抗がん剤5クール目
・4/25~5/18
(入院期間 4/24~4/30)
・開始前AFP 2.9
2日目。2011.4.26
いよいよ最終クールです。
今回の治療までに間が空いたからか、
それまで今まで通りの生活をし過ぎたからか、
治療って大きな目標を一個終えて、今度は再発の心配と戦うことになるからか、
それとも、前回がきつくて、今回もっときつくなりそうな気がしたからか、
今回始める前、ビビっとりました
むしろ、1クール目の前より。
でも始めてみたら、最後!!
って前向きに治療して、これからのことを考えて、順調です
副作用も、今までと変わらずで、
むしろ慣れてきました。
かんばるぞーい。
3日目。2011.4/27
ラストの抗がん剤、3日目も無事に全部の点滴終わりそうです。
今までより、うとうとすることが多いけど、思ってた5クール目よりも体調が悪くなくてちょっと安心してます。
最後の入院になるといいな。
最後の入院はたまたま最初の入院で同室で、よくしてくださってる方とまた一緒です。
ご自身も大変なのに、気をつかってくださって、私の様子にさりげなく耳を傾けててくださったり、差し入れをくださったり、うれしい限りです。
今まではあまり思ったことはなかったですが、ああいう、くったくなく、誰の心配やお節介ができる、おばちゃんになってもいいなと思います。
もうひとつは、家族とか普段まわりに居て当たり前と思ってた人が、何も特別じゃない日常の中で喜んでくれることがこんなにうれしいことだと知りました。
そりゃ今は癌っていうのはあるけど、この優しさはきっと、私が生まれてからずっとあったものだと思うと、これから、生き甲斐がますますでます。
とりあえず、あと2日。
この癌治療に勝つぞ。
4日目。2011.4.28
本当につらいってほどにはまだまだないけど、それなりに、副作用らしくなってきました。
それでもまだ気力が勝ってます。
まわりの方々のおかげです。
今日は病棟の新人看護師さんにバイタルをとってもらってます。
気づいたら、4月も終わりで、仕事の場ではどこも異動も落ち着いたのかな?ってまだ世間に乗りきれてません。
私の後輩に対しても、中途半端なまま治療に入って、何もできなかったから、次、仕事をしてるのを見るのが楽しみです。
もはや経験じゃ負けるので、他で、先輩らしく居れるところをがんばります。
5日目。2011.4.29
とうとうこの日を迎えました。
ご報告です。
今日をもって、今回の癌の抗がん剤治療が全て終了しました。
明日、退院します。
5クール目は前よりつらくなると思ってて、始まる前は1クール目やる前より怖かったです。
でも最後っていう言葉は不思議なもので、
これだけの言葉で乗りきった感があります。
副作用も今までと変わらず、
少し傾眠で、うとうとしすぎると
サチュレーション90きって、起こされるぐらいで、
4クール目よりはだいぶ軽かったです。
約半年間、手術、化学療法と行い、正直、まだこれから長く付き合うものですが、
やはり抗がん剤の一区切りを迎えられたことがとてもうれしいです。
この癌になって、私も変わったと思います。
きっと、昔よりずっと細かくて、失うことへの執着心はついたことかと思います。
髪のことや、身体も見た目が変わってしまって、
多分しばらく、新しいお付き合いとか、変な話、一夜限りのって経験はしないでしょう。
きっと、別に私が心配することじゃないけど、
