以下の文章は、思いっきり素人的発想なので、あまり本気にしないように。
津地鎮祭訴訟で、地鎮祭への関与が合憲となった理由
まず、目的効果説というものを採用する背景ですが、津地鎮祭最高裁判決文に
「政教分離原則を完全に貫こうとすれば、かえつて社会生活の各方面に不合理な事態を生ずることを免れない」
とあります。
葬式に例えると、葬式が宗教的行事だとして、それを理由に葬式に出席しないとなると、アンタ葬式もでないのぉ? と白い目で見られるのは社会的にまずいだろって話です。
次に、「宗教的活動に該当するかどうかを検討するにあたつては、当該行為の主宰者が宗教家であるかどうか、その順序作法(式次第)が宗教の定める方式に則つたものであるかどうかなど、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従つて、客観的に判断しなければならない。」とあります。
一言でまとめると、宗教的行為も人並みだったらOK。周りよりも(宗教的に)目立つことをしなければいい、という横並びを尊ぶ昭和の村社会的発想です。
で、これを基準に地鎮祭というものを検討します。
この判決があった昭和の時代は、新築の際に地鎮祭は、絶対やらなきゃ、っていう時代だったんだと思う。葬式と同じ位置づけで、人が死んだら葬式、家を建てる時は地鎮祭、みたいに、とにかくやるってことになってるんだと、そういう時代だったと思う。で、それを宗教を理由に地鎮祭をやらないなんて、葬式をあげないのと同じレベルでとんでもないことだったんだな、、、たぶん。。
で、地鎮祭への関与も、行為としては地鎮祭に参列したくらいだし、それって、葬式に参列するのと同じでしょ、って感じで、
「社会の一般的慣習に従つた儀礼を行うという専ら世俗的なものと認められ」
て合憲となったのかな、って思いました。
で、ふと思ったのが、この判決って昭和の時代だったなということ。目的効果基準が現在でも政教分離を考える上で重要な役割を果たしていることは間違いありません。しかし、目的効果基準による判定では、社会通念が重要な役割を果たしていますが、その社会通念は、時代によって変わっていくものです。
平成の現在って、昭和の昔に比べると儀式的行事はかなり社会生活に占める割合が小さくなったと思います。地鎮祭は、今でもやってる人はやってるとは思います。けど、通勤の途中で取り壊し→新築になってる土地は毎日見かけるので変化がよくわかるけど、地鎮祭なんかやってるの見たことなかったなぁ。今は、お仕事も不動産関連で新築だとか取り壊しのあるような土地をよく見に行ったりしますが、地鎮祭の竹がたってる風景って、最近、見かけた記憶がない。
そう考えると、平成の現在では、地鎮祭って昭和の時のような、絶対にやらなきゃ、っていう雰囲気がなくなっていると思う。特に希望する人がやる感じ。そうすると、別にやらなくてもいいんだから、政教分離(地鎮祭をやらない)ってことに何も支障はなく、政教分離をして支障がないものをあえて国の機関が実施するのは違憲なのでは?と思う。
あと、この判決って、昭和の時代にでた判決を平成の人が読むと、当然、時代背景と感覚が違うので、読み方も違ってくると思う。昭和の時代に昭和の人が読むと、地鎮祭ってやらなきゃだし、いつもやってんだから当たり前でしょ、になって。平成の人が読むと、へぇ、、地鎮祭なんてやりたい人だけがやってるものだけど、特に希望する人だけがやるようなことでも政教分離に違反しないんだから、結構、政教分離って宗教的なこともオッケーなのね、ってなる可能性がある。一般の人は、地鎮祭が大丈夫なら別のあれも大丈夫だなっていう図式で考えるだろうな。
あと、津地鎮祭事件に対する役所の反応も2通りあるのがわかりました。一つは合憲判決だけど、やっぱり裁判は嫌だよねってことで地鎮祭が敬遠されてしまう場合。2つめは、合憲だからってことで堂々と実施する場合。
個人的には、役所が工事の無事を考えるなら、契約で労働基準の遵守を業者の求めるとか、きちんとした業者を選定する、無理な工期や無理な値引きを求めない、とか現実的かつ具体的な対応をすべきで、神頼みはどうかなぁ、と思いますわ。。あと、公務員に地鎮祭の手配とか出席をする時間があるなら、その時間でちゃんと働けって市民は思わないのですかね。。。