配球学 -4ページ目

朱治

昨日は京都競馬場へ、今日は伏見へ行っていました。

ギャンブルはしませんが、ふと昨日行われた天皇賞・秋を見に行こうかなという気持ちが沸きました。
予想通り大勢の人で来たことを後悔もするかと思いましたが、トップクラスの競争馬が颯爽と駆け抜けて行く様は非常にアーティスティックでした。

伏見は行ったというよりも寄ったという感じでした。
映画・レッドクリフを見ようと京都・四条に行ったのですが、希望する時間にチケットが取れず、意図を失ったことから伏見に寄りました。
伏見稲荷の深紅の鳥居をくぐると何か気持ちが穏やかになるような気がしました。

単独で他愛ない三連休を過ごしてしまった私です。

黄蓋

今日は一人で嵐山に行きました。

まだ紅葉時期でもなく、それほど人も多くありませんでした。
渡月橋を渡り、宝厳院を垣間見たりお土産屋を眺めたり…。
夕方には鴨川沿いで読書していましたが、薫風を感じることができました。

そういう空間は時間が止まったような感覚に陥ります。
俗世間と言われる社会の中で生きていると、時計の針が重く重くのし掛かります。
少し現実逃避ができたような気がして、日頃のストレスが軽減されたような気分な私です。

かつての偉人も夜空を見上げたのか…

同じ空をどれだけの人が見上げているのか…
そして、どれだけの人がこれからこの空を見上げるのか。

人はつながっているのか…私は否であると考える。
人はつながるのではなくつなげるのだと思う。

誰しも人を選ぼうと無意識の内にしている。
と同時に自分も選ばれているのである。
互いが互いを選ぶ…それこそがつながりなのではないか。
ただ空を見上げただけでは空であろう。
しかし、誰かが何かを感じた瞬間それは空ではなくなる。
そうやって、人はつなげていくのではないだろうか。

とある今日の夜空を見て感じたこと私です。