でもそれでも、これから私と結婚なんかしたり、一生を共にする人は、少なからず、他の方を選ぶよりかはちょっとだけ死だとか病気だとかを近くに感じなければならないかもしれません。
お仕事も若干出遅れた感があります。
でも、悪いことばかりでない日々でした。
家族っていうものが本当に特別で、感謝を伝えきれるか不安になるくらい大切なことや、
まわりの方々の尊さや、
同時に今まで人間関係を築くにあたり、自信を持てるほどの何かをしてなかったことにも気づきました。
現場に出てみてから体験した患者さんの立場は、新しい目線となりました。
晴れた空や夜空の下を歩ける気持ちさや、
匂いや、
夜更かしできる嬉しさを改めて感じたり、
一日の尊さを感じます。
病気なんてならないにこしたことはないけど、
いい経験をしました。
最後になりましたが、
ちょっとだけお願いがあります。
ちょっとでも体調に気になる変化があったとき、
大切な女性ができたとき、
検診を少しでも考えて見てください。
私は、早期発見できなかったとは思ってないですが、結果は進行がんでした。
卵巣はサイレントキラーと言われるほど症状に乏しい臓器です。
順調に治療は終わったものの、もっと早い段階で見つけたらもっと治療期間は短く済んだかな?と思うときがあります。
若いからこそ失うものが大きいときもあります。
一体験者でしかありませんが、不安に思うことがあったとき、私の体験が何かのきっかけになれば、いいなと思います。
本当にたくさんありましたが、ありがとうございます。
今後とも、よろしくお願い致します。
一応、
1ラウンドぐらいかな?
最終にしても許されるかな?
勝った。
8日目。2011.5.2
退院して3日目
今までよりは元気に過ごしているけど、
やっぱりこの抗がん剤の後の独特な感じは免れないようです
どうすれば?
って感じのなんだか不快感と
寝ても覚めても、脳内フル回転の、
頭の中の忙しなさ
あんまりゆったりし過ぎてるから、
脳も焦ってるのかな?
寝た方がいいかー
起きたがいいかー
寝るにしても薬飲むべきかー
とかとか
結局、寝てしまっていました。
そういえば、今回最後の退院だったので、
退院前に主治医の先生とちゃんと面談をして、全部の治療の概要や、今後の方針を聞きました
治療の経過にあっては、やってきた通り。
腫瘍にはそれぞれ標準治療といって、ひとまずガイドライン的なものがあります。
それによると、
胚細胞腫は腫瘍マーカーが正常範囲に入ってから2クール抗がん剤を実施することになってます
なので、私は5クールやったわけですが、
マーカーの下がりかたからみて、測ってないけど、
1月下旬にはもう、陰転化してそうなので、
実質、正常範囲に入ってから3クールぐらいやってると思われ、
私の腫瘍には大変十分な量の抗がん剤で攻撃させてもらったそうです
そして、今後ですが、
しばらくはこの卵黄嚢腫はAFPというマーカーに反応がよく、
このマーカーの数値で経過を見ます
しかし、腫瘍はマーカーにも耐性をもっていくので、
AFPに反応しないまま、症状を出すこともあります。
なので、これからは
月1ぐらいで腫瘍マーカーの検査、
年数回の画像診断、
と、症状をみて定期的なチェックをします
がんばろー
そして、最後に、
念願の手術でとった腫瘍の写真を見せてもらいました
あぁーこれと戦ったわけね。
っていうにはあまりにかわいくはなく。
13cm大と聞いていた腫瘍は、
実際は22cm大でした
思わず写メしたけど、
あんまり見たい品物でもないから、
密かに取っておきます
うれしいうれしいお守りができました


