早いもので、2011年も今日で終わりですね。


今年も大掃除は頓挫したむう家。

昨年は、産後だったので、お正月らしいことも何も準備できなかったのですが、今度は少しはお正月らしく…と思い、昨日から、ずっとキッチンに立っています。


黒豆、いかにんじん(郷土料理)、酢れんこん、牛肉牛蒡巻き、豚角煮、お煮染め、栗きんとん、白菜の浅漬けを仕込み、やっとで休憩ー。ぷはー。


昔は母が、暮れになると白菜の漬け物を樽に仕込んでいたのを思い出します。

そういう手のかかったものも、やっていかないと、子ども達に何も受け継いでいけないなぁ、と反省。

来年は、お餅を家でついてみたいなぁ、というのが目標~。



今年は、たいへんな一年になりました。


最近になって、「また大地震が来た!」という夢を時々見るようになりました。

夢の中の私は、ペットボトルの水が何本あるのか、必死で数えているのですが、ハッと目が覚めると、それは夢で、ふーっと胸をなで下ろすのです。


あの時、私、きっとすごく怖かったんだろうな。


でも必死で、必死で。


毎日をもがくような気持ちで前に進んで、今ごろになって、その時の恐怖体験が夢に出てくるようになってきた。

それは、泥のような中から、這い出た証拠でもあるのかも知れません。


震災では、本当につらいものもあったし、なんでこんなことに、と誰かを恨みたいような気持ちになったのも事実ですが、不思議と、この震災があったからこそ、得ることができたものもたくさんあったなぁ、と感じているのです。


私たちは、毎日をただ生きているわけでなく、「生活」は「する」ものではないのだということに今更ながら気付くことができました。

前に、ここにあるお友達が「毎日の暮らしを紡いできた。」とコメントを残してくださいました。

その言葉は、すとん、と私の中に落ち着いたのですよ。


そう、生活は、機を織るように、毎日、毎日、すこしずつ積み重ねて、紡いでいくものなのですよね。


毎日あたりまえのように子どもと接し、仕事に行き、食事を作り、そしてまた次の日を迎える。

それは、ただ、そうしているのではなく、意識してもしなくても、子どもをこう育てたい、とか、こんな仕事をしたい、とか食事は家族の健康のことを考えて、夜眠る時には、明日はもっと、こういう自分になりたい、と思い描く。


大なり小なりの理想や目標、将来の姿に向かって、私たちはがんばったり、反省したり、そうやって、毎日、毎日を生きているのです。


それをある日突然、手放さなければならないような状況に立たされた時、自分がいまいる場所のために、どれほどのものを毎日毎日積み重ねて、紡いできたのか、ということを、改めて思い知らされるのだなぁ、と痛いほど感じた一年でした。



そして、家族のありがたみも。


私、家族がいて、本当によかったなぁ、と心から感謝しています。

子ども達がいるから、がんばれるし、強くなれる。


夫とは、時々、激論を交わしながらも(ケンカじゃないよ)、一度だって、相手の思いを軽んじることなく、ちゃんと夫婦で向き合って、話し合って、支え合って乗り越えてくることができたと思います。

時々、冗談めかして「これだけのことを乗り越えてきたから、これから先、子どもがちょっとぐらいグレたって(死語?)、もう大丈夫だよねー。」なんて言っていますが、ほんとーに、今年は、次々にふりかかる難題を、夫と二人三脚で乗り越えたなぁ、という一年でもありました。


思いは、子ども達のために、というそのたったひとつだったかもしれません。


子ども達は、元気に、笑顔いっぱいで、この一年、私たちに力を与え続けてくれました。

夫にも、子ども達にも心から感謝です。



人生は、楽じゃない。


時々、神様は試練を与えるものなんだな、と思ったけれど。



かつて学んだ聖書の中にあるように、乗り越えられない試練はない、そう思っています。



震災の時にたくさん心配してくれたお友達。

その後も、私たちの選択を、そっと見守って応援し続けてくれたお友達。

感謝でいっぱいです。


人と人との繋がりが、こんなにもたいせつなものだと気付くことができて、本当に幸せだと思います。



来年は、ちょっとでも物事が良い方にすすんで、明るい一年が待っていますように。


今年一年、支えてくださった皆様。本当にありがとうございます。

来年も細々と続けて行きますので、どうぞよろしくお願いいたします。