2003年1月19日
私は病院のベッドの上に居ました
お腹の中には36週になる娘が居ました
切迫早産による
3ヶ月近くに及ぶ
24時間の点滴
絶対安静状態
24時間点滴を3ヶ月近くすると
注射針を刺す場所(血管)が
無くなってゆくことを
この時、知りました
逆子だし
私は絶対安静で
ベッドから降りることも許されないので
帝王切開術での出産と決まってました
「明日、やっと逢えるね」
「無事に産まれてきてね」
あまり大きくないお腹をさすりさすり
娘の頭と思って撫でていたのが
筋腫だったり
注射の痛みや寂しさに
日々、涙ポロリンしている
おっちょこちょいで頼りない
私が
お母さんになる…
育てていけるかな…って不安しかなかった
あの日から20年
誰よりも優しく
誰よりも心が清い
素敵な女性になってくれました
娘は
中度知的障害と
自閉症スペクトラムを
抱えています
私は
「愛」と「過保護」の線を
きっちり太く引いてきました
娘にも
「ニートになったら
釣竿あるから魚を釣ってきてね」
「野草でも何でも良いから
食べ物を確保してきて」と、伝えてました
私はいつでも本気。
娘にも
そこは伝わっていて
いま、就労移行支援のサービスを利用して
自分に合ったお仕事探しに奮闘中💪
とても頼もしい💪✨
この先も
娘の幸せだけを願って
私は寄り添いながら
本気の付き合いをしてゆきます
今朝、娘に
「今日、10代最後の日だね」と言うと
「気づくの遅くねー」と返ってきました
私を練習台にして
どんどん自分の世界を広げていってね
これからも、一緒に遊ぼうね