退院の日に、父と母からもらったハワイアンジュエリー
下の方のは私が元々持ってたもので、
上のイニシャルと、プルメリアと、チェーンをもらって、
長さも柄も大好きなかんじです
プルメリアは庭にはなかったけど、
小さい頃からまわりにちょくちょくあって、
匂いも馴染みのある好きな花

改めて、ハワイアンジュエリーの意味を調べてみたら、
プルメリアは気品とか、魅力とかっていう意味があるらしい
そう言われると恥ずかしいけど、
そうなれるように、
磨きます
9日目。2011.5.3
体調は徐々に元に戻りつつあって、もうあと何日かでこのかんじはしないなって思います
と同時に、こんなにゆったり物事を考えるのもあと少しかな?と思うのです
この何日間で、今回の治療の日々を振り返ってみると、たまたま期間が、消防学校に居た、6ヶ月と同じ間、お仕事をお休みさせてもらっていたようです
2つの6ヶ月を比べてみて、
確かにどちらも二度と体験はしたくないなー<br />って思うんですが、
消防学校が「激」だとすると、
今回の治療は「静」かなって
思うくらい、
ゆっくり流れていった感じがします。
それなりに、
痛かったし、
辛いと思ったし、
諦めたり悔しかったりはしたけど、
なぜだか今、すごく心が穏やかなのです
正直言うと
すごくリアルに考えて
この先5年、10年後、自分が生きてると自信をもって言える程ではないです。
まぁ、これってそういう病気なんだろうなって思うし
長生きすることや
再発せずに元気に生きることを
諦めたわけでは全然なくて、
なるようになる!
と少し重いものをおろした気がします
もちろん、100歳まで生きる気は満々です
ただ、
がんなんてー!
ってほど憎いとも違う、
もちろん、二度とかからないと
願うけど、
「芽のないがんとうまく一緒に生きる」
ってかんじなのかな?
だってね~かかったことは事実だし
これだけ多くの方がなると言われてるから
特に珍しくもなく
今じゃなくてもなるかもしれなかったことかもしれないし
どう受け入れて生きるかな?
がんは私を受け入れて、私を困らせないでいてくれるかしら?
って恋人のような
今は勝手にそんな気分です。
そもそも
のんびりしてるんだな、わたし
それもこれも、
まわりが特に何もなかったかのように、
なんだか
私の人生の中の行事としてもともとあったんじゃないかってくらい
特別気をつかうことないっていう
優しさがあったから私がこう思えるんだろうな
思い描いていたより、ずっと穏やかに過ぎたので
これからが心配
私、来月、仕事してんだっけ?
あら、大丈夫かしら?
楽しみ
どんな目線で仕事が映るだろう。
がんばらねば~
12日目。2011.5.6
今日は外来でブレオの日でした
ですが、いつもながら、
白血球2200で中止です
にゃーなかなか打てるものではないですね
体調はすこぶる元気
先生も入るなり
「元気そうですね」


多分、入院中以外は、
かつらさえつけちゃえば誰も病気中なんて思わないほどの元気っぷり
元来、生理痛以外、
風邪でも気づかれないのです
でも、備えは大事
病気になってからは、いつ何が起きてもいいように、身元と病歴を書いた紙とお薬手帳はいつも持ち歩いてます
私のお仕事にも関するけど、
体調悪くなったり、事故だったりで意識失ったときとか、
痛みとかが辛くて話せないときとかに救急車を使うときのためもあるし、
話せる場合でも既往歴のある方は特に時系列になったものを目で見た方がわかりやすいときがあります
症状によっては、かかりつけの病院に連絡してからのことが多いので、まとめておくといいかなと思います
入院中に病院で聞き込みしたことと、救急隊の大先輩に聞いたことから、あると便利な項目は、
・氏名(フリガナ)、性別、生年月日
・住所、電話番号
・緊急時連絡先(名前、電話番号、所在)
・治療中の病気の病名、かかりつけ病院名、ID、診療科、主治医名
・治療の経過(発症時期、手術の有無、その他治療、最終入院の時期<br />)
・過去の病歴(手術や入院など、病院名)
・アレルギー(薬、ほかにアルコールかぶれやゴム製品のアレルギー、キシロカインゼリーでアレルギーがあると言われた方は書いた方がいいと思います。)
・日常生活の度合い(独歩、つかまり歩き、車椅子などや麻痺の有無は脳の症状が出たときに比較できます。)
・その他連絡したいこと
私は、財布の中やバッグの中、携帯のデスクトップに貼っています
その他も、退院するとき(自宅に帰るとき)に
どんなときは病院に来るか、
どんなときは救急車を呼ぶのかなどを先生に聞いておくと安心するかもしれません
救急車は要請されれば、すぐ出動します
でも、こんなとき呼んでもいいかわからないとか、
実際呼んだら、救急隊や医師にこんなことでって怒られたって声や
逆に、まじ?身体拭いてほしいで呼んだの?
てこともあります

