付けがましいんじゃ!」という意見を目にしました。
別にわかりきったこと言っててもいいじゃないですか。笑
ダメなんすか???
そんなん、「悪は許さない!」とかも言えなくなりますやん。。。
わかりきったことだって、改めて向き合うことで自分を見つめ直すキッカケになります。





 いかがでしたでしょうか。
レビューというより、否定派の人たちの意見の分析&それに対する反論みたいになっちゃいました。
まぁ好きな人は好き、嫌いな人は嫌い、それでいいんじゃないですかねー(突然の投げやり
 ただ、あまりに筋違いな批判も見受けられたので今回このようなレビューを書くに至りました。
 「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」についてはこれにておしまい!
次回は何を書きましょうかね...