あらかじめ予測できるものだけでも知っておくと安心感かもしれませんね
また、先に病院と119とどっちに連絡するかとかもあるかもしれませんね
病院に連絡したら救急車で来てくださいと言われ要請されることもあります

逆に、一刻を争うときもあります。
そういうのもある程度わかっていて、
慌てていてもわかりやすいようにまとめると安心かもかもしれないですね。
そして大事なのは
家族や身近な人が共通して知っていること。
保険証の保管場所など、家族で認識しておくといいと思います
マメ知識では、
病院に連絡した場合、
来てくださいと言われても、言われなくても、
そのことと内容を救急車が来たときや通報時に伝えて下さい。
病院選定のため、救急隊は再度連絡しますが、患者さんが連絡を取った結果があることでスムーズに進む場合があります。
さらに、電話の相手(判断してくれた人)がどこのどんな人か伝えてもらえると、さらによかったりします。
何もないのが一番だけど、
あったときの備えも大切ですね
22日目。2011.5.17
4日間ノイトロジンを打って、
今日は効果確認でした
結果、
脅威の、
14600!!!
過去最高値
むしろ効きすぎ
ってことで、
明日が正式に最後の治療
明日、ブレオ打ちます
これからは月1外来になります
まーたーねー
びょーいんー
そゆことで、
最近とても元気です
お陰様で、
痛み止めとうまく付き合えたので、ノイトロジンの副作用も乗りきれました~
髪は若干、ふりだしに戻ったけど、
考え方は前向きに、頑張ります
チャンジャまつりします
と言うか、
そろそろ生解禁します

5クール目終了後AFP 3.3
Android携帯からの投稿

・4/25~5/18
(入院期間 4/24~4/30)
・開始前AFP 2.9
2日目。2011.4.26
いよいよ最終クールです。
今回の治療までに間が空いたからか、
それまで今まで通りの生活をし過ぎたからか、
治療って大きな目標を一個終えて、今度は再発の心配と戦うことになるからか、
それとも、前回がきつくて、今回もっときつくなりそうな気がしたからか、
今回始める前、ビビっとりました

むしろ、1クール目の前より。
でも始めてみたら、最後!!
って前向きに治療して、これからのことを考えて、順調です

副作用も、今までと変わらずで、
むしろ慣れてきました。
かんばるぞーい。
3日目。2011.4/27
ラストの抗がん剤、3日目も無事に全部の点滴終わりそうです。
今までより、うとうとすることが多いけど、思ってた5クール目よりも体調が悪くなくてちょっと安心してます。
最後の入院になるといいな。
最後の入院はたまたま最初の入院で同室で、よくしてくださってる方とまた一緒です。
ご自身も大変なのに、気をつかってくださって、私の様子にさりげなく耳を傾けててくださったり、差し入れをくださったり、うれしい限りです。
今まではあまり思ったことはなかったですが、ああいう、くったくなく、誰の心配やお節介ができる、おばちゃんになってもいいなと思います。
もうひとつは、家族とか普段まわりに居て当たり前と思ってた人が、何も特別じゃない日常の中で喜んでくれることがこんなにうれしいことだと知りました。
そりゃ今は癌っていうのはあるけど、この優しさはきっと、私が生まれてからずっとあったものだと思うと、これから、生き甲斐がますますでます。
とりあえず、あと2日。
この癌治療に勝つぞ。
4日目。2011.4.28
本当につらいってほどにはまだまだないけど、それなりに、副作用らしくなってきました。
それでもまだ気力が勝ってます。
まわりの方々のおかげです。
今日は病棟の新人看護師さんにバイタルをとってもらってます。
気づいたら、4月も終わりで、仕事の場ではどこも異動も落ち着いたのかな?ってまだ世間に乗りきれてません。
私の後輩に対しても、中途半端なまま治療に入って、何もできなかったから、次、仕事をしてるのを見るのが楽しみです。
もはや経験じゃ負けるので、他で、先輩らしく居れるところをがんばります。
5日目。2011.4.29
とうとうこの日を迎えました。
ご報告です。
今日をもって、今回の癌の抗がん剤治療が全て終了しました。
明日、退院します。
5クール目は前よりつらくなると思ってて、始まる前は1クール目やる前より怖かったです。
でも最後っていう言葉は不思議なもので、
これだけの言葉で乗りきった感があります。
副作用も今までと変わらず、
少し傾眠で、うとうとしすぎると
サチュレーション90きって、起こされるぐらいで、
4クール目よりはだいぶ軽かったです。
約半年間、手術、化学療法と行い、正直、まだこれから長く付き合うものですが、
やはり抗がん剤の一区切りを迎えられたことがとてもうれしいです。
この癌になって、私も変わったと思います。
きっと、昔よりずっと細かくて、失うことへの執着心はついたことかと思います。
髪のことや、身体も見た目が変わってしまって、
多分しばらく、新しいお付き合いとか、変な話、一夜限りのって経験はしないでしょう。
きっと、別に私が心配することじゃないけど、
でもそれでも、これから私と結婚なんかしたり、一生を共にする人は、少なからず、他の方を選ぶよりかはちょっとだけ死だとか病気だとかを近くに感じなければならないかもしれません。
お仕事も若干出遅れた感があります。
でも、悪いことばかりでない日々でした。
家族っていうものが本当に特別で、感謝を伝えきれるか不安になるくらい大切なことや、
まわりの方々の尊さや、
同時に今まで人間関係を築くにあたり、自信を持てるほどの何かをしてなかったことにも気づきました。
現場に出てみてから体験した患者さんの立場は、新しい目線となりました。
晴れた空や夜空の下を歩ける気持ちさや、
匂いや、
夜更かしできる嬉しさを改めて感じたり、
一日の尊さを感じます。
病気なんてならないにこしたことはないけど、
いい経験をしました。
最後になりましたが、
ちょっとだけお願いがあります。
ちょっとでも体調に気になる変化があったとき、
大切な女性ができたとき、
検診を少しでも考えて見てください。
私は、早期発見できなかったとは思ってないですが、結果は進行がんでした。
卵巣はサイレントキラーと言われるほど症状に乏しい臓器です。
順調に治療は終わったものの、もっと早い段階で見つけたらもっと治療期間は短く済んだかな?と思うときがあります。
若いからこそ失うものが大きいときもあります。
一体験者でしかありませんが、不安に思うことがあったとき、私の体験が何かのきっかけになれば、いいなと思います。
本当にたくさんありましたが、ありがとうございます。
今後とも、よろしくお願い致します。
一応、
1ラウンドぐらいかな?
最終にしても許されるかな?
勝った。
8日目。2011.5.2
退院して3日目

今までよりは元気に過ごしているけど、
やっぱりこの抗がん剤の後の独特な感じは免れないようです

どうすれば?
って感じのなんだか不快感と
寝ても覚めても、脳内フル回転の、
頭の中の忙しなさ

あんまりゆったりし過ぎてるから、
脳も焦ってるのかな?

寝た方がいいかー
起きたがいいかー
寝るにしても薬飲むべきかー
とかとか

結局、寝てしまっていました。
そういえば、今回最後の退院だったので、
退院前に主治医の先生とちゃんと面談をして、全部の治療の概要や、今後の方針を聞きました

治療の経過にあっては、やってきた通り。
腫瘍にはそれぞれ標準治療といって、ひとまずガイドライン的なものがあります。
それによると、
胚細胞腫は腫瘍マーカーが正常範囲に入ってから2クール抗がん剤を実施することになってます

なので、私は5クールやったわけですが、
マーカーの下がりかたからみて、測ってないけど、
1月下旬にはもう、陰転化してそうなので、
実質、正常範囲に入ってから3クールぐらいやってると思われ、
私の腫瘍には大変十分な量の抗がん剤で攻撃させてもらったそうです

そして、今後ですが、
しばらくはこの卵黄嚢腫はAFPというマーカーに反応がよく、
このマーカーの数値で経過を見ます

しかし、腫瘍はマーカーにも耐性をもっていくので、
AFPに反応しないまま、症状を出すこともあります。
なので、これからは
月1ぐらいで腫瘍マーカーの検査、
年数回の画像診断、
と、症状をみて定期的なチェックをします

がんばろー

そして、最後に、
念願の手術でとった腫瘍の写真を見せてもらいました

あぁーこれと戦ったわけね。
っていうにはあまりにかわいくはなく。
13cm大と聞いていた腫瘍は、
実際は22cm大でした

思わず写メしたけど、
あんまり見たい品物でもないから、
密かに取っておきます

うれしいうれしいお守りができました



退院の日に、父と母からもらったハワイアンジュエリー

下の方のは私が元々持ってたもので、
上のイニシャルと、プルメリアと、チェーンをもらって、
長さも柄も大好きなかんじです

プルメリアは庭にはなかったけど、
小さい頃からまわりにちょくちょくあって、
匂いも馴染みのある好きな花


改めて、ハワイアンジュエリーの意味を調べてみたら、
プルメリアは気品とか、魅力とかっていう意味があるらしい

そう言われると恥ずかしいけど、
そうなれるように、
磨きます

9日目。2011.5.3
体調は徐々に元に戻りつつあって、もうあと何日かでこのかんじはしないなって思います

と同時に、こんなにゆったり物事を考えるのもあと少しかな?と思うのです

この何日間で、今回の治療の日々を振り返ってみると、たまたま期間が、消防学校に居た、6ヶ月と同じ間、お仕事をお休みさせてもらっていたようです

2つの6ヶ月を比べてみて、
確かにどちらも二度と体験はしたくないなー<br />って思うんですが、
消防学校が「激」だとすると、
今回の治療は「静」かなって
思うくらい、
ゆっくり流れていった感じがします。
それなりに、
痛かったし、
辛いと思ったし、
諦めたり悔しかったりはしたけど、
なぜだか今、すごく心が穏やかなのです

正直言うと
すごくリアルに考えて
この先5年、10年後、自分が生きてると自信をもって言える程ではないです。
まぁ、これってそういう病気なんだろうなって思うし

長生きすることや
再発せずに元気に生きることを
諦めたわけでは全然なくて、
なるようになる!
と少し重いものをおろした気がします

もちろん、100歳まで生きる気は満々です

ただ、
がんなんてー!
ってほど憎いとも違う、
もちろん、二度とかからないと
願うけど、
「芽のないがんとうまく一緒に生きる」
ってかんじなのかな?

だってね~かかったことは事実だし

これだけ多くの方がなると言われてるから
特に珍しくもなく
今じゃなくてもなるかもしれなかったことかもしれないし

どう受け入れて生きるかな?
がんは私を受け入れて、私を困らせないでいてくれるかしら?
って恋人のような

今は勝手にそんな気分です。
そもそも
のんびりしてるんだな、わたし

それもこれも、
まわりが特に何もなかったかのように、
なんだか
私の人生の中の行事としてもともとあったんじゃないかってくらい
特別気をつかうことないっていう
優しさがあったから私がこう思えるんだろうな

思い描いていたより、ずっと穏やかに過ぎたので
これからが心配

私、来月、仕事してんだっけ?
あら、大丈夫かしら?
楽しみ

どんな目線で仕事が映るだろう。
がんばらねば~

12日目。2011.5.6
今日は外来でブレオの日でした

ですが、いつもながら、
白血球2200で中止です

にゃーなかなか打てるものではないですね

体調はすこぶる元気

先生も入るなり
「元気そうですね」



多分、入院中以外は、
かつらさえつけちゃえば誰も病気中なんて思わないほどの元気っぷり

元来、生理痛以外、
風邪でも気づかれないのです

でも、備えは大事

病気になってからは、いつ何が起きてもいいように、身元と病歴を書いた紙とお薬手帳はいつも持ち歩いてます

私のお仕事にも関するけど、
体調悪くなったり、事故だったりで意識失ったときとか、
痛みとかが辛くて話せないときとかに救急車を使うときのためもあるし、
話せる場合でも既往歴のある方は特に時系列になったものを目で見た方がわかりやすいときがあります

症状によっては、かかりつけの病院に連絡してからのことが多いので、まとめておくといいかなと思います

入院中に病院で聞き込みしたことと、救急隊の大先輩に聞いたことから、あると便利な項目は、
・氏名(フリガナ)、性別、生年月日
・住所、電話番号
・緊急時連絡先(名前、電話番号、所在)
・治療中の病気の病名、かかりつけ病院名、ID、診療科、主治医名
・治療の経過(発症時期、手術の有無、その他治療、最終入院の時期<br />)
・過去の病歴(手術や入院など、病院名)
・アレルギー(薬、ほかにアルコールかぶれやゴム製品のアレルギー、キシロカインゼリーでアレルギーがあると言われた方は書いた方がいいと思います。)
・日常生活の度合い(独歩、つかまり歩き、車椅子などや麻痺の有無は脳の症状が出たときに比較できます。)
・その他連絡したいこと
私は、財布の中やバッグの中、携帯のデスクトップに貼っています

その他も、退院するとき(自宅に帰るとき)に
どんなときは病院に来るか、
どんなときは救急車を呼ぶのかなどを先生に聞いておくと安心するかもしれません

救急車は要請されれば、すぐ出動します

でも、こんなとき呼んでもいいかわからないとか、
実際呼んだら、救急隊や医師にこんなことでって怒られたって声や
逆に、まじ?身体拭いてほしいで呼んだの?
てこともあります


あらかじめ予測できるものだけでも知っておくと安心感かもしれませんね

また、先に病院と119とどっちに連絡するかとかもあるかもしれませんね

病院に連絡したら救急車で来てくださいと言われ要請されることもあります


逆に、一刻を争うときもあります。
そういうのもある程度わかっていて、
慌てていてもわかりやすいようにまとめると安心かもかもしれないですね。
そして大事なのは
家族や身近な人が共通して知っていること。
保険証の保管場所など、家族で認識しておくといいと思います

マメ知識では、
病院に連絡した場合、
来てくださいと言われても、言われなくても、
そのことと内容を救急車が来たときや通報時に伝えて下さい。
病院選定のため、救急隊は再度連絡しますが、患者さんが連絡を取った結果があることでスムーズに進む場合があります。
さらに、電話の相手(判断してくれた人)がどこのどんな人か伝えてもらえると、さらによかったりします。
何もないのが一番だけど、
あったときの備えも大切ですね

22日目。2011.5.17
4日間ノイトロジンを打って、
今日は効果確認でした

結果、
脅威の、
14600!!!
過去最高値

むしろ効きすぎ

ってことで、
明日が正式に最後の治療

明日、ブレオ打ちます

これからは月1外来になります

まーたーねー
びょーいんー

そゆことで、
最近とても元気です

お陰様で、
痛み止めとうまく付き合えたので、ノイトロジンの副作用も乗りきれました~

髪は若干、ふりだしに戻ったけど、
考え方は前向きに、頑張ります

チャンジャまつりします

と言うか、
そろそろ生解禁